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キレイゴト

自閉症児の母親が
「子供は親を選んで生まれてくる、なんて キレイゴト、と言った」
 と ニュースで流れてきた。
「障害児の親になんて なりたく無かった。」
 本当に、そう思う。
私は 自身の妹が自閉症だったから
親が半分以上 育児放棄して
自分が 妹を育てをせざるを得なかった経験があるから
自閉症の息子を
なんとか育てていられると思っている。
そうじゃなければ とっくに自死していたかも知れない。
自閉症児の子育ては それくらい過酷だ。

我が子が自閉症であると分かっても
一見すると 障害が有るようには見えない。
つまりは「表からは見えない」障害だ。
個性的とか 手が掛かる子だとか ちょっと遅れているだけだとか
親である自分も そう思いたいし、そうであって欲しいと思ってしまう。
それくらい、ハッキリとした状態が無い。

それでも 手をヒラヒラさせて歩き回る、とか
手を裏返したピースをする(手の平が自分の方に向いている)、とか
常時 飛び跳ねているのが好き とか
ミニカーや電車のおもちゃを やたらめったら一列に並べる、とか
自閉症児特有と言われる動作は 3歳くらいからは顕著になっていた。
診断された時 思ったのは「やっぱり、か」という気持ち。

そうじゃなければ良いのにな、と ずっと思っていたとしても
どうか 母親を 責めないで欲しい。
間違っても「あなたの育て方が悪いからです」なんて言葉は聞きたくない。

だって 育て方の問題じゃないもの。
普通の子の育て方なんて ハッキリ言って 通用しないもの。
周囲の無理解と孤立にも 悩まされてきた。
号泣していようが 我が子を羽交締めにしなければ、
我が子にリュック型のハーネスをしなければ
線路や道へ飛び出してしまう事への 無理解。
「犬みたいじゃん。かわいそ〜」
近所の子供からも 高齢者からも
「お母さんのくせに、子供を虐待して」
何度も指さされ、大きな声で言われた。
それでも 我が子の命の方が大事だった。
周囲の声だけで我が子が守れるなら 誰でもそうするだろうな。
実際に 道や線路に飛び出して 跳ねられて亡くなった子も少なくないのだ。
そうなってから「あなたのせいです、責任とって下さい」なんて
言える筈もないし、言った人には その責任感すら無い。
ただ ただ 無責任に 親を責めるだけ。
我が子の命を守るために そんな声に従う必要なんてないのだ。 

自閉症児との会話は
未知との遭遇。
宇宙人とのコミュニケーション。
自分に興味のある分野の話は 本当に饒舌に喋るけれども
興味が無ければ 一言も喋らない ことが当たり前。
挨拶一つ 出来ない。どう克服したか。
私が家族に対して「ありがとう」「ごめんなさい」を繰り返した。
「おはようございます」も「おやすみなさい」も
「いただきます」も「ごちそうさま」も
家族 皆で言おうね!と 決めた。
保育園で お友達が言ってくれたそうだ。
「Rちゃんは 僕たちの中で 一番ありがとうが言える人なんだよ」と。
それは 今でも続いている。
挨拶が出来れば それで良いというわけでは無いけれども
日本という国にいる以上は 挨拶が出来るだけで 見方が変わるらしいから
そういう事だけで 特別視されないのなら 必要なスキルだ。

そうやって 普通の人なら当たり前の物事を 一つ一つ
「どうして どうして」と考えながら 悩みながら 暮らしてきた。
この悩んできた時間が 少しでも 
息子にとって 生き辛さを軽減できるスキルとして身についてくれたら
そんな嬉しいことは無い。
これからも きっと同じように壁にぶち当たり 同じように悩みながら
それでも どうしたらいいか話し合って 泣いたり笑ったりしながら
進んでいこうと思う。

サポートありがとうございます。自分の時間をゆっくり作り出すために、遠慮なく使わせて頂きます🙇‍♀️。