劣等感について

前回の記事でビートたけしの小説『アナログ』について書きますと予告したのですが、予定を変更して表題について書きます。こういうことがあります。全く今回の文章に関係がないわけではないのですが申し訳ありません。

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この文章を書いている私はサラリーマンであるが、ビートたけしに嫉妬をしている。何故ならあれだけ漫才師として・お笑いのタレントとして類を見ない大成功を収めたのみならず、明治大学の工学部に合格しており、『たけしのコマ大数学科』では現役東大生と張り合うほどにまでの数学の才でやりあっている。

同じようにタモリにも嫉妬している。何故ならあれだけ司会者として・お笑いのタレントとして類を見ない大成功を収めたのみならず、早稲田に受かっており、ジャズ研究会でトランペットを吹いている。基本的に私は、趣味の範疇でさえもマルチである人間に異様なほどの嫉妬を覚え、ましてやその趣味の範疇を飛び越え、収入に繋がる管を複数本束ねて持っている人間に異様なほどの嫉妬を覚える偏執病を患っているようである。おそらくは、今日本で唯一、一介のサラリーマンとして「ビートたけし」と「タモリ」のお笑いビッグ3の内2人に嫉妬を抱いている人間であると思う。明石家さんまは高卒だから「頑張っているな」と大して妬みや嫉みめいた感情は抱かない。私は終わっているのか。

森田一義は早稲田大学に受かっているけれども、この文章を書いている私も同じ大学に受かった。ただそれは、記憶のない高校時代を過ごした代償としての成果であって、受験勉強をする時間があっただけだ。楽器も一切弾けないし絵も描けない。人前も苦手で、言葉が出ない。同級生には、軽音楽部でシューゲイザーなるジャンルの伴天連音楽を奏で、LovelessだかスーパーカーだかPsycocandyだか知らぬが目を閉じたままボリュームのつまみだけ右に捻りまくり、聴衆の鼓膜を引っぺがすような不逞の輩のくせに京都大学に受かった者もある。センスでひとつまたぎふたつまたぎしているような奴が勉強まで出来るんじゃないよと未だに歯噛みする。

劣等感、という感情は人間を突き動かす根源の燃料でありバルクでありトルクでもあるだろうか。一度収縮してからのバネで彼方に飛んでいく。形而上学を物理学に置き換えられるとしたならば、必要不可欠のエネルギーだ。

チューリップに『青春の影』という曲がある。「自分の大きな夢を追うことが/今迄の僕の仕事だったけど/君を幸せにする それこそが/これからの僕の生きるしるし」というフレーズがある。私は、この曲が世にある・存在する時点、我らの抱く劣等感、敗北を題材に、諦めの境地を芸術に昇華している作品として世の中に認識されている時点で、かなりアキレス腱を切られたかに近い痛みを覚える。この詞と痛点が通った段階で、直ちに死んだほうがいいのではないかとすら思う。その諦めは諦めとして、本来であれば遺されずに霧消していったはずなのだ。「愛する人の幸福」を掲げ、自分の夢を捨てた人間の言葉が遺っていてはならないのだ。然しながらそれは1974年に発表をされてしまった。財津和夫による圧倒的な残酷人生絵巻に、手を繋いで中央線快速に飛び込む連中が多発しなければならないのだ本来ならば。

劣等感という感情は安易に用いてはならないと思う。既に世に出て、名を馳せ、地位を築いている或いは途上にある人が居る。こんなインターネットのようなものがあるから、弊文章のような愚にもつかぬ珍で歪な「何か」を世に出すことが出来ているわけだけれども、インターネットのようなものがある為に天井から発される声は世におしなべて届く。「エンタメ」タブでニュースサイトの見出しを流し見していると、わたしを突き動かすのは劣等感、という記事が目に入った。度々そういうことがある。

名を挙げることはしないけれども、そのインタビューを受けている人間が「わたしの根源にあるのは劣等感だ」と言う。そこまで登るまで、くすぶって這いつくばっている者共も履いて踏み潰すほど有る中で、そのような者共が攀じ登る蜘蛛の糸として「劣等感」がある。が、酷なことに「劣等感」の熱量においてすら尚勝る人間に、自分の存在や位置を食われてしまうのである。言うなれば、あんたの位置まで登ったらラッキーでやんす、大儲けでやんす、一丁上がりでやんす、と思うているようならば今すぐに死すべし、突き詰めても突き詰めてもそこには劣等が待ち受けているのだぞ、という宣告なのである。うそでも、世界平和であるとか無病息災であるとか、大言壮語をかましてくれよ、隔世を感じていたい。爆心地に近ければ近いほど、自分の存在する理由ごと吹き飛ばされそうな錯覚が有る。

『青春の影』が唯でさえお命頂戴なのに、登場する「君」がそばに居ないのなら、殺人ならびに自殺をしてもおかしくないのではないかとすら思う。「マウントを取る」という表現があって、なんだか無性にあんまり下品で好きじゃないが、誰だって「そうは言ってもあんたよりこっちのが劣等だぜ、境遇が酷いぜ」の応酬で不毛をやる時代ではないようだ。縦軸横軸絡まりこじれている。だからこそ、シンプルに打破できるくらいの面白さを闊達に無碍に披露できる人間が勝ってしまう。しかし朽ちていく人間の側に添いたい、どうすれば、と思い、DMMに5千円チャージした。お金を使えば一旦スッキリするからだ。

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次こそビートたけしの『アナログ』について書きます。

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