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頭のなかにある思考のエッセイ

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自分のなかにもやもやと浮かぶものの輪郭をとらえたくて綴る、文章の置き場所。主に自分のための言葉たち。
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2022年11月の記事一覧

「おわり」をつくる。今を大切にするために。

「こんな日々がずっと続くのだろうか」と、絶望したことがある。 それは20代なかばのこと。我慢しながら自分をすり減らす日々が、この先もずっと続くのだろうか……と心がずっしり重くなったのを感じたときのこと。 冷静に考えれば、すぐにわかる。「ずっと」は続かないのだと。 だって、まず大前提として、わたし達の命にはリミットがある。だから「ずっと」なんてものは、ひとつもない。 だけれどなぜだか、リミットがあることはいつだってするりと頭から抜け落ち、やっぱり「この日々がずっと続く」

自分に無理なく、働く暮らす

どうしてだかわたし達は、ベースとして「無理が必要だ」と思っている節がある。 そもそもわたしは、周囲の人達が当たり前にやっていることが当たり前にはできない。だからこれまで多くの場合、「無理」が必要だった。毎朝満員電車に乗って通勤するとか、8時間ずっと同じデスクに居るとか、誰かの指示を守って集団で動くとか。 そんな感じだから、会社員の頃は、そもそも「無理をするのが当たり前」だった。働くって、無理を頑張ることだよね。これは大人なら仕方のないことなんだよね、と。 でもやっぱり、

滲み出る自分と、新しいステップへ

「自分が読みたい文章を書く」 ということを、しばらくのあいだ大事にしてきた。 こんな記事があったらいいのに。こういう情報がまとまっていたらいいのに。あの本音を赤裸々に書いてくれている人がいたらいいのに。そう思うことを、自らブログやnoteにしたためてきた。文章を書き始めた2016年から、すこし前まで、ずっと。 ただ最近、思ったのである。 「わたし、わたしが書いた文章を、読みたいと思わないかも」 ずーっと「自分が読みたい文章を書く」をモットーにしてきたから、「これ、わ

覚悟からはじまる物語

自らリスクをとった人だけが、わがままに働ける。 そんなことに気づいたのは、フリーランス4年目の頃だった。 当時はライターとして企業からお仕事をもらっていた。旅行をしてそのプランを紹介する体験記事を書いたり、インタビュー記事を書いたり、広告のコピーを書いたり。さまざまな切り口で文章を書いていた。 最初はそれでじゅうぶん楽しかった。書くことが仕事になるだけで嬉しかった。しかしいつの間にか、「もっと自由に書きたいな」と欲が出た。「こう書いたほうが良いのにな」と思う方を選べなか