ツジドーバニシング

「道徳」の科目を個人的に教えているおじさんが居た。私が小学生の頃暮らしていたアパートの裏手を流れるどぶ川を跨いで越えた公園の中をそのままずんずん突っ切っていった先にある、ただ単に掘っ立っているだけなのだが周りから焼け残されたのか、というような風合いのブルージーなプレハブ小屋に居を構えていた。夏は公園のベンチで寝そべり小麦色に肌を焼き、冬は小屋の横にかまくらをこしらえてお手製のキャンドルを飾り付けていた。平成の初頭、インターネットの網目がまだ市井に張り巡らされる前であるからまだ絡め取られずに済んでいたものの、このご時世見つかったが最後血みどろになるまで匿名の魔の手で弄ばれて棄てられるんじゃないか、ともかくそういうおじさんが生きていた。いつもセメントで染めたようなくすんだネルシャツと、いいように言えばクラッシュジーンズ、悪く言えばデニム地の端切れを腰に履くというよりも縛り付けていて、おじさんのようなお兄さんであるのかはたまたその反対なのか年の頃は定かではない。

おじさんがどういう風に生計を立てていたのか定かでなく、セイヨウタンポポの葉を濾した汁をマグカップに淹れて温めたものをエスプレッソのように飲んでいたという目撃情報もあり、生計なんか立たずとも最低限の最低限は生きていかれていたようでもあって、唯一断片的に見て取れた行動以外に彼に纏わる何らかのパーソナルな情報として私が認識しているのは、個人的に「道徳」を教えている塾のような予備校のような寺子屋のような不穏な教室を経営しているということだった。

とにかくおじさんに近寄ってはならず、その上なるべく居住区である公園敷地内や近隣で遊んではならないという旨のお触れが学校内での連絡網でも通達されていたのであるが、遠くから眺めているだけならばこれほどまでにスリリングな体験もそうそうなく、ナイトサファリ感覚で友だちと様子を伺いに行っては目が合うと蜘蛛の子を散らすように逃げるという行為を繰り返していた。然しながらおじさんは如何に我々が非礼な行為を浴びせようと、一切の威嚇・威圧行為や怒声を張り上げるなど感情の起伏を示すことはなく、その上いつしかそう言えばあのおじさんの声、聞いたっけ?いいや知らないよ、そう言えば誰も聞いたことがないんじゃないかという事実にざわつき、嘘の付けないようジャッジ用の人間をそばに置き、モーションを起こして生声を確認した人間が勝者、「勇者」の称号ならびに、休み時間、購入されたばかりで一番イボの手触りがよくグリップの利く真新しいドッジボールを優先して使用できる権利を得るレースが始まった。

時には小屋のすぐ脇まで近づいて、おもちゃ屋で買ってきたドラゴン花火に火を点けてみたりだとか、ギリギリまで接近してからインスタントカメラで撮影し画角いっぱいにおじさんを収めてみたりだとか地域住民の嫌悪感よりおじさん側の被る迷惑のほうが上回り始めたのだけれどもおじさんの声を一度たりとも聞くことはなく、只々地面に木の棒で書いたマス目に碁石を並べるなど我の世界に没頭をし続けていた彼の牙城を崩す者は現れなかった。

得てして子ども同士の流行はエスカレートしたと思いきや急速に収束していくものでそれはぼんやりと夏から秋に変わる腑抜けた季節だったかと憶えているが、友人の1人ツジドー君が「あの道徳教えますって看板あるじゃんか、ちょっと俺、塾に入ってみようと思うわ」と突如切り出した。どことなく直接的におじさんへのアプローチを仕掛けるのはレギュレーション違反ではないか、空気の裏をかいた奇策のようでありながらやはりそりゃあねえだろといった雰囲気も醸し出された。ツジドー君は学年には1人いる無茶をするタイプであり、「高い場所から飛び降りるブーム」の時も3年生の教室の窓から躊躇なくダイブして左足脛骨の単純骨折とともにブームに終止符を打った男であるため「ああまたか」といったムードが漂ったのであったが止める者も居なかった。色黒で、手を真っ直ぐパーにして走った方が速い、という説を真っ先に提唱した人物でもある。

