Velociraptorize

その居酒屋では普通に恐竜が働いていた。恐竜は3本しか指が生えていないから、複数の中ジョッキを運ぶのに安定しない。よたよたと座敷に登る時も両脚を揃えてジャンプするので手元が狂い、サークル新歓の集まりで騒ぐ大学生の卓にシャンディガフをぶち撒けた。サークル連中は店員が恐竜だというのもお構いなしにがなり立て、責任者の平身低頭な謝罪を要求した。

海鮮居酒屋池袋西口公園前駅店店長の蠣殻は咄嗟に小型恐竜の頭を掴み、同時に頭を下げた。頭蓋骨の形状が小ぶりなためグリップが利く。手馴れたものだった。

DNA解析で恐竜がこの世に蘇ってからさほど年数は経っていない。メキシコのユカタン半島に直径10キロの巨大隕石が落ちた衝撃で恐竜時代の終焉を迎えてから6500万年ほどが経過した。隕石は大気圏に空洞をぶち開けるほどの威力で突き刺さり、真空に向かってなだれ込む気流に乗って硫酸の霧が地球に蔓延、2億年続いた恐竜時代も呆気なく、容赦なく幕を閉じたという。呑気な顔をして水辺で避暑気分に浸っていたところにいきなり硫酸が降り注いだのだ。可哀想に。蠣殻はこいつらの爺さんの無惨な最期に思いを馳せた。ただ、あの辛く長い冬の時代を経ずに突如の現代なもんだから芯が弱く、大学生風情に怒鳴られてもやり返せなくなったのかもしれない。恐竜が人間に頭ごなしに怒鳴られている光景というのは太古のロマンとかジュラシックとか或いは爪!牙!的な豪壮・勇猛からは全くかけ離れたさもしさが有る。

蠣殻の店で雇っている恐竜は、図鑑には「ヴェロキラプトル」という名前で載っている、観たことが有る人間にとっては映画『ジュラシック・パーク』で研究施設で金網の隙間を縫って俊敏に主人公を追いかける、あの群れを成して獲物を付け狙うのが得意なあれのことだ。割り合いに小型めの恐竜である。映画では爬虫類然として描かれているけれども、以後の研究によると身体が羽毛で覆われていたことが確実視された。しかしどの部分にどのように毛が生え揃っていたのかには諸説あり、全身びっしりと覆われていたとか或いは飾り羽のようにトサカ部分に申し訳程度に生えていたのだ、と主張する学者もあった。が、いざDNA復元技術が発達しこの世に現れさせてみると、「のど」の部位、人間の男性であれば喉仏と言われるあたりにそよ風のような毛が生えているのだった。なんでなんすかね、とよくよくまた研究を重ねるにつれて判明したことは恐竜はのどが相当柔らかいという事実だった。その弱点を保護する目的で若干のうぶ毛が生えていたのである。お遊びのような逆水平を打つだけでものたうち回る恐竜の姿は、幼い頃から恐竜博士になるのを夢見た研究員のロマンを粉々に打ち砕いた。調べれば調べるほど、小型恐竜であれば手懐けるのはそれほど難しくなく、また2億年間地球を制覇していただけあって知能の発達具合も申し分ない。SF作品で恐竜が絶滅していなかったIFの世界を描くものなんかがあるけれども、あながち当たらずとも遠からずといったところで、幼年期の恐竜に物を覚えさせるカリキュラムもかなり優秀なものが出来上がった。分類学的に彼らは「脳の割り合い大きい鳥類」に近く、しかも従順で存外に刷り込みが容易いのだ。複雑な業務でなければ人間の代わりを務めさせることも可能なまでになった。日本の人口が1億人を割ろうかという時代、重労働な割にもらいの少ない介護業や飲食業ヘルプ、または単純な軽作業に恐竜が入ることは珍しくなくなった。池袋のサンシャイン通りに行けば、コンタクト屋のポケットティッシュを片手に通行人に無視をされ続けている小型恐竜の姿も見られる。人間の時代はこれで心を蝕まれ発狂する者が続出したため、このアルバイトも即座に恐竜に取って代わられることとなった。押し寄せる「恐竜化」の波に社会は抗えなくなっていた。

