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その話は何のため?誰のため?目的を考えると話し方が変わる

私は長い間、
不幸感を抱えながら生きていました。

話の節々に出てくる自分の不幸話。

自分で話しておきながら、
あとで後悔したり、虚しくなったり、
情けなくなったりして、
話した後に気分が良くなることは
ありませんでした。

その時の私が、
自分の不幸話をする目的は
自分のためでした。

『私、かわいそうでしょ?』

かわいそうな自分を慰めて欲しい。
そんな目的だったと思います。

そして、それをしている自分は
理想の自分ではないということを
自分でわかっているのです。

だから、自己嫌悪に陥るという
負の連鎖にはまりこみ、
抜け出せなくなっていました。

私は人に自分を慰めてもらおうと
していることに気付いていませんでした。

人を慰めるというのは、
それなりに時間もエネルギーも
必要とします。

その事を知らず、
また私は考えることもなく、
自分の不幸感を周囲に撒き散らし、
自分を慰めようとしてくれている人々の
優しさにぶら下がり、
その人たちの時間とエネルギーを
奪い続けていました。

自分の事しか考えていないというのは、
こういうことなのだと
身に染みてわかりました。

自分を慰めるのは自分。
自分のご機嫌を取るのも自分。

それが精神的自立をするということ。

精神的自立をした自分が、
不幸話をするのは自分のためではなく、
他者のため。

今、現在辛い思いをしている人に、
その壁を乗り越えるためのヒントや、
何かの手助けになればという想いで話す。

同じ不幸話でも、
自分のためか他者のためかで
話し方が変わるのだな
ということを知りました。

お読み頂きありがとうございます🤩✴️

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