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書き留めなくても残ることだけを

「今日は、頭に残ったことだけを持ち帰ってくださいね」

ノートを机の上に広げ、ペンを握って「教えてもらったことを全部書き残すぞ」と臨戦態勢のわたしに、初対面のコーチが言った。

「全部頭に入れる必要なんて、ないんですから」

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会社を辞めて、精神的にどん底だった時。

勇気を出して申し込んだコーチングの、初回のセッションでの話。

やんわりと、だけど確実に「ノートを取らないでくださいね」と言われたワケで。そんなことを言われるとは思っていなかったわたしは、少し驚き、一瞬うろたえたと思う。

それまでは、ノートを取ることは「熱心な証拠」として捉えられることが多かった。学校でもきれいにノートをまとめれば先生が喜んだし、バイト先で先輩が教えてくれたことをメモすれば可愛がってもらえた。

教えてもらったことを書き留めれば、忘れてもノートを開くことで思い出せる。せっかく教えてもらったことは、100%持ち帰りたいし。そう思っていたから、コーチの言葉に対して素直に「なんで?」と思った。

それでも、「わかりました」と言いながらそそくさとノートを閉じたのだけど、たぶん、顔にクエスチョンマークが出ていたんだと思う。

「ミキさん、私が言うことを全部覚えておく必要も、100%理解する必要もないんですよ」

コーチはお見通しですよという感じで、ほほ笑みながら言った。

「今のミキさんに必要なことは、書き留めなくても心に残るんです。自分の琴線に触れたことだけ、取り込めばいいんです」

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今なら、わかる。

だって、あれからもう6年近く経っているのに、今でも「全部頭に入れる必要はない」というコーチの言葉は、昨日のことのように思い出せるから。

全部理解しようとペンを走らせるうちに「覚えること」が目的になってしまって、きっと「自分の心の動き」には目もくれなくなってしまう。だから、書き残すことよりも、コーチとの話の中で自分がどう思ったのかに注目してほしかったのかな、と思う。

あの時までは、元を取らなきゃ、有意義にしなきゃ、とすべてに対して思っていたような気もする。それは「熱心さの証拠」だと当時は思っていたけれど、そうではなくて「不安の裏返し」だったのかもしれない。

今のわたしは、自分の琴線に触れたことだけを取り込むようにしていて、それ以外はどんなにスゴイ人が「良いものだ」「知っておくべき」と言ったとしてもスルーできるようになった。そのおかげもあってか、だいぶ背負っているものも軽くなったと思う。

***

なんでこんなことを書いたかというと、わたしの言葉を読んでくれる人達も、じぶんジカンの発信を見てくれる人達も、自分の琴線に触れる部分だけ、大切にしてもらえればいいなと思うんです。

そうやって自分の心が動く物事だけ集めていったら、きっと素敵な毎日になるはずだから。



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