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「走る哲学者」為末 大さんの言語化が素晴らしいから、この方の名言を集めてみました。

「元アスリート」という枠では、
収まらない為末大さん。
なんてったって彼の言語化が凄い。

昨今、言語化は、
どんなスポーツにも重要だと
言われはじめています。

けれどもこの方の言語化は
突出していると思います。

胸を撃つ名言も多く、
多くの気づきと、励ましを
もたらしてくれる名言が本当に多い。
いつものように自分のために残しておきます。

自分を蔑まない。
その一点で人生は開ける。

もし誰かに期待されていたら
早めにがっかりさせておいた方がいい。

ほっておくと人生がいつの間にか
人が期待する方向に向かい始める。

自分が幸せになる為に人を幸せにしている事と、
人の評価を高める為に人を喜ばせる事は違う。

すごいと言われたい症候群も、
がっかりされたくない症候群も、
バカにされたくない症候群も、
つまり他人にコントロールされている。

僕の競技人生は、
まさに「負けで終わった」けれど、
幸せな人生だったと胸を張って言える。
そう、負けと幸福感は別である。

世の中にはどうしようもないことがたくさんあって、
そこに出口がないなら、
どうにかしようがあることに
努力や時間を割いていったほうがいい。
あきらめたものが多いほうが、
ひとつのことに集中投下できる。

それゆえ成功しやすい。

全体のバランスで見始めると、
欠点が欠点だけで存在しているのではなく、
長所とセットになっていることがほとんどだった。
欠点には「存在する理由」があったのだ。

批判は攻撃だから反撃しやすいけれど、
期待は応援だから無視しにくい。
僕はいつの間にか人から期待されたい「いい人」になっていて、
その自分を見てファンになった人の期待に答えるために、
さらに「いい人」を演じていた。
本当の自分は違うのに。

自分の競技人生がいつか終わると強く意識した日から、
目の前の景色が変わって見えた。

引退後のアスリートが不幸に見えてしまうのは、
分かりやすい成功のイメージのみが残ってしまい、
ついうしろを見ながら生きていくからです。
これは元アスリートが抱える切ない問題で、
どうしても「(現役時代の)あのとき」に縛られてしまうんですね。

人は子どもの頃、
他人が自分をどう扱ったかで自分の扱い方を学ぶ。
そして大人になったら
自分で自分をどう扱ってるかを見て、
他人はあなたの扱い方を決める。

生きる事に意味は無いと言う事がなぜ言い憚られるか。
それは意味が無いものは存在してはいけないと
どこかで皆が思っているから。
だから意味があると言う。

幸福は山頂ではなくて
山登りにある。

羨ましい と上手に言えなかった人は
批判的になる。

スポーツの語源はデポルターレと言います。
憂さ晴らしのような意味で、
その後遊びという意味も足されました。
スポーツは勝つ為だけのものではなく、
人がよりよく生きる為のものだと私は考えています。

知りたくなかった自分を知り、
認めたくない自分を認める
のが、
自分探しの本質。

いいときも悪いときも「長くは続かない」。
だから不調でも過度に嘆かずに対策を考え、
好調なときも、それが過ぎた後の対処を
視野にいれるよう心がけていました。

目的に到達する経路はひとつとは限らない。
こう考えることができたら、
ひとつの道で挫折しても、
前に進み続けられる。

参加するレースは自分で決めたのか。
ただギャラリーが多いからそのレースを選んでやいないか。
レースはゴールして終わりではない死ぬまで続く。
死ぬまでやり通せるレースを選んだか。

変わりゆく自分を受け入れ、
常に新たな方法を創出する。

その生き方は、心の安定だけでなく、
豊かな人生をもたらしてくれる。

コントロールできないことに目を向けず、
コントロールできることに目を向ける。
体力の低下や世間の評価はコントロールできないことの代表格。
ここだけに目を向けていると、苦しさがつのるばかりです

現在の日本は、
「努力しても報われない」と感じる人間が
多数派を占める社会になっているように思う。

そして世間の人間のこの直感は、おそらく正しい。

あまりにも執拗に正論を言う時、
人は裏側に嫉妬とコンプレックスが潜んでいます。
大人になると面と向かって嫉妬心は出てきません。
もう少しいびつな形で噴出します。

「やりたいけれど出来ない事」より
「そんなに好きじゃないけれど出来る事」をやったら
結構楽しい人生になるっていうこと。

人を喜ばせる為に
生きてやいないか。

実際にはやめる事が簡単じゃなくても、
でもいざとなったら全部捨ててやめてしまおう
という選択肢が頭にあるだけで随分世界が違う。

逆説的だけど、本当に大事なものを無くさない為に、
やめるという選択肢を常に置いておくべきだと、
僕は思う。

英語が喋れないから英語は必要ないといい、
お金が無いから世の中お金じゃ無いという。
英語がしゃべれていれば喋れないやつはばかだと、
お金があればお金が無いやつはだめだと言っただろう。
それが他人に依存している人の特徴。

競技者が考え始めたら最初スランプにはまる。
それを抜けると本質を掴み始めるのだが
それにはセンスもいるし時間もかかる。
だから多くの部活動、実業団は囲い込んで一つの色に染める。

真の意味で幸せを掴むためには、
所詮は他人の価値観にすぎない社会的評価から自由になり、
自分独自の「勝利条件」を見出さなければなりません。

きれいな格好をしてお化粧もした女の人が、
我を忘れて何かをするのはなんか違和感あるでしょう。
夢中は我を忘れる事。
人目があるのも気にならない事。
だから結局自分をさらけ出せない人は夢中になれない。

欠ける事を日本は許さない様な所がありますが、
私は大いに欠けて結構だと思います。
隠せば欠けてる所は欠点ですが、
晒せば欠けてる所は魅力になります。

意味は無い。
しかしそれは問題ではない。
問題は意味が無い事をなぜあなたが問題だと思っているかだ。

「苦しさ」や「一生懸命」「必死」でやっている人は、
「無我夢中」「リラックスした集中」で
やっている人にはどうしたって勝てない。

自分を隠さない。
気が弱いんだったら弱いまま。
興奮しすぎるんだったらしすぎるまま。
短所はない特徴だけがある。
特徴をすんなりと生かした選手がグラウンドで輝く。

逃げてもいいんです。
耐えられないものを耐えようとすれば人は壊れる。

人を変えるには
自分の人生をかける必要がある。

極端に言えば、
育てる、はなくて、
育つ、しかない。

大人になって自分を認められるのは自分しかいません。
もう無条件で認めてくれる母親的存在はいないんです。

人生の勝利条件は本来、その人の価値観によって決まります。
「子供を無事に育て上げ、幸せな家庭を持たせること」が
勝利条件だったら、仕事では無理な働き方をせず、
出世も収入もそこそこでいいはずです。

成功体験の鍵は挑むと自分で決めたかどうか。
自分ではなく親や他人が望む挑戦は成功しても虚しい。

本当に、この為末大という人は
言語化能力が凄すぎやしませんか!


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