夕刻のそば屋で死にたくなった話

日の傾いた時分、蕎麦屋で300円のかけそばをすすっていた時、突然と流れる演歌の渋い曲。曲名は知らない、歌手だけは知ってる。氷川きよしだ。

次の予定まで20分と時間のない中でツイッターをつらつらと見ながらズルズルとそばをすすり続ける。たまにワカメ、たまにネギ。味を変えつつ七味をかけつつ、何思うこともなく食べ進めて、早いところ集合場所のカフェに着かないといけなかった。

なおも氷川きよしの歌は流れ続ける。僕の席の向かいには疲れ切った表情の、顔色の優れないご老人が1人、同じくかけ蕎麦を、なんだか気の進まない様子ですすっていた。さらにその奥に設置された自動ドアのガラスを越えて白黄色の日差しが差し込んでくる、17:00はもう立派な夕方だ。夏至はもうひと月も前に過ぎたというのに、日はなかなか帰りたがらないらしい。

残すところあと2-3口、
不意に視界が自分から離れて、店内全体を見回せる様な感覚に一瞬だけ陥った。客は自分とご老人、2人同じかけ蕎麦を、業務用エアコンのゴーゴーとした機械音に、氷川きよしと夕日の演出。ただでさえ薄暗い店内が切なさとノスタルジーに包まれる。

突然に冷や汗が出てきて無性に死にたくなった。

何を呑気にそばを食っているのか。
何もしていないのに腹だけは減っているのか。
何者でもないのに何故食う権利だけはあるのか。

シメに取っておいたカツオだしの味は覚えてない、それよりも麺のなくなった器からボウボウと上がる白い湯気とダシの赤茶色のコントラストでさらに怖くなった。ダシを飲み終わる前に、水で口直しをすることもなしに、とにかく早く店から出たくなった。

劣等感と自己嫌悪とを感じ続けている自分自身を超えて、全てを度外視したフラットな自分の価値を突きつけられる現実がそば屋にはあった。 生きようとする覚悟の足りなさを見抜かれて社会から「出直せ」と弾かれた気分だった。

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新しく文章をつなぐ糧になります。

またいらっしゃってください_(._.)_
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じーこ

人間性にほだされる自分が嫌いでもそれが好きな自分もいる、強烈な自己嫌悪を活力にしながら生から引き下がれない意気地なしとしてのうのうと生きている人間です、日常目についたものをただ書き散らします。
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