昔インドネシアの推しのバンドのCDを日本で出した話 ーDISCUSに関するあれこれー(2)

DISCUSの米国ツアー

前回触れたように、2000年10月、バンドは初の海外公演を米国で敢行しました。今回はその時の様子を雑誌News Music2000年11月号の記事を元に紹介したいと思います。
記事はカバーを含め、約5ページ。内容は演奏や反響以外にも、空き時間に誰誰は「散歩した」だの「Tシャツ買いに行った」だの、お上りさんの旅行記みたいな部分もあり、流石にその辺は割愛しますw。まあ舞い上がってる感が伝わって来るので、印象を損ねているわけではないですがw

で、米国ツアーの日程は以下の通り:
①980 O’brien Drive, Menlo Park, San Francisco (6th Oct. 2000)
②Prog Day 2000 Chapel hill, North Californa (8th Oct. 2000)
③Knitting Factory New York (9th Oct. 2000)

又ツアーには、Simak DialogのRiza Arsyad、初代ベーシストで後にAtmosferaにも参加するTerry Manuputiの2人が音響スタッフとして同行しています。

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ツアーの記事が掲載されたNews Musik 2000年11月号


1.Menlo Park (6th Oct. 2000)

初日のライブはプログレ誌「Expose」のPeter Thalenの主催によるもの。また、2000年5月号で同バンドの紹介記事を描いたTony Thijssenは80年代初頭インドネシアに滞在、一時期ドラマーとしてIndra LesmanaのバンドNebulaに参加していたとの事。
同地区は元々レコーディングスタジオ等が複数ある地域ですが、ライヴが行われたのは急ごしらえのせいか「倉庫」。もっとも写真を見る限り、収容人数的には東京の「ライヴハウス」と然程違いは無い感じ。オープニングアクトはGravity Tree。Discusはジャズフュージョン風の”Doc'sTune”から始め、前回の練習見学でも触れた新曲”Anne”で締めくくり。反応は上々で、この日の物販にあてた30枚のCDはSold Out。

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2.Prog Day2000 (8th Oct. 2000)

プログレ系のイベントとしては知名度のあるProg Day。ご承知の通りFlower KingsArti e MestieriKensoと言った大物級も出演するイベント。
2000年のProg Dayは10月7日~8日の2日間、出演バンドは以下。Hoyry Koneがトリだったんですね。

10月7日

Yoke Shire、Kopecky、Mary Newsletter、Landmarq、Matthew Parmenter、Salem Hill

10月8日
Discus、Tiles、Malibran、Hoyry Kone

2日目のオープニングに登場したDiscusは当時ほぼ知名度皆無に等しかったものの、その演奏はかなりの驚きを持って迎えらえた様子。流石に時間がたっているので当時の記録を見つけるのは難しいですが、ちらのWebSiteで非常に好意的な感想を見ることができます。また実際のところ、終演後のスタンディングオベーションや、物販でインドネシアから持参した残りのCDもあっというまに売り切れた等々、状況から見ても好評だった事は十分うかがえるかと。また主催のPeter Renfroも再度の招聘を約束する旨発言したとの事。残念ながら実現はしませんでしたが。
因みにこの8日は特に気温が低く、朝9度だった気温は昼には7度まで低下、寒さに慣れていないメンバーは大変だったようです。更にステ-ジは屋外。News Musikの記事では「Ekoはガタガタ震えながら演奏」と言った記述も。

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3ページにわたるPROGDAY2000の紹介記事


3.Knitting Factory (9th Oct. 2000)

西海岸から東海岸へ移動して、その日の晩の最終公演。Knitting Factoryでのライヴ会場はかなり小さめで「練習スタジオみたいな」Knittactive。オーディエンスは25人。ただ3日目という事もあり演奏も最もうまくいったそうです。3日間のツアー終了後、リーダーのIwan Hasanは、自国では「ポップス」でも「トップバンド」でもなく、聴衆も殆どいない自分たちのバンドが、こうして国外で演奏できるのは「まさに”自国では石の雨、他国では金の雨”だよ。」とRiza Arsyadが漏らした言葉を拝借してその興奮を語っています。実際この時点でインドネシアでは、4年間で6回しかライブが出来ておらず感慨もひとしおだったと思います。

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尚、この号ではDiscus米国ツアーにかこつけ?、「プログレは生き続けている!」といった3ページに渡る特集記事も掲載されています。

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4.帰国後

で、帰国後のDiscusのライヴ回数が増えたかと言うと、そんなわけあるはずもないのですがw、ほどなくしてジャカルタのヒルトンホテルで行った帰国凱旋ライヴは、観戦したRockindさん曰く相当勢いのある演奏で素晴らしかったとの事。
さてRockindさんのNoteにもあるように、ジャカルタでのAndy Juliasを中心としたプログレファンの集いは2001年、”Indonesian Progressive Society=IPS”の発足にまで発展します。当時のメーリングリストでの交流もさることながら、こうしたDiscusの活躍が大きな影響を及ぼしたであろうことは想像に難くなく、翌年以降のジャカルタでのプログレフェスの開催や後のPRS Records(Progressive Rock Sony)の設立にまで連なってゆき、そんな様子を見ていた自分は、いよいよ「インドネシアのプログレ・シーンは盛り上がるー!」と大いに期待を膨らませたのでした。

(続く)

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