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国産スギ合板の可能性を追求する名南製作所

国産材、とくにスギを利活用するためには、機械メーカーの果たす役割が不可欠である。例えば、国産スギの大口需要先となった針葉樹合板は、合板機械メーカーの技術開発努力が結実したヒット商品である。ただし、合板の原料を大径の外材から小径のスギに転換し、生産工程を軌道に乗せるまでには、前例のない苦労があったとされる。そこで、遠藤日雄・鹿児島大学教授が、合板機械メーカーのパイオニアであり、スギの利活用でも先陣を切っている(株)名南製作所(長谷川克次・代表取締役会長、愛知県大府市、以下「名南」と略称)を訪ねた。名南は、合板機械の「三種の神器」の一つといわれるロータリーレースで圧倒的なシェアをもつ。国内のシェアは、ほぼ100%。東南アジアへの合板機械輸出でも8割以上のシェアを誇る。そのトップ企業・名南にとって、スギとはどのような材料なのか。加工する上での課題は何か。そして、これからどのような展開が見込めるのか。機械メーカーならではの具体的なビジョンが明らかになる。 

自由な「共和国」が26年前にスギの活用を決断

  遠藤教授を出迎えた長谷川会長(80歳)は、一代で名南を築き上げ、日本の合板産業を陰で支えてきた立志伝中の人物と言える。だが、過去の業績を誇示するようなところは露ほどもない。あくまでも一人の機械屋、開発者としての姿勢を堅持し続けている。
 その長谷川会長は、遠藤教授を社屋2階に案内した。ワンフロアに間仕切りがない、オープンな仕事場だ。長谷川会長や服部行男社長らは、ここで社員と全く同じように仕事に取り組んでいる。
 名南には、堅苦しい社内規則はない。タイムカードもない。基本的に、社員は一切管理されない。徹頭徹尾自由である。要するに厳しい自己管理が要求されるのだ。若き日の作家・猪瀬直樹(現・東京都副知事)が同社を取材して、「発明発見専門の小さな共和国」と表現しているが、言い得て妙だ。

遠藤教授 
  スギとの出会いは?

長谷川会長 
  敗戦後、拡大造林が始まった。それが昭和50年代の中頃から間伐、間伐という言葉が聞かれるようになった。木材加工機械メーカーである弊社としても気になった。そこで昭和56年秋に、社員とともに愛知県の豊根村森林組合を訪れ、実際に間伐をしてみた。さらに、伐採したスギ間伐材を、合板に剥いてみた。そのときの「剥き芯」がこれだ(写真)。

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スギ間伐材から合板を試作した際の剥き芯(5.5cm)

遠藤  
  26年前にここまで剥いていたとは、驚いた。昭和50年代中頃から間伐材の有効利用が全国的な課題になる一方で、北米産地ではオールドグロスからセカンドグロスへのシフトが進み、合板用丸太の原料が南部の人工林サザンパインへと移行し始めていた。そのような状況変化をいち早く感じていたということか。 

長谷川 
  そのとおりだ。南洋材も枯渇し始めており、スギ間伐材で合板を製造せざるをえない時代が必ず来ると確信した。これが、間伐材用の合板機械を開発するきっかけになった。 

技術開発に特化したファブレス企業ゆえの成功 

  名南は、ファブレス企業である。自社で生産設備を抱えることはせず、外部の協力企業に生産を委託している。そして、名南自身は、技術開発に特化する。持てるエネルギーを技術開発に集中させることで、時代を切り開く新しい機械を生み出してきた。間伐材用合板機械の開発でも、この「強味」がいかんなく発揮された。 

遠藤 
  スギ間伐材用合板機械は、どのようにして開発されたのか。 

長谷川 
  後に「ガルパー3」と名付けられる合板機械の開発に、弊社のスタッフ陣が総力をあげて取り組んだ。まず、細い丸太をどのように挟んだらいいかが問題になった。スギ間伐材は、径が1〜2mもある南洋材とは比較にならない細さで、従来の機械では掴みきれない。要するに足場丸太だ。「こんなものでつくれとは、社長(当時)は頭がおかしい」とうちの社員も首をかしげた。 

