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頭のなかにある思考のエッセイ

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自分のなかにもやもやと浮かぶものの輪郭をとらえたくて綴る、文章の置き場所。主に自分のための言葉たち。
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2023年3月の記事一覧

自分のことが後回しになりやすい世界で

自分のことを後回しにすることが、これほど簡単な世の中で。 やらなきゃいけないこと、やったほうが良いことに、いつだって追われてる。 時間を数字として捉え、成果を評価とみなして、立てた予測に違わぬよう、計画を滞りなく進められるよう。 便利になって、効率化されて。 本当ならうまれるはずの余白を心のどこかで怖がって、また自ら時間を塗りつぶす。 損をしないように、遅れをとらないように。やったほうが良いことは無限に生み出され、「大丈夫です」と笑顔で引き受けた仕事の裏で、自分の本音

たしかにあった「何者かになりたい」という感情

ささやかにでも有名になりたい。ちょっとすごい人って思われたい。周囲の人に認められたい。 そんなふうに「何者かになりたい」という気持ちを、20代の頃のわたしは抱いていた。 当時はフリーライターをしていて、執筆者として名が知られる存在になりたかったし、大きなメディアで書きたかったし、たくさんの人に書いたものを読んでほしかった。それにしっかりとした収入を得て、悠々自適な生活がしたかった。 そのために20代中頃のわたしは、努力した。 まず、ものすごく働いた。朝から夜中までPC

「生きてるだけで、ものすごくお金かかるじゃん…」の絶望を、軽くしてくれたもの

窓には東京スカイツリー、所狭しと大きな建物が立ち並び、東京駅までは電車で10分。 わたしは、そんな東京の下町で育った。 中学も高校も東京の公立校に通い、大学も都内、新卒で入った会社も秋葉原にあった。つまりわたしは、人生の大半を東京の、それも割と都心部で過ごした。 東京のことは、好きでも嫌いでもなかった。 満員電車は当たり前のことだったし、どこへ行っても混雑しているのは日常の風景だった。 それに、混雑と引き換えに匿名性が保たれる心地よさもあった。ひとりで行動していても

粘り勝ちと、自分の解放

そもそも「続ける人」が少ないのだ。 誰かの活躍を羨んだり、"あちら側" でない自分に焦ったりするたびに、言い聞かせてきた。 誰かや何かを見て「わたしもこうなれたら」という憧れや羨望を抱くのは、対象が自分に近しいものであると感じているからだと思う。つまり「わたしもこうなれる可能性がある」と信じているからこそだ。 「自分に近しいものである」と思えるのは、自分がすでに行動しているということでもある。一歩は踏み出している。そして自分の数歩先、もしくは遥か彼方に小さな背中が見える