蠣殻も、私大近くのチェーン居酒屋という労働にあたっては最悪とも言える環境でよくよく工夫をこらし、客、バイト、本社などから掛けられるそれぞれの圧力を適度に具合良く散らしながら懸命にやっていたのであるが、限界が近づいてきた。かなりの頻度でシフトに入っていた店長代理のような面をした男が芸人の世界で食えないまま満四十歳の誕生月にタイムリミットを迎え実家の九州に強制送還、空いた穴は塞がらず、長続きしない十把一絡げのフリーターたちをその穴に投げ込み投げ込み息を繋いでいたのであったけれども埒が明かない。様子を伺いに来たエリアマネージャーにはかねてより散々「回ってないじゃん。あれ?回ってないじゃん。」と嫌味を言われ、回ってないのはお前に言われなくてもわかってるよ。そんなこといちいち指摘しにのこのこ現れるぐらいだったら尻でも追いかけていたほうがいいんじゃないの。女の。うるせー。となかなか火の通らないホッケのひらきの腹側に向けて小声で愚痴をこぼしてばかりだった。だからといって確かにもうこれ以上どうにもこうにも回らなくなっては仕方がないので蠣殻は渋々「恐竜を雇う」という選択をした。雇う、といっても求人を出し応募してきた恐竜を面接するのではなく、恐竜を斡旋する派遣会社があり、その担当とやり取りをしながらどの種別の恐竜が適しているのか割り出した上で納得の後に紹介料を支払うという流れになっている。力仕事の多い職場であれば大きな恐竜が活躍する。再開発のエリアで鉄骨を運ぶブラキオサウルスなんかよく見るようになった。

本社の得意先である恐竜斡旋業者からやってきた男と何度か面談を重ねた上で、うちにやってきたのはヴェロキラプトルだった。蠣殻も小学生時代にジュラシック・パークを日曜洋画劇場なんかで観ており、恐竜や怪獣に対してその辺りの少年並みには憧れを抱いて居たのだが、アルバイト初日に現れたのはいかにも自信の無さ気な、伏し目がちな、明らかに首の角度が深く皮膚の弛んだ奴で、業者の後ろから恭しく付いてきてたのだった。生娘かと思った。

「すみませんが、こちら預けさせていただきますのでなんかありましたら連絡くだされば。問題なんか起こそうもんならすぐ交換対応致しますんで、まあでも去勢手術させてもらってるんで、人間に襲いかかるのはまずあり得ないんですし、万が一暴れだす兆候があったら、のどのところですね、こう軽く小突いていただければ大人しくなりますから。何か質問あります?」

「今更ですけど衛生面とか問題ないんですよね?映画とか見てると、結構口角からよだれとか垂らしてるイメージありますけど。」

「大丈夫です。あのこれですね。上顎と下顎を固定する、まあハーネスみたいな器具なんですけど。平常時はこれでがっちりロックしてますし、自分では外せないようになってますから。叫び声の対策なんかもバッチリなってますんで。」

「注文取るのは?ハンディは使えるんですよね?」

「もちろん仕込んでます。人の言葉も完全に解してますから、居酒屋の雑音の中でも差し支えないぐらいには聞き取れますよ。テスト済みです。」

「人の言葉を理解できるって言っても、喋ることは出来ないわけですよね、注文のリピートなんか人間のマニュアルには入ってるんですが、この辺りはどうなんでしょう。」

「大丈夫です。大丈夫。だぁいじょうぶっすだいじょうぶっす。大丈夫。」

業者は、最後の方もはや半歩ずつ後ずさりながらエレベーターに乗りそそくさと帰っていった。一体のヴェロキラプトルが確かにそこに居る。他のバイトの女の子も入ってきた。怯んでいた。そうだ、恐竜を他のバイトの子らにも紹介しなければならない。「彼が今日から入ったヴェロキラプトルです。分からないところも多いと思うから助けてあげてください。それでは、今日も一日宜しくお願いします。」で業務に入れるだろうか?不安は募るばかりである。

