こだまさんの話

インターネット大喜利のサイト「大喜利名人維新」の「ボケクエスト3」という企画に、こだまさん、お笑いの木田、富山県富山市のケンドーアラシさんとチームを組み、出場することになった。出場することになったというのは、おのずからボケクエスト3に出ようぜ、と誘ったわけでなく、とある人からお前らが組んで出るがよいだろうと教唆されて何時の間にやら登録まで完了していた。こだまさんは「あるがままに」あればよいだろうという考えの方なので恐らく2つ返事で恐縮しながらもOKを出したのだろうし、ケンドーアラシさんは待望の第一子出産でインターネット大喜利どころではないのにお笑いから生まれたお笑いおじさんだから参加してくれた。木田はあまり何も考えていない。今度会うときに美味しいてんぷらをおごってもらおうぐらいしか頭にないと思われる。私が木田に飯をおごるのは、お笑いで売れてがんばってほしい、精をつけてほしいといった献身や、学生街の食堂のお母さん的な振る舞いではなく、目の前で太っている男性がカロリーの過剰摂取で爆発して死ぬ瞬間が見られるかもしれないという一抹の期待からでしかない。

正直に告白をするけれども、私は去る2017年の年初にこだまさんの処女作『夫のちんぽが入らない』が発表された時に幾許かの「距離」を置いてしまった。また要らぬ嫉妬心を抱いてしまったがゆえの行為であり、意味づけ・こじつけも特にはない。当時私は堺市に住んでいて、毎日南海高野線中百舌鳥駅を利用していた。駅構内には天牛堺書店があり、3坪ほどの小さな本屋なのだが、そこにも平積みで夫のちんぽが書店員おすすめのポップ共に平積みになっており、そのうち7万部突破のオビが新しく巻かれた。7万部、「アドラーのちょっといい言葉」とかそのようなレベルで売れだし、著名人が褒め、新聞に広告が載りと、メディアの大みこしにちんぽが祀られ、漫画化、ドラマ化、映画化と次々に展開が始まり、2作目『ここは、おしまいの地』も上梓され、としてる間に初期の段階で波を見送ってしまった私は寮の部屋に帰り蹲ってじっとしていた。今年の5月に爪切男さんとの合同イベント『病人、西へ。』で来阪もされていたのだが、どの面下げて行ったらいいかもわからずに家でうつ伏せになっていた。

今回こだまさんと、たまたまではあるけれどもチームを組み、接する機会を得て久しぶりに直接やり取りをした。そのような最中、北海道胆振東部地震が発生、暫く停電があり、こだまさんの住む辺りも被害に見舞われたこともあって、この人は何のきっかけの衝撃で命を落とすかわからない身体状況なのであるから、今更褒めたり、感謝したりするのに躊躇する場合ではなく、ご存命であるうちに伝えたいことがあるならばなるべく伝えるようにしようと考えを改めた。何故ならばかなり死ぬ確率が高いからだ。

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初めてお会いしたのは2010年の夏、私の父親が札幌へ転勤となり、社宅に泊まれば宿代が浮くと北海道に遊びに行ったのがきっかけで、北海道在住のインターネット大喜利に勤しんでいる人々のオフ会がすすきので開かれるらしいと、偶然誘っていただいたのが縁だった。「家族の数だけ星印のタトゥーを背中に彫っているスキンヘッドの男性」「ラッキーストライクを吸い、ピアノの調律師の免許を持っている童貞の男性」「どんなお題にも一生下ネタを投稿し続けており、実際に会ってみると朽木のようなおじいさんだった」など、『クッキンアイドルあい!まい!まいん!』のキーホルダーをバッグにぶら下げていた地球でいちばん面白くない大学生だった私は、周囲の人間の、生き物としての物語と熱量に圧倒されるばかりだったのだが、中心に座り、ラーメンサラダを細々とつまみながら甘くて赤いお酒を嗜み、左頬に正四角形の絆創膏を貼った真っ白の女性がこだまさんだった。地方誌のライターか何かをされていた頃で、牧場の取材でヤギに襲われて逃げたところ鉄線の柵に顔面から突進したらしい。イッテQだ。

私は女性と喋る機会がほんとうになく、こだまさんでさえと言ったら大変失礼なのは百も承知だがこだまさんでさえ緊張し目も合わせられなかったが向こうもコミュニケーションが不得手である為にしどろもどろになり、まともに会話できたかどうかは今となっては定かでない。後に同人誌として出版されたブログ『塩で揉む』は当時インターネット大喜利をやっていた人間は誇張抜きに全員読んでいただろうが、私もまともに影響を受けた一人であり、こだまさん、たかさんの文体や話の運びを意識しすぎている文章を書いていた。

それから何度か東京や札幌でお会いする機会があり、その都度なにがしかの相談、主に女性って意味がわからないです。宜しくお願いします等の愚痴だったとは思うが、全部受け止めてくださり、私が当時精神に国が決めた名前のついている女性に惚れ、後に首の骨が折れるんじゃないかというぐらいの罵倒の後に失恋、勝手にメールでご報告したときも、いつか君は報われるのだから大丈夫、と言葉を掛けていただき一命を取り留めたこともある。

文庫化に際してようやっとじっくりと腰を据えて読んだ。面白いとやっぱり笑うというよりも真剣になる。悔しいのでずっと眉間にしわを寄せていた。星1つのアマレビュを寄せている人々と同程度に顰めながら読んだ。

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「入らない」話が主軸になるのだが、それなら病院に通えばいいではないか、身近な人間に相談すればいいではないかと解決策を呈示する人もある。どうして世間一般が示すところの正常に至れないのか、と。置かれた状況や内省をかなり緻密に書いており、無論こだまさんが真っ直ぐ表現をしているからのめり込んでしまう部分もあるのだけど、正常に戻さんとする、はたまたリアリティを疑う、というような意見は度量が狭いと思う。こだまさんが正常であればそもそも「書く」や「吐露」という行為をせずに済むのだから。

こだまさんには「自分への否を過剰に感じてしまう自分」を見据えるほどの、数段階向こう側にある冷然な目線があって、起こった出来事の数々から暫しの時を経るにつれ養われたのだろう。しかし不幸をアピールはしない。私はこだまさんの慎ましさ、倹しさに最も尊敬を覚える。そこにプラスしてインターネット/リアルの壁を超えて「正常」ではない人間を引き寄せる、気の毒だが不思議な引力が備わっている。死なない限り敵はないと思う。身バレしたとて、いくら時間がかかっても文章でひっくり返すだろう。最大の敵は単純に死である。死んでほしくないからみんなでお金をあげて、助けてあげなくてはならない。

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