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頭のなかにある思考のエッセイ

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自分のなかにもやもやと浮かぶものの輪郭をとらえたくて綴る、文章の置き場所。主に自分のための言葉たち。
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2022年7月の記事一覧

そっと、「自分」を置いておく。

「わたしを見て!」とアピールするのが、すこぶる苦手だ。 そもそも、注目されるのが好きじゃない。 例えば同僚4人での集まりで「それで、松岡はどう思うの?」と話を振られ、みなの目がわたしを一斉に捉えるような時ですら、逃げ出したくなってしまう(たいていの場合は一言二言答えて、誰か別の人に話をパスし、一刻も早く注目から逃れようとする)。 そしてそれはプライベートの会話だけでなく、仕事においても同じ。 会社員だった頃は、さほど注目を浴びる場面がなかった。まだ新入社員だったし、経理

もう背負わないっていう選択も、できるのだよね

「そんなもの、大切に抱えなくていいのに」と思うような言葉を、"背負っていく呪い" として、手放さずにいることがある。 ここ最近、そういう人から話を聞く機会が重なった。 例えば、子どもの頃に親から言われた「あんたはダメね」とか、昔の恋人から言われた「重過ぎてめんどうくさい」とか。それらの言葉をそのまま自分への呪いのように、頭のなかでリフレインし続けてしまうような。 話を聞きながら「わかるなあ」と、わたしはひとり、こっそり思う。 実は最近、わたしも長らく自分への呪いを握り

不安なときこそ、沈んだときこそ。

不安なときこそ、気持ちが沈んだときこそ、ちゃんと生活をすることが大事なのだと、餃子の種をひとつずつ黙々と包みながら思う。 レシピ動画を見ながらつくった種を、母から教わった方法で包んでいく。餃子をつくるなんて、いつぶりだろう。ここ1年やっていないことだけは、確かだ。 堂々と言うことではないけれど、わたしにはあまり "生活力" がない。 料理はあまり好きではないし、掃除も、洗濯も、仕方なくやっている感がある。わたしよりも家事が得意な夫に、だいぶ頼っているのが実際のところだ。

「影響を受けやすい」がわたしの長所

「さすがに影響受けすぎでしょう」と自分で突っ込みたくなるほど、わたしは人からの影響を受けすぎるところがある。 いまの習慣なんかは、8割方まわりの人達の影響でできている。 例えば、今年から始めたお金の勉強。 昨年末に友人から「最近お金の勉強をしていてさ」と聞き、どんな本を読んで、誰の話を聞いて、何をしているのか教えてもらって、そっくりそのままトレースするところから始まった。 他にも、メイクに関心が出てきたこと。 これまではなぜだか自分とは遠い世界の話だと感じていて、あ

「本当はやってみたい」が言えなくて

「いつかやってみたい」と思いながらも、勇気が出ずに「まだ早い」「できっこない」と、自分に言い訳してること。 「髪の内側をブリーチしてみたい」が、そのひとつだった。 インナーカラーをしている人を見ては「素敵だなあ」と憧れ、美容院に行くたびに「インナーカラーしたいです」と喉まで出かかっては、「あなたが?あれはオシャレな人がやるものです、似合わないのでやめたほうが良いですよ」と言われることを勝手に恐れ、言い出せないまま2年が経った。 冷静に考えれば、美容師さんがそんなこと言う