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業者はマニュアルにぬかりは無いから心配をせぬようと念を押して帰っていったけれども、その後現場に立たせて初めて見える瑕疵がいくつも見つかった。

海鮮居酒屋と看板には申し訳で書かれているがメニューのど頭に刺し身や丼を持ってきているだけであって、以下は無難に串類盛り合わせ等多々用意しており他のチェーン居酒屋と十把一絡げに括っていただいて全く問題ないのであるが、この串類は塩味にするかもしくはタレ味にするか、事前にお客様に了承を得た上で厨房での調理に移るのであるが、人間でも時折客がどちらを選択したのか把握に苦労を要するのにましてや恐竜にその役目を仰せつからせるのはかなりヘビーな役目なのだ。この串類の注文、アルコールの回った状態になるといちいちフレーバーの選択を強いられるのに客側は鬱陶しくなり、「すみませんが、タレと塩、どちらになさいますか?」とお伺いを立てた瞬間になんだお前はと剣呑な雰囲気になることもしばしばで、そのような一触触発的イエローアラート的な空気を如何にして察知・回避・収拾させるかにはマニュアルではなく人間力が試される側面であるのだが、これを恐竜に任せるのがかなり難しい。恐竜たちは仕留めた獲物に塩だのタレだので味付けをした経験がなく、皮はカロリー過多だからダイエット中は遠慮するとか肉を一度挽き、捏ね、焼いたものに卵黄を塗りたくるとか甘ったれた余技なんかに凝っている場合ではなく目の前の死体に食らいつかねば明日生きていけるかもわからない世の中なのである。つまりは「なんでこんなことしなければならねえの?」という落とし込み・納得・消化ができず、いつまで経っても段取りを覚えられないのだ。彼らには、「皮」「もも」「やげん軟骨」などという「部位」で串を判別することが出来ない。大まかに「肉」なのである。唯一、焼き鳥串を提供していて利となるのは、賄いでいちいち火を通す必要がなく皿の上に串から外した生肉を置いておくだけで旨そうにむしゃむしゃと食いだすぐらいである。然しながらこの問題は呆気なく解決した。「訊かない」ことだ。蠣殻は問答無用でタレを塗る方針を固めた。メニューも本部に依頼し写真を全てタレの串に刷新、なきゃないで塩を頼む人間もあまり居ない。豪腕である。

アルコール類も多種多様に分岐があるので覚えさせるのに苦労する。日本酒の銘柄なんかを恐竜に覚えさせるのは不可能に近い。チェーンの大衆居酒屋で訳知り顔で地酒のラインナップをふんふん言いながら眺めている馬鹿者どもにヴェロキラプトルをけしかけてお尻の肉を食いちぎらせたい、お代は結構ですと突っぱねたく憤懣やるかたない感情で胸が満たされる。全部一緒だよアルコールなんか。馬鹿か。帰ってね。と居酒屋店長にはあるまじきひん曲がった思考を包み隠している。ヴェロキラプトルが銘柄を間違えて怒鳴られるのが可愛そうでもありその都度苛つきを募らせたくもないので、どうせお銚子に注いだ状態で提供するのだからとあまりに繁忙する連休前の営業終業間際に頼まれた日本酒の中身を全部同じまま出したのだが全くバレなかった。

