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「私の居場所は、’声’」 <SOPHIEさんインタビュー>

SOPHIEさん
ラジオDJ、ナレーター、洋画吹替、MC。
’Beat in the Box just the beginning SPECIAL EDITIONS'(FM世田谷)(日曜25:30-26:00)
/Stand.fm 公式パートナープログラム「自分にやさしくするラジオ」運営


―現在のメインの活動を教えてください。

ラジオ(番組)を作っています。
ディレクション、制作、DJもしています。
ジングルも含めて、選曲、コンセプト、メッセージ、全て。
宅録で一人で作ってます。

英語弁論に明け暮れた学生時代


大学卒業後、金融機関に就職しました。大学の時の先生が、「あなたはDJになりさいよ、DJがいいわ」って、就職の時に言ってくれていたんですが、「何です、それ?」っていうぐらいだったんです。
で、金融機関を退職した後、ふと先生の言葉を思い出して、アナウンスの学校に行ったんです。そして事務所に合格して、クラシックコンサートのアナウンスとか、あとはMCですね、そういうことをしたり。
でもちょっと事務所の路線が変わったことがあったり、その後渡米もしたりで、それで一回途切れたんですね。

―DJにつながる道は、どのへんから始まったんでしょうか。

それで言うと、外せないことがあって。
10歳、小学5年生かな、その頃、母の知り合いがカリフォルニアにいるってなって、一人で、ホームステイに行ったことがあったんです、夏休みの間。その時に、パーティーとかでスピーチとかしてて、「あ、英語ってこういう文化なんだな」って思ったことがあったんです。
で、それがきっかけで「あなたスピーチしなさいよ」って、中学生ぐらいかな、学校の代表に選ばれたんですよ。

―英語でスピーチ?

そうです。パブリックスピーキング、英語弁論が中1から始まって。
その後、出る大会出る大会、優勝しかしない、みたいな(笑)。
私、舞台に立つと、何て言うか「Look at Me!」が発動してしまうんですよね、わかんないけど(笑)。
高校の時も、始まる前に「緊張します」っていう感じでも、「大丈夫よ、あなたは真ん中に立ってニコッと笑えばいいのよ」って言われて、で、「そっか!」って思って、その通りニコって笑って優勝!みたいな(笑)。

―「英語力+表現力+声」という総合力の高さは、その頃から培われていたと……

まったく自覚はないんですけどね。
でも、今やっていることとつながっている気はします。
スピーチって、メッセージも作るんですよね、自分で。
たとえば印象深いのは「True Colors」っていうタイトルのスピーチで。これはシンディ・ローパーの同名の曲もあって、当時歌は知らなかったんですけど、メッセージは共通しています。あとは「スエイド」っていう、振り回されてないでさっていうものだったり。そういう起承転結とかストーリー性だったり、構成の中のギャップだったりっていうものは、今ラジオを作る時も全て共通しているなって思います。違いは音楽が差し込まれているということ。私の言葉の代わりに、音楽で演出されているという。だから声とかプレゼンテーションとかということでいうと、この英語弁論をやっていた経験が大きいなって思います。

―最初中学校の時の話から始まって、大学まで?

中・高・大と10年以上は続けてやっていました。
東京大会、関東大会、全国大会っていって、代表ですね。
優勝のご褒美としてオーストラリアにホームステイに行かせてもらったりして。

―そこに、今のベースがありますね。

はい。本当に魂がふるえるっていう場でした。
スピーチしている瞬間、嬉しくて楽しくて。よく涙を流していました。
「なんて幸せなんだろう」って。

―「幸せ」と思う要素は?

「ボイス(自分の心の声)が発せられる場」だからです。
私、賞とかもらっても、箱とかも一つも開けないんです。
自分に厳しいということかもですけど、過去の栄光にすがるというのが本当に大嫌いで。
あと、普段、あんまり自分の声を発してなかったんです。小学校でもおしとやかで静かって思われてて。でも家に帰ってきて友達と二人でスケボーやったりBB弾ぶっ放したりっていうのが好きだったんですけどね。わざとそうしてたわけじゃないんだけど、なんかあんまり言ってこなくて。それで何か溜まっていったんでしょうね。だから英語弁論で、「あなたのボイス、ここで発していいのよ」という場所を与えられて、嬉しくて嬉しくて、水を得た魚になったのかもしれません。
中学校1年で初めて舞台に立った時にもうピンって来た感じです。
その時「私、全然違う!まわりと」って。
賞が欲しいとか目立ちたいとかじゃなくて、「ここだ!」って思ったんです。


―「ここが私の居場所!」って思えるところは、その弁論大会のその場以外にはなかった?

なんででしょうね。ないって思ってたんですよね。
お墨付きをもらえる場所がその7分間だったっていう。

―卒業後の進路としては、‘声’‘プレゼンテーション’の方向は考えなかった?

