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立花隆著『自分史の書き方』要約まとめ

【Index】

①はじめに
②自分史とは何ぞや⁉
③文章を書くポイント
④自分史においてケアすべきこと
⑤記憶の掘り起こし方
⑥自分史の構成について
⑦自分史後半部のポイント
 

はじめに 
 自分で自分史を書いてみようと思いながら、なかなか書けずにいる人も多いのではないでしょうか。長めの文章を書くことにあまり馴染みのない方にとって、人生という長大な物語を書き表すことは、それこそ暗中模索の難行のように感じられるかもしれません。
 気負いすぎるあまり、どこから手を付けていいのかわからなくなったり、書きたいことが山のようにあって収拾がつかなくなったり、考えれば考えるほど深みにハマってしまうのが自分史というものです。
 
 そこで自分史執筆のレクチャー本として多くの人に読み継がれている立花隆氏の『自分史の書き方』(講談社)を要約しながら、自分史を書くためのポイントをまとめてみたいと思います。
 本書は、2008年に立教大学で開講されたシニア世代向けコース「現代史の中の自分史」の授業に加筆して書籍化したものです。そのため本書では、受講生の自分史が随所に引用され、原稿執筆の参考例として非常に読みごたえがあるのですが、本稿はあくまで「本の要約」として、著者の立花隆氏の自分史論やアドバイスをピックアップしています。
 
 立花隆氏は自分史を単なるプライベートな身辺雑記的なものではなく、同時代史の流れの中に自分を置いて見る「自分史+同時代史」と位置付けています。それが授業の枕詞にもなっている「現代史の中の~」の意味であり、本書の特徴にもなっています。
 自分史は、自分という人間がどのように形成されていったかを表す「メーキング・オブ」の視点を持つものですが、同時に「自分が生きた時代がどういう時代であったのか」を意識して書いてほしいと著者は述べています。そうすることで、執筆者が生きた時代性を備えたより読み応えのある自分史ができるはずです。
 
自分史とは何ぞや⁉
 人間誰しもシニア世代になったら、一度は自分史を書くことに挑戦すべきだと著者はいいます。なぜなら自分史を書いてみないと、自分という人間がよくわからないものだからです。
 しかし、自分の人生とはなんだったのか?という大きな問いを立ててみても、そんな抽象的で曖昧な問いにそう簡単に答えられるものではありません。ただし、その答えは意外と簡単だともいいます。人生とはすなわち「一人の人間がこの世に生を享けたあと、その人の上に時々刻々起きてきた一連の事象の流れ」であり、自分史を書くことでその事象を具体的につかむことによって、自分の人生というものが理解できてくるものだといいます。
 
 自分史は自分だけのためのものではなく、家族(子供や配偶者)にとっても、その人を知る重要な手がかりになります。多少は家族に昔話を語ったことがあったとしても、まとまった話を筋道立てて語るということは、たいていの人がしていないはず。子が親の話をいろいろ聞いておきたいと思っても、親が認知症になってしまい後悔したというケースもあり、記憶が失われる前に自分史を書いておくことが求められます。
 一人ひとりの記憶は、全人類的に見れば小さな局所部分かもしれませんが、家族や友人にとっては、失われては困るかけがえのない記憶。なぜならその人の記憶が、近親者のアイデンティティに密接に結びついている可能性があるからです。
 自分史は自分の人生を理解するためのものであり、同時に家族や友人に自分を知ってもらうためのものでもある。この両面が、自分史を書く意義といえるでしょう。
 
文章を書くポイント
 本書では、まず長い文章を書くための基本的なポイントから教えています。人に読ませる文章をこれまで書いたことがない人は、文章をどこで区切ったらいいかわからず、いつまでも締まりのない文章を書いてしまいがち。解決策は簡単なことで、とにかく今書いている文章を途中でいいから「。」を付けて強引に終わらせてしまうこと。そして、これまで書いた文章をいったん忘れ、改行して別の文章を書きはじめてしまうことです。文章というのは不思議なもので、段落さえ付いていれば、読む人の頭が自動的に切り替わり、突然新しい文章が始まっても受け入れてもらえるものなのです。
 
 自分史の書き出しは、自分が生まれた時代や出自から書き始めるのが一般的です。時代性、出生地の環境、家系や家業のことから書き出せば、誰しもスムーズに自分史を書き出すことができます。簡潔な記述でかまいませんが、自分史は歴史の記述ではありませんから、「自分という人間がどのようにできあがっていったか」を伝えるつもりで、一種の物語を語るように書いていくのがポイントです。
 
 次に書くべきことは「最初の強い記憶」がいいでしょう。たいていの場合、そこには強い喜怒哀楽の感情が伴っているものです。たとえば最初の強い記憶が、幼少期の「母との別れ」だった場合、それを記すことが自身の生い立ちとも密接に関わってくるため、自分というものを表す重要なエピソードになります。
 
「はしがき」と「あとがき」について悩まれる方も多いかと思います。これについては、「はしがき」は決して最初に書かなければいけないものではなく、「あとがき」も全部書き終わってから書かなければいけないものではないと考えましょう。原稿をすべて書いたあと、「あとがき⇒はしがき」の順で書くことを著者は薦めています。
「あとがき」は手紙の「追伸」みたいなもので、書き終えてから「そういえばあれも付け加えておかなくては」というふうに付け加えるものだと考えましょう。それに加えて自分史を書き終えた感想を記す場が「あとがき」です。そうすると、「自分史を書くということが、自分にとってどういうことだったか」ということが見えてくるはず。それを「はしがき」に書けばよいのです。
 
