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もじパラでコンサート当日にうちわ文字をオーダーした話

はてなブログでよく見るジャニオタブログみたいなタイトルになってしまった。

3/24に春松竹が終わって完全にロスった私は翌日家に引きこもりながら大阪土産のお菓子やみたらし団子を爆食いし、それに飽き足らずラーメンやら焼肉まで食べていた。完全に寂しさが食欲に向かってしまった例である。
明けて翌日。朝から食べ過ぎにより胃がむかむかする。当然である。胃薬を飲んでだいぶ症状はマシになってきたけど午後から寒気までしてきたのでこれはやばいと早く寝る事にした。そこに飛び込んできた「WESTのリハにツアーバック以外の関ジュがいるらしい」という遭遇情報。春松竹終わって寂しい気持ちをWESTコンで切り替えようと思っていた私にとって寝耳に水すぎた。切り替えできないじゃん!体調も悪いしでうなされながら寝る。
起きて火曜日。寝汗びっしょりかいてて体調がだいぶよくなってたのに安心するけどまだ本調子ではない。夜になればレポが流れてくるからとそわそわした気持ちのまま正解を待っていた。
出てた。しかもさくらガール歌わせてもらってた。無理。春松竹ロスがひどいところにこんな仕打ち無理。こんなに早く自担と自担の現場が被ると思わなかったし、公演中は誰を見て誰のうちわを振ればいいか正解がわからなかった。わからなさすぎて思わず友人たちに「うちわ持ってかない」「そもそもうちわを持ってない」「初めてうちわ持つチャンスきたらもっとちゃんとしたの作っていきたいから明日は無理」みたいな話をしたら、揃って全員から「もじパラに行け」と言われる始末。付き合いの長い友人たちのアドバイスは自分より信用できると思い、もじパラ心斎橋店の開店時間を調べて慌てて明日乗るはずの特急を1時間早めた。
当日。上がったり下がったりのテンションで移動中もあまり寝れなくてガンギマった状態でなんば着。御堂筋線で心斎橋までひと駅電車乗るのも宙に浮いているような気持ちだった。開店直後のもじパラに駆け込んだら切り出し済の文字シートが売り切れてる。気を取り直して店員さんに「今から文字オーダーするとどれぐらいかかりますか?」と聞いたら20分程度との事。勝訴だ。全然開演に間に合う。震える手でオーダーシートに記入してお会計終えて、第一関門突破の達成感から心斎橋→松竹座まで歩いて聖地巡礼してきた。つい数日前まで春松竹してたのにすっかりワンピース歌舞伎仕様へと変わっていた松竹座を見て現実に引き戻されたような気分になった。ああ、春が終わっちゃったんだな。
ちょうどいい時間になったのでもじパラに戻るとWESTコン用に買い物に来ている人たちで賑わっていたので早めに来ておいてよかったと思う。レジで文字の確認作業する瞬間なんだかドキドキした。長堀鶴見緑地線で大阪ビジネスパーク駅まで移動して一緒に入るWEST担の友人と合流して会場へ。まさか一緒に入ろうって話をしていた時は連番者がバックにつく関西ジュニアのうちわを持ってくるなんてお互い想像してもなかっただろうに、受け入れてくれてほっとしてしまった。早めに入場できたので急いで席についてうちわに文字を貼る。自意識過剰だから周りの目を気にして授業中隠れて早弁する人みたいにこそこそしてしまった。
うちわも完成していざ開演、デビュー戦。3曲目から目の前の外周ドンピに来て立ち位置移動せずにずっと踊ってるからさすがに笑ってしまった。私はこういう時の悪運だけは強い方だけどそれにしても。綺麗事みたいだけどレス欲しいとかそういうのは二の次で、好きな人のうちわを立ち位置でひたすらぶんぶん振れるのってこんなにも楽しくて嬉しい事なんだな~~というのを噛みしめていた。
夜は昼に立ち位置メモっててあの曲で立ち止まる!って場所のほぼ数席ズレぐらいの席を引き当ててまたそわそわする。そしてその曲が来た。また踊ってるとこにうちわ振れるだけで幸せだよ~って思いながら全力で振っていたら、あれ?うちわ?見て??くれた???気づいて??くれた???という瞬間が訪れた。こういう時証人が自分一人しかいないと全ての信憑性に欠けてくるが、踊りながらだし私も名前うちわしか持ってなかったからあれだけどうちわに気づいてあっ!って表情をしてからまたにこやかに笑ってくれていたと思う。それだけでHAPPYだった。大きな大きな大阪城ホールの客席で、君のファンのひとりだと思ってもらえていたらこんなにも嬉しい事はない。改めて、私の性格をよく知ってる友人たちには背中を押してくれてありがとうと言いたい。そしてもじパラには困った時の駆け込み寺として今後もお世話になる事でしょう。
その昔、とある先輩のコンサートを見るべく城ホに行った時、予告も何もなしに大阪公演だけ当時関西ジュニア所属だった自担がバックについた事があった。まさかバックにつくとは知らずうちわも何も用意していなかった私は昼公演と夜公演の間に城ホの噴水のところでうなだれていた。当時はもじパラなんて便利なお店はなく、うちわを家まで取りに帰っていたら夜公演が終わってしまう。そして友人からは「ジュニア担たるもの、いついかなる時も自担のうちわは持ち歩きなさい」という教えを受けた。対象は別の人になったが、当時の後悔を何年越しに同じ会場で昇華できたような気がする。そしてその時うちわを持てなかった自担が今は城ホでメインを張ってコンサートしているデビュー組の自担だ。ジャニオタのうちわで好きを伝えられるコミニュケーション、ずっと愛したい。