はい。そういう発想は全くなくて、大学から推薦を受けて金融関係に就職したんです。ただ、就職して、3年目研修で「グループでプレゼンしてください」ってなった時に、私、すごい輝いちゃって(笑)。みんなの求心力というか、私の部屋に、私がいないのに全員たまっているみたいな状況とか。


‘VOICE’による体験の提供を


―番組作りを通して、実現させたいものは?

うーん、体験というか、人が「どういう気持ちになるか」というのを大事にしています。この言葉と、この持っていき方、この表現方法、この音楽で、こういう気持ちになるんじゃないかなって、それを考えるのが好きなんです。
すごい気持ちがよかったり、楽しかったり悲しかったり、センチメンタルでもそうだけど、なんていうか、感情というものを揺さぶられたり、感じたり、その体験をしてほしいなって思っているんです。

―今、それを提供できている?

そこを目指してやっています。
スピーチの時もそうでした。「主張を聞いてくれ」「言ったことをやってくれ」じゃなくて、この7分間のドラマというかスピーチを聞いて、何かが心に残る、熱くなるとか、ジーンとするとか、何かそういう体験を提供しているつもりでやっていました。
あ、話すこと、表現することで言えば、読み聞かせをボランティアでやっているんですね。その場でもプレゼンテーションの技法がふんだんに盛り込んでいて。

―え? 読み聞かせの場面で?

はい。絵本を開く前からプレゼンは始まるんですよ、絵本の持ち方ひとつから。
あと、読み聞かせでいうと、場をコントロールする力っていうのが必要だから、着る服ひとつ、絵本を持って待機している時の見せ方とか、声色、全部スピーチの技法が自然と身についているから、それを駆使してやってますね。

―メンター、心の師匠というような人はいますか?

スピーチの指導をずっとしててくれた人が、早稲田大学のケリー先生って方で。
ブロンドの白髪がすっごい素敵な女性で、つきっきりで指導してくれたんです。
ほぼずっと一緒にいて。その先生が「あなた、DJがいいわよ」って言ってくれたんです。当時は「何それ?」って感じでしたけど、それがずっと残ってたんですよね。


―現在、どんなことに留意して番組を作っていますか?

体験を提供できているかな、そうなっていたらいいなってところですね。
自分としては、すごく充実して楽しんでやってはいます。試行錯誤の過程とかも。たとえばプレイリスト5曲を何回も何回も聞くんですよ、この順番でいいのか、この曲でいいのか、と。
たとえば悩みを相談された人に、「がんばれ」っていう曲なのか、「私、悲しい」という気持ちに寄り添う曲なのか、そしてその順番はこれでいいのかとか。
それに、アーティストの背景とその曲のメッセージとか全部調べるんですね、そんなこと誰もわかんなかったとしても。たぶんわかんないほうが大半なんですけど。どういう経緯でこの曲が作られたとか、歌詞にはこういう思いが込められているとか。そういうのが表に出ている場合もあるけど言わない場合もあるから。だとしてもちゃんと調べて、一貫性を持って自分が伝えたい、この30分で、今回はこの人のためにこう創る、っていう気持ちで作っています。’プレゼント’という感覚ですね。
局の人にも、最初に「起承転結があるんです。だから4曲は流させてください」って主張しました。「私の番組はドラマみたいなものだから、起承転結の4曲は入れさせてください」って。そこに賭けてますね。

―一番組作るための時間と労力は相当なものですね。

はい。最初の頃は、一本作り終えると動けなかったです。全身全霊かけて作って、「何これ?」っていうぐらい、消耗が、どさっていう感じになって。

―今、番組始まって、半年は過ぎましたが。

今はもう、大好き!って感じです。
弁論の時と全く同じ感覚です。「あー、私、これが大好きなんだ!」って。
編集とか時間がかかっても全然それが苦ではなくて、「私本当にこれが好き」って思いました。他のことでどんなに疲れていようが、番組を作る作業はなんて素晴らしいんだろうって思ってます。行為そのものが喜びです。


都内のスタジオにて

―「行為そのもの」とは? 

とにかく「クリエイティブ」。表現というのではなく「創ること」ですね。
体験を提供する、それを創っていくということかな。
英語弁論の時も全く同じなんです。機会が与えられたという意味において同じなんです。

―まだまだ番組を作り続けていきたいと。

時々ふと「ああ、まだ作り続けるんだ」って、思ったりする時もあるけど、でも「私これがなくなったらどうしよう」って思います。とにかく自由にやらせてもらっているんです。で、あの枠はスポンサーをつけちゃいけない枠なので、何を言われるわけでもないし。選曲について、当初、局の人から言われることはちょっとはありましたけど、でもそれも言わせないほどの体験を作れば文句は言われないわけで。なんか、「こんなありがたいことある?」みたいな感じです。

―今、1人で作っていますが、チームで動くことへのイメージはありますか?