ツジドー君の姿が見えなくなった、と、日の陰るのも段々と早くなり始めた夕間暮れの帰宅時に母親から聞いたのだった。各クラス内の連絡網による行方捜索の電話往来が我が家にもあったし、晩には警察への捜索願も出されたのであるが甲斐もなく翌朝を迎えた。あんまりこんな日に外に出るんじゃないと親から咎められてはいたのだが、おそらくツジドー君はあのプレハブ小屋の中で終わらぬ道徳の授業を受けているのではないか。ツジドー君に変わった様子は無かったか、と警察官が事情聴取で各家庭を回っているらしいとの情報も聞いており、誰かが行方の心当たりを告げてしまう前に自分のこの目で様子を伺いに行こうと思った。彼の無茶を無駄にすべきではないと義憤に駆られたのか純粋なる好奇心だったか定かではなくなってしまったが、誕生日プレゼントで母親に買ってもらった金属バットを片手に、兎にも角にも私は両親の目をかいくぐり実家の勝手口から便所サンダルをつっかけた勢いのままするりと夜の町内にすべりこみ、三日月を潜り抜けてどぶ川を飛び越え、遊び慣れた公園に辿り着いたのだった。誘蛾灯のばち、ばちという焦げた音が幼心に無常や寂びを醸した。

プレハブにはぼう、とした灯りが点いていた。会話をしているのかもごもごという音が壁越しに聞こえる。まさかあのツジドー君が取って食われたりするような事態には陥ってはおるまいだろうが金属バットのグリップを握りしめるその手は汗で滲み、少年野球チームで嫌というほどに指導されている上から下へのダウンスイングを一旦この場では忘れ、大人の男を懲らしめられるだけの正確な一撃、とどめの二撃を加えられるかどうかというイメージトレーニングに精神を研ぎ澄ませた。

いち、にい、さんでドアを開こうとしたのだが躊躇し、さん、にい、いちにしようかな。いっせーの、せかな。1人なのに?おかしいじゃん。せっせっせ、にするか。何だそれは、お寺の和尚さんか、訳のわからないことを言うな自分、いけ自分、こういうのは勢いが大事なんだ、勢い、集中、振り返るな男になれ!の「れ!」で右手に力を思い切り込めて引き戸を開けるとともにバットを振りかぶったのだがもぬけの殻だった。先ほど聞いたはずの話し声は単なる思い過ごしだったのだろうか。一瞬安堵するも小屋の中の昼白色蛍光灯は点きっぱなしで、さっきまで人が確かにこの部屋の中に存在していたのだろう名残のような気配を感ずる。床はベニヤ板張りになっており、1.5坪ほどの室内にはゴミ捨て場から拾ってきたのかえらく年季の入った黒いちゃぶ台と前カバーの外れた扇風機ぐらいしか物は見当たらない。

拍子抜けしてしまい私は暫くその部屋に佇んでいたのだった。ツジドー君の行方もそこそこに、今から自宅に帰ってからの母親の叱責がたまらなく憂鬱になっていた。ツジドー君、言ってもそれほど仲良くしていたわけじゃないし、あいつ、空気を読めないところがあるし、きっと明日の学校にはひょっこり登校してくるだろうな、そんな気がするよ。さっきまでの覚悟は何処へやら、一転して自分の保身に気が回り始め、今になって子どもというものは案外白状で残酷だなあと他人事のように感ずる一方で大人である現在の自分自身の性格や人間性へも確実に連関しているのだろう。どぶ川を飛び越えて駆けつけた少しヒロイックな振る舞いがこっ恥ずかしくもなってきた。消沈して引き戸のドアを開き外に出ようとすると、微かに聞き覚えのある声がするのだった。