遠藤 
  どうやって解決したのか。

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約110名の社員と日々対話を続ける長谷川克次会長

長谷川 
  社員には、他社の機械の真似はするな。とにかく原木を見ろ。ここから何をつくるのか、それだけに集中しろと言った。4㎜の単板を生産するためには何が必要か、社員一丸となって徹底的に考えた結果、基本的に径が太くても細くても関係はないという結論に達した。既成概念にとらわれない全く新しい発想が、スギ間伐材向け合板機械の開発には必要だった。 

遠藤 
  ガルパー3の1号機を納入したのは、林ベニヤ産業(株)だった。 

長谷川 
  試作機開発で手応えを感じ始めた頃、林ベニヤ産業の林一雄社長(第313号参照)が来社された。林社長はすでに米国南部でサザンパイン小径木の合板工場を視察していた。阿吽の呼吸とでもいうのだろうか、スギ間伐材で合板をつくる時代が来るという確信は同じだった。当時は、試作機の回りを壁で囲って、誰にも見せないようにしていたのだが、林社長に限って試作機の前にご案内した。とたんに、林社長の顔色が変わり、後ろ姿から緊張感が伝わってきたことを今でも忘れない。 

「雪が降る」スギは扱いづらかったが… 

遠藤 
  スギは、単板には剥きにくい樹種だといわれる。 

長谷川 
  弊社では、剥き芯3㎝まで剥ける機械を開発済みだ。ただ課題も少なくない。スギを剥くと「雪が降る」のには悩まされた。 

遠藤 
  「雪が降る」? 

長谷川 
  ロータリーレースでスギを剥くと、柔らかい春材(早材)部分が細かな切り屑となって、雪が降るように見えることがある。切れるというより、むしれるのだ。節に強いロータリーレースにしようとすると、刃先はどうしてもナタのような鈍角になる。そうすると、切り屑が増えて、「雪を降らせる」ことになる。「雪を降らせない」ために、試行錯誤を続けて、ようやくスギ間伐材に最適の刃先とメカニズムを実用化できた。 

合板に多くの可能性、スギ間伐材LVLにも挑む 

遠藤 
  スギを利用したボード類には、OSBやMDFなどもある。合板用以外の機械を開発する考えはないのか。 

長谷川 
  貴重な繊維質資源である木材を、OSBやMDFのようにやたらとセルロースを粉砕してしまうのはもったいない。木材の特性を活かしながら効率的に加工できる合板には、まだまだ可能性がある。しかも、合板は3×6サイズ(厚さ12㎜)に統一されており、製品の種類が少ないのも、機械メーカーにとっては取り組みやすい。
 ただし今後は、スギ間伐材をLVL、それも構造用LVLに加工する可能性も追求していきたい。国内での市場性は未知数だが、品質の高い商品を供給できるところまではきている。まだ、コストダウンが課題だが、弊社としては、スギLVL製造機械の開発にも全力投球することにしている。 

遠藤 
  ロシアが針葉樹丸太輸出に80%の課税をもくろむなど、世界的に資源ナショナリズムが再燃しつつある。 

長谷川 
  機械メーカーの技術革新もあり、スギは十分使えるようになった。ロシア材が入ってこないのであれば、国産スギをとことん使えばいい。日本人の技術の試し時ではないか。協力していこうと社員とは話し合っている。

◇      ◇  

名南の社屋入口の正面には「F=ma」という巨大な数式が刻まれている。ニュートン力学の第2法則だ。この「F=ma」という名南のテーゼには、「自然法則下では会長も社長も社員も同列」という意味が込められているという。長谷川会長は、「自由な発想には序列や権威などいらない。合板市場のニーズに応じて、必要な機能をモデル化し、物理理論に基づいて現実の開発につなげていくことが名南の使命だ」と明言している。
名南がここまで成長するには苦難の途があったが、F=maに象徴される自然法則の前に謙虚に、地道な努力を怠らず、今日の礎を築いた。その代表的な成果が、国産スギ間伐材に対応した合板製造機械だ。「小さな共和国」が、国産材利活用で起こした「革命」と言ってもいい。そして、名南社内には、これからも日本林業に「革命」をもたらすであろう自由闊達な活力がみなぎっている。

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研究開発棟では合板加工の可能性が徹底的に追求されている

『林政ニュース』第321号(2007(平成19)年7月25日発行)より)

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