やったことがないんですが、すごく憧れます。
以前、有名な番組のプロデューサーさんからナレーションの指導を受けたことがあって、その時、ナレーターにはどういうことを求めるとか、こういうことを言ってきてくれる人がいいとか、どれだけ理解してくれて、もっといいものを作ろうとしてくれるかとか、こんなふうにチームでやりたいって話されていて。こういう人と働いてみたいなってすごい憧れがあります。
でも今物足りなさがあるわけじゃないんですけど。

―聴取者からのフィードバックは?

あります。深夜帯の番組なので、「なんでそんな時間に起きてるの?」ってこっちが気遣っちゃう(笑)。

―誰かに届いて完結する、というところに醍醐味があるのかと。

どうでしょう。
私、押し付けたくはないんです。だからStand.fmの「自分にやさしくするラジオ」では、「こうしなさい」は絶対言わないんです。一見自己啓発系のように有益そうには話してるけど(笑)、自分の主観からは離れないようにしています。「主語は自分」って決めてるんです。
なんかだめなんですよね。人にアドバイス的なことになると、途端に言えなくなっちゃうんですよ。
ただ「こういうやつがいるよ」っていうのを見つけてくれたら、「あ、自分は一人じゃないんだ」っていう気づいてもらえたらいいなと。


レッテル・カテゴライズからの解放


―ポッドキャストの第一回で、ご自身のPTSDに触れていらっしゃいますね。それと相関するかたちで、プロフィールの中に「性別、国籍、年代、そして既往症を超えてつながりたい」という言葉が入っているのかなと感じました。

そうですね。自分も含めてですけど、「病気でした」「うつでした」「精神疾患でした」「ADHDです」とか、何かしらの名前でカテゴライズされるって、どうしていいか、どう接していいかわかんないとか、あると思うんですね。当事者自身も、対峙する側も。なんかアンタッチャブルな感じであるとか。
きっとその人の中で安心するためにレッテルが貼られるわけですけど、でもそうすると、コミュニケーションはそれを超えていけないって思って。
それは自分がどう思われるかも怖いから。だから、私はそこを取っ払ってほしいって思っています。

―「いろんな立場と超えてつながりたい」「声で人とつながりたい」など、「つながること」に価値を置いていらっしゃいますね。

はい。あ、でも私の中での「つながりたい」は、旅をしていて、そこで偶然に出会うみたいな感じのことです。ずっと人生を共にするということではなくて、一緒には歩かないんです。偶然、バス停で会ったおばさんとか。
で、一人で歩いてて、「私、一人なんだ」って思うんじゃなくて、「横を見て! 私も歩いてるよ」って感じが理想です。「Oh! Hi!」みたいな、その瞬間に出会うつながりというような。

―「unite!(ガッツリ結びつく)」ではなく?

そう。基本はそれぞれです。'Unite'は必要な時だけです。
「この手をとって」って言われたら、絶対掴みます。
声は居場所なんです、私にとっても。

―Stand.fmを始める時は、「何者でもない私」という意識をお持ちだったかと思うのですが、今は、「何者かになった私」と思えていますね。

はい、そこは変わりましたね。
「何者でもない私」というのは、肩書きがないというよりも、恐れから来た言葉でした。レッテルを貼らないでっていう。「○○のソフィ」とか、そこにとどまりたくないんです。「精神疾患持ちのソフィー」とか、「しゃべる仕事をしていたソフィー」とか。そうすると、「あ、しゃべる仕事をしてたんだったら、これぐらいはできるよね」とか、「こういう人なんじゃないか」って何かイメージ、先入観が出来上がるじゃないですか。「そこに私をはめないで」っていう気持ちでした。それが怖かったんですよね。期待しないでっていう。
もうフラットですっていう感じで行きたかったんです。
で、今違うのは、なんかそうしないと人って安心しないんだな、とか。そして、たとえそうとらえられても、「私違う面あるけど、知られなくったっていいや」って思えるようになりました。

―そう思えるようになったのはなぜ?

いろんな人に出会って、いろんな人がいろんなソフィーを持っているというのがわかったから。’いろんな人’っていうのは自分が好きな人たちだったり、信頼する人たちだったりで、その人たちがそれぞれ持っているソフィーがいて、それが嬉しかったからです。
誰に何を思われるかはすごい怖かったけど、好きな人たちが、それぞれ好きなソフィを持っていることが嬉しかったから、もう何を名乗っても大丈夫と思えました。

―今はPTSDの症状は緩和されている?