「誰かいるのー?」

ツジドー君だった。しかし声は聞こえるものの、この狭い四方の中に姿はもちろん見当たらない。

「ツジドー君?みんな心配してるよー。警察沙汰になってるんだよツジドー君。やり過ぎだよ。何処にいるの?」

「うーんとね、入って右側にある床板なんだけど、そこ、外してみ」

警察沙汰、なんて物騒な単語を意にも介さないツジドー君から言われたとおりに入口のドアから右手にあるベニヤ板に視線を向けると、マンホール一枚ほどの円形にくり抜かれているようだった。ぴっちりと嵌め込まれているので手こずったが、何とか外すことが出来た。

「下りといで。」

穴があった。天井の蛍光灯の明るさでは深さが測りかねた。ツジドー君はこの穴の底に居るらしい。穴には縄はしごがかけられている。どれほど降りればいいのか見当もつかなかったが、ツジドー君は確かにそこにいる。一段、一段踏み外さないように私は縄はしごを下り始めた。縄を握ればいいのか木材の部分を握ればいいのか、勝手がわからず身体が揺れて怖かった。何メートル下りたか、途中で縄ばしごが終わっている。

「ねーえ、下りられなくなっちゃったよ。」

「そこからジャンプしてみ。」

何を言っているのか、命知らずにも程があるだろう、彼は1人でここまで辿り着いたのか?大人だって躊躇するに違いない。しかしツジドー君の声はもうすぐそこから聞こえているようだ。意を決して、死にはしない、死にはしないと先ほどから脳裏にちらついていた母親の顔を掻き消さんと縄ばしごから手を離した。すると、地面までは想像していたよりも近く、1メートルほど落っこちて尻餅をついた。便所サンダルは砂利だらけになり、立ち上がると砂粒が入り込み痛かった。

ツジドー君が居た。そして、その奥、段ボール箱が積み重ねられており、陰でおじさんがしゃがみ込み、ごそごそと箱を開け、まさぐっている。

話を聞いていると、おじさんは不老不死であり、江戸の終わりからずっとこの姿で生き延びてきたのであるらしく、古今東西あらゆる哲学書を読破してきたのだと。人間の汚い面やいやらしい面もたくさん見てきて、人々のモラルは時代を追うごとに腐っていく一方だ。だからここで自分は、未来ある子どもたちのために道徳の塾を開くことにして、正しいこととそうでないことの見極めのできる人材を育てていくことにしたのである、そしてこの穴は貴重な財産を隠しておくための金庫なのだ。といった内容を早口で喋ってくれた。あれだけ声を発しなかった人とは思えないぐらい捲し立てられた。意外と声が高いんだなあ、と思った。不老不死なのに。

段ボール箱の中にはうんとたくさんの古くていかめしい本や、価値の有りそうな骨董品がしまい込まれていて、聞けば今日の授業の教材である四書五経のうちの1つ『論語』を引っ張り出してこようとしたものの、初めての生徒来訪にしまった場所を忘れてしまったらしい。多分駅前の本屋さんにも売っていると思うのだが、声をかけるのも申し訳ないほどに探し物に没頭しているし、支持されたとおりにツジドー君は別の箱を漁り始めている。入塾から信頼関係を築くまでが早すぎる。

あ、そうだツジドー君、帰らなきゃだめだよ。両親も心配してるし、いろんな大人に迷惑がかかっているからさ。そう提案するとツジドー君は立ち上がり、じゃ、おじさんまたね、とえらくあっさり別れを告げ、踵を返して縄ばしごを上り始めたのだった。おじさんは箱の中身を覗くばかりで振り返らなかった。返事もしなかった。我々はそれぞれの家に戻った。案の定母親からはこっぴどく叱られたが、それよりも事件が解決した安堵感のほうが大きくそれほどカミナリは落とされなかったように覚えている。

翌日の学校の帰りに公園に来てみるとおじさんは居なかった。この出来事があってから姿を見なくなってしまい、いつしかプレハブ小屋も撤去されてしまった。以降、ツジドー君とドッジボールをする時はかならず新品が使えるので彼は一躍時の人になった。

大人になり、久しぶりにこの前同窓会があった。今では地元のクラブで小学生たちに体操を教えている、というツジドー君は、周りの連中に比べると老けるスピードが遅いように思えた。

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