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『オマハビーチと高校球児』 (ショートストーリー)

これは、Sophieさんの原案をベースにJidakがストーリー化したものです。


こんなんじゃない。
私がほしいのは、こんな時間じゃない。

目の前の、ハンプティダンプティみたいにお腹がぷっくりした2人の中年男性を見ながら、私はフランスの田舎町へと向かう電車に揺られていた。
戦争マニアの彼と2人で。

小さな駅に着く。
どんよりした曇り空と同じ、何も楽しいことが起きそうにない、殺伐とした駅。
でも、彼の瞳は輝きを増している。
その瞳には、私は映っていない。

「また会ったね」
ハンプティ・ダンプティな2人が話しかけてくる。
この2人もここで降りたんだ。
「It’s a small world!」
彼が笑って応える。
なんにも楽しくない。
何一つ。

ここはオマハ・ビーチ。
1944年、第2次世界大戦で、およそ200万人の連合国の兵員が、ドーバー海峡を渡ってフランス・ノルマンディー海岸に上陸した。
歴史上最大規模の上陸作戦で、「Bloody Omaha(血まみれオマハ)」とも言われ、平均年齢20歳の兵士たちが壮絶な戦いの中で次々と倒れ、ロバート・キャパは、その最中でカメラのシャッターを押し続けた。

「それがここ、オマハビーチなんだよ」
熱く語る彼がうっとうしい。

メモリアルミュージアムに入る。
壕がそのまま保存されている。
怖い。リアルすぎて怖い。
負傷兵が運ばれたという部屋は、消毒薬のにおいがする。
あ、食べ物のにおいがしてきた。
「こちらは当時の食堂」
なんでこんなにリアルなの。
なんでつらい記憶をわざわざトレースするの。

日本人は私と彼だけ。
こんな片田舎を訪ねようなんて、本当にどうかしている。
なんで私は「いいよ、つきあうよ」なんて言ってしまったんだろう。

各国の戦争マニア同士で楽しそうに話している。
彼の瞳はますます輝きを増している。
彼の矢印は私には向かないまま。
ねえ、こっち見て。

来なきゃよかった。
ルーブル美術館や、ロンシャン本店に行けばよかった。

外へ出る。
すごい風。
髪の毛の間に、粘膜という粘膜に砂が絡みつく。
テンションは、下がりようがないほど下がっていく。

「車で待ってる」
ツアーの一行は、兵士が上陸し、ロバート・キャパが撮影したという海岸へ。
私は、それを安全地帯である車の中からぼーっと見ている。
こんな風の中で、
ガイドの方の話に聞き入る、彼とハンプティ・ダンプティたち。

彼らがしゃがみ込み、何かをすくい始める。
砂だ。
オマハビーチの砂を、持って帰るのか。
彼はいそいそと、今朝食べたパンの瓶の中に砂をすくっては入れていた。

あ、甲子園……。

ふと、彼が高校球児に見えた。
熱戦の末、無惨に敗れ、砂を持ち帰る球児に。

今、彼は見ている。
1944年を。
そこから流れた80年近い時を。
そして、彼自身が歩いてきた今日までの日々を。
とてもまっすぐ見つめている。

砂をすくう彼は、まるで何かの作品のようで、
額におさめたくなる高貴さにあふれていた。

尊い。
彼は、来るべくしてここに来たのだ。
やるべきことを果たしたのだ。

今の彼には、祝福こそがふさわしい。

「待たせたね」
彼がバンに乗り込んできた。
少し目が赤い。

「目が……。砂?」
それとも泣いたの? という言葉は飲み込んで。
「え? 何が?」と、訝しげな彼。

「ねぇ、お腹すいたー」
「ごめんごめん。ドーバーソールのおいしいお店、行こう」

これからは、お部屋を掃除する時、ドイツ軍のメダルとか、雑に扱ったりしません。

(終わり)

*ドーバーソール:dover sole、舌平目

Stand.fmで、音声ドラマ化しています。(朗読・SOPIEさん)



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