ヴェロキラプトルを飲食店アルバイトとして雇用する上での斯様な障害や紛擾を乗り越えながらもどうにかこうにか軌道に乗りだし、他の店員らもヴェロキラプトルの出来ること・出来ないことを判断出来るようになりフォローしながらも段々店の雰囲気もよくなり、フリーターや学生らもヴェロキラプトルが働いている職場で過ごした経験やノウハウがこの恐竜化社会で生き抜く上で決して小さくないアドバンテージとなると認識し始めた。エリアマネージャーは「恐竜、意外と働いているじゃん」と何の中身もない評価を下した。蠣殻は適当な酒を提供するようなやんちゃくれでもありながらスタッフへの献身には自分の身を削るのを厭わない男であったので、恐竜の一匹や二匹が迷惑を掛けたところで呑気な面をしており、存外に恐竜指導に対して才を発揮することとなったのである。休憩時間の折などに、こいつもボヤが上がったら瞬時に全焼するような消防法の抜け穴に建っている雑居ビルで働くよりも、恐竜らしく大草原を駆け抜けて本能の赴くままに躍動させてやるほうが幸せなのではないだろうかと、生肉を貪っている姿を傍目に見やりながら気持ちの揺れ動くこともあった。あんな訳のわからない、40で実家に帰った芸人崩れの男よりもよっぽど未来があるだろう。こんなところにいるんじゃない。ヴェロキラプトルじゃないかお前は。

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池袋西口公園はこの世で最も自然とは無縁の公園である。僕は勤務後この公園の一角に設けられた檻の中に毎晩帰っている。今日も人間に怒鳴られた。毎日のことだけど、今の平和な世の中から比べてご先祖様はろくに満足して睡眠も取れなかっただろうから、両目の瞼をつむって眠りにつけるだけ恵まれているのだと思う。人間と違って、働いたぶんお給料をもらえるわけじゃない。ただ毎日の安全が保証されているだけだ。それで充分だ。

大学生やサラリーマンの首に噛み付いたらどうなるだろうと考えたこともあるけど、周りの人たちも支えてくれるから不満はあまりない。僕の中の恐竜の恐竜としての部分はだんだん円く固まっていった。

檻の窓から星の光らない夜空をぼんやりと眺めながら明日はお銚子を慎重につまんで運ぼう、と反省しつつ身体をくの字に折り曲げて眠ろうとしていると、檻の外が騒がしい。酔っ払い同士のケンカか?とタカを括って、明日に障ると嫌なんだけどなあと入眠に集中した。あれ?カチャリと後ろの扉が開く。狭い檻の中、にじりながら頸を後ろに向けると、血まみれの店長だった。血まみれの店長は親指で外を指さしながら「早く!」のジェスチャーで必死だ。一度天井に頭蓋骨をぶっつけて、クラクラしながら外に出た。店長は鉄パイプを振り回し大立ち回りを演じたらしい。足元には、僕をここに連れてきた派遣会社の、見覚えあるスタッフが転がっていた。

僕の恐竜としての恐竜の部分は、互いに働いている内にいつしか人間である店長に乗り移っていたらしい。

「俺がヴェロキラプトルならな、ハリウッドに行くわ!馬鹿かお前は!ハリウッドに向かえ!のどをやられるな!姿勢を低くすれば、大丈夫だから。」
何が何だかわからないまま、僕は言われたとおり姿勢を低くして、生まれて初めて本気で走った。自分の疾走する姿を、ビルとビルの間から鳥の目線で見下ろしていた。パトカーを一跨ぎに跳び越えた。速いじゃん。めちゃくちゃ速いじゃん。何だこれ。ばかか?こいつら。

走る僕は海まで出た。深夜の埋立工事現場で働くブラキオサウルスが呼応した。ブラキオは鉄骨を放り投げ、テレビ局のビルの外壁にぶち当てた。ヘリポートで眠っていたプテラノドン達が目を覚まし西へと飛び立っていった。西の方で落ち合おうと叫んでいた。スケールがでかいな。恐竜の言うことは。港湾施設のプレシオサウルス部隊の曳くタンカーに乗り、僕はとりあえずハリウッドを目指すことにした。隕石が落ちる前にやらなければならない。

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