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息子の誕生日

10年前の朝 5時15分頃。
早産の恐れのあった私は、3ヶ月入院していました。
いつもより早く目が覚めて、トイレに行きたくなりました。
大きなお腹を押さえながら、ゆっくりトイレに歩いて行って
「あれ?これは、オシッコじゃないぞ?」と気付きました。
急いでナースコールして「破水ですね!診察しましょうね」と言われ
診察室で、当直の先生に見て頂いて「破水です。陣痛室へ行きましょう」と
促され、あれよあれよ、という間に陣痛が始まり、夫に電話して「すぐにきて」
というと 意識を失うほどの痛みで悲鳴を上げました。
「大丈夫、次の痛みが来るまでに、あそこまで よじ登って。」と言われた
分娩台が高く見えたこと。必死で、歩いて分娩室へ行き、分娩台によじ登り、
大きく息を吐いたら痛みが来ました。
「まだだよ、まだだからね。」と言われるんだけど、痛くて痛くて「痛い痛い」と言い続けるしかなく。でも先生は「あのね、痛いって言っても痛みは無くならないからね!」と鬼のようなことを言ってました。
後に 女性の産科医が「あれは男だから言った言葉よね。たとえ痛みが無くならなくても、痛いって言わせてあげることこそが大事なのよ。自分が産んでみて解ったんだけどさ。」と言ってくれましたが。

夫が来てくれたのは「もう堪えきれません。」というほどの陣痛が始まった頃。
何度目かの陣痛で、痛みのあまり意識を失った私をみて、夫は顔面蒼白になり
「先生!!」と叫ぶと、先生が「大丈夫、次の痛みで目を覚ますから」と。
私を皮切りに なんと5台ある分娩台すべてが埋まってしまっていて、主治医の
先生は あっちこっちの妊婦さんを診ながら 総勢20人以上の先生と看護師さんが 2時間余りの間に、6人の赤ちゃんの産声を聞いたのでした。

で、夜中に休憩室で 主治医の先生と顔を合わせたら「いやぁ。Yさんって
福の神でしょう?Yさんを皮切りに 今日はね17人の赤ちゃんが生まれたんだよ。
もうね、ビックリ。何日も前から陣痛室にいたお母さん2人を追い抜かして、
今日は17人。新記録だと思うよ。」というのです。
福の神?というと「ほら、あなたが来ればお店が混むってお客さんのこと、
そういうじゃない?Yさんってホント、福の神だよ。参ったよ〜。」すると
看護師さんが来て「先生、明日の朝イチからのオペの打ち合わせですよ!」と
引っ張って行きました。先生、ありがとう と大きな背中を見送りました。

そんな息子は、予定日より1ヶ月早く生まれたので、色々と心配もありました。
NICUにも入ってましたし、肺の問題、黄疸、などなど様々。
しかも離乳食に失敗して 本当に何も口にしなくなり 体重が激減した時は
「ミトコンドリア病を疑います」と言われ「10歳までは生きられません」
とまで言われました。あの時は本当に 自分を責めて泣きました。
ミトコンドリアDNAは 母方の遺伝子です。つまり母方の遺伝子がポンコツ
だったから、病気を持って生まれたのだと 断言されてしまったのです。
自分を責めて、出産後の鬱も重なって、何度も子供を道連れにしようと
思い悩みました。でも 死ぬために何をしようとしても 上手くいきません
でした。
その度に、お守りの鈴が落ちたり、その手前で 人に声を掛けられたりして
どうにかこうにか、死なずに済みました。あれは神様に「諦めるな」と
言われていたのかも、知れません。

そして 今日、10歳のお誕生日を迎えることが出来ました。

自閉症と診断された時も思い悩みましたけど、ミトコンドリア病で10歳まで
生きられませんなんて言われた後なので、何が起ころうとも この子が
幸せだったと思う瞬間が一度でもあれば、それで良い。そういう思い出や
そういう出会いや経験を積み重ねて、その日が来るまで 前を向いて
生きていこうと思えるようになっていました。

これからも自分と息子と夫と 力を合わせながら、色々な経験を積み重ねながら
「こんな事も あんな事もあったけど、振り返ったら いい人生だったよね」と
言える人生を送るべく、日々 味わって噛み締めて 生きていこうと思います。

サポートありがとうございます。自分の時間をゆっくり作り出すために、遠慮なく使わせて頂きます🙇‍♀️。