はい。私の受けている治療方法は、「重要な他者との関係を癒していくことによって、自分自身の傷を癒す」っていう療法なんです。だから過去に何があったという原因探しではなく、現在の重要な他者との関係を見直して癒されていくというプロセスを重視するものなんです。
治療すればするほど、私本当に無理してたんだなってことに気づきました。
そして、今、私は本当に生まれ直して、健常者として自分の道を歩もうというふうに役割を置いた感じでいるんです。それが変化だと思っています。
やはり、「対人関係によって癒された」と思っているので、「関係」は大切にしたいです。
ただ、Noと言える関係ならつながりたいんですが、Noと言えない関係が怖いですね。つながりたいけど依存されたくないんです。「俺は黒人と差別が大嫌いなんだ」って言う人いるじゃないですか。そういう人と関わりたくないんですよ(笑)。


‘100%の私’で、自由の翼を広げて


―今後の活動としては?

やりたいことがあります。洋画の吹き替えです。
ナレーションの事務所ではなくて、そっちへシフトしようと思っていて。
私、発声が今間違った発声なんですよ。でも英語弁論や洋画吹替をやる時は発声が変わって、正しい発声になるんです。英語弁論の時も低く力強くお腹から出して、いわゆる地声なんですね、自分自身の声。
普段、日本語で今話しているみたいに話すと、ふわっと抜けたような声になるんですが、それがよくなくて。
洋画吹き替えの時の発生は、母に聴かせたら、「そのまんまじゃん」って言われて。だから、普段の私のリアクション、喋り方って、腹から出す、そっちのほうが地なのかもしれないって。

ー洋画吹替は、自分の'VOICE'が発せられる場所?

そうですね。なぜなら腹から出てるから。これは私だ、声の出し方自体が私だっていう感じです。口先で言う表面的な言葉じゃないんです。
腹から出た言葉って、自分の出た言葉って感じで、すっごい楽しいんですね。だから、誰かになるようで、より自分らしく自分を表現できると思うんです。
自由があるんです。
なぜなら思いっきり出していいんです。ブロックがないんです。
ここに100%の私がいる感じです。
そこで出せる「感情」が、もうすっごい楽しい。
私普段から、家で、ゆりやんレトリィバァみたいなやつ、年中やってるんですよ。ペットボトルをオスカー像に見立てて、スピーチするみたいな。
洋画吹替ってそういう世界なんです。
なぜその単語なのかを踏まえて発するとか、発声も正しくできるようになるし。
今しゃべっている発声だと使い物にならないんですね、プロの世界では。だから吹替に活路というか希望を見出したんです。しかも自分が超楽しいし。
他の人は「どうしたらテンション上げられるんですか?」みたいなことを言うんですよ、アナウンサーの方とか。「どうしたら感性って磨かれるんですか」とか。でも私は誰からも言われてないのに、湧き出て仕方ないみたいな(笑)。
だから見つけたって感じです。「これがダメだ」「これもダメだ」ってところから、「あれ?これ(洋画吹替)なら大丈夫だ」って。
もうね、英語弁論の壇上のエキサイティングな高揚感ったらないんですよ!
それが洋画吹替にもつながっている感じです。
何と言うか、自由に羽を伸ばせる場所で、感情を出せるところなんです!

―番組も作り続けるし、洋画吹替もやっていくイメージでしょうか。

はい、両方やりたいです。絞ることないんじゃないかなと。絞る理由がないです。

―アクティブに、やりたいことへと踏み出していっていますね。

私、いつ死んでもいいと思ってるんです。いつ死んでもいいと思ってるから、やっちゃおうと思いました。死ぬかもしれないんだからやっておこうって。

―死の感覚が近い?

近いのかもしれないです。なんかやっぱりPTSDになった時の症状で、「消えたい」っていうのとか体験したからかな。自傷行為とか過食嘔吐とかもないんですけど、死が近い感じはずっとあって。
だから、いつ死んでもいいように、やることはやっておこうかな、死ぬんだからやっておこうかなと。
逆に、「どうでもいいや」にはならないです。
手綱握ってます、自分で。死ぬかどうかは私次第、私が選択するんだからって感じです。
ただそうじゃない場合で訪れることもあるけど。友達がそれで亡くなったりもしてたし、近いと言えば近いです。

―行動が伴わない人がいるとしたら、それは手綱を握っている感じが少ない?

主体的じゃないですよね。支配されているとか、受動的なのかな。私の場合は、現状を認識しつつどうしていくかは自分が決めるんだって、をれを自覚している、わかってる感覚が常にあります。

<終わり>

取材・構成・編集・文字起こし:Jidak
画像提供:SOPHIEさん


SOPHIEさんへのもう一つのインタビュー、
「銀座のママを超えていく」
を音声版でStand.fmで公開しています。
また違ったSOPHIEさんの魅力に出会えます。
良かったら😊


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