自分史においてケアすべきこと
 内容に関する部分では、自分史特有のケアすべきポイントがあります。それは、自分の恥をさらすような内容に関するものです。人間誰しも人に語ることが憚れるような苦い記憶があるものです。それをどう処理するかで自分史の内容もだいぶ変わってきます。
 そうした部分には蓋をして一切触れない書き方もあれば、表面的にあっさり触れる程度にとどめる書き方もあります。人の目に触れるものですから、直接的に書かないのが普通でしょう。しかし、恥となる部分を臆することなく書くことで、相当読みごたえのある自分史に仕上がるケースもあります。どういう形で処理するのがよいかはケースバイケースですが、それを書くことで人に影響が出るのであれば、人間関係の濃淡に応じて按配するのがいいでしょう。
 
「本当の自分を知ってもらう」ことに重きを置くなら、恥となる部分まで踏み込んで書いたほうがいいと著者はアドバイスします。自分史はプライバシーの極致のようなものであり、誰しも心の隅にずっと抱えているわだかまりが大なり小なりあるものです。自分史を書くという行為には、そうしたわだかまりがほぐれてくる癒し効果のようなものがあると著者は指摘します。
 心の中のわだかまりを書くことに抵抗があり、筆が止まってしまった受講生もいたそうですが、ちょっと書き出してみたところ、それまで溜めに溜めていた想いが一挙にほとばしり、筆が止まらなくなった人もいたといいます。書きあぐねていることの中にこそ、自分の人生にとって重要なことが秘められているのかもしれません。
 
記憶の掘り起こし方
 自分史とは一言でいうと、さまざまなエピソードの連鎖として自分の人生を語っていくことです。自分史を書くための材料は、全て自分の記憶の中にあり、それをどのように掘り起こしていくかが重要になってきます。
 人間の記憶は、具体的なものに結びつけて記憶の中にしまいこまれていることが多いため、写真アルバムを手がかりにするのもいいですし、昔の日記や子供の頃に書いた作文、手紙や年賀状などを掘り起こしていくと自分史にふくらみが出てきます。まずは思い出の品々を整理してみることが、自分史を書くために欠かせない準備作業となります。
 
 そして、具体的な同時代史を手がかりにすると、記憶がよみがえりやすくなるものです。中でも最良の手がかりは、そのときどきの大きな社会的事件やイベントです。たとえば東京オリンピックのとき、オウムの地下鉄サリン事件のとき、「自分はどこで何をしていたか」といったことを手がかりにすると、当時の記憶を呼び覚ますことができるはず。そこで著者は、「自分史年表」を書くことを推奨しています。
 
 自分史年表には、世の中の主な出来事を記入する欄を作っておくといいでしょう。ただし、ここに力を入れすぎると、とめどもなく詳しい社会年表を作成しがちなので、世間を賑わせた大きな出来事であり、かつ自分の記憶に強く残っている出来事に限ることです。
 自分史年表は、長い文章を書く際に全体像を把握するための「コンテ」みたいなものです。自分の人生をパッと見渡せるようにすることが目的ですから、詳細な年表を作る必要はありません。詳細すぎると細部に目がいきすぎて、かえって全体を見渡すことが難しくなるものです。まずは思い出すままにメモ的に書いてみましょう。
 
自分史の構成について
 自分史年表の骨格は、「履歴書(学歴・職歴)+個人生活史+家族史」です。職歴の部分では、「仕事内容の歴史」と「職場異動の歴史」を押さえ、個人生活史の部分では「住所変更の歴史」を押さえておくことがポイントです。
 
 自分史の構成については、時代別に区分けするといいでしょう。たとえば時間軸で区分するなら「幼年時代・少年少女時代・高校時代・大学時代」となり、仕事で区分けする場合は、「就職するまでとその前後、入社直後と平社員OJT時代、企業内のステップアップ過程、動乱と失業の時代、あるいは栄光の時代、リタイアの時代」といった分け方になります。そのどこかが家族史(結婚・出産・子供の成長・病気や死別)といった大きな区切りとも結びつくものです。
 また、生活拠点の移動といった空間軸の移動で区分けするのもいいでしょう。たとえば「故郷とそこを出るまでの時代、東京時代、赴任地の△△時代」といった分け方です。
 
 もう一つ重要なポイントは、人生とは単なる時空間内の移動ではないということ。別の角度から見ると、人生とは人間関係の海の中を泳ぎ続けるような行為であり、全ての人が驚くほど多くの人間関係の中で生きているものです。その過程でさまざまな喜怒哀楽を人と共有したり、ぶつけ合ったりするのが「生きる」という行為です。
 そうした人間関係の全体像をつかむために、著者は「人間関係のクラスターマップ」を作ることを薦めています。簡単に言うと、それぞれの時代に自分を取り巻いていた人間関係の一覧表を作ることです。同時にそれらの人間関係から生じた喜怒哀楽を伴ったエピソードをメモしておくといいでしょう。
 
自分史後半部のポイント
 良い自分史年表ができれば、自分史はすでに半分できたといってもいいくらいだと著者はいいます。自分史年表や人間関係クラスターマップを通して人生の全体像が見えてきたときが、自分史の書き時です。
 
 自分の出自や生い立ち、仕事歴などから自分史を書き進めていくわけですが、生涯独身を貫いている人は別として、多くの場合、自分史の後半部は「ファミリー史」の性格を帯びてくるはず。人生前半の子供時代は、ファミリーは物心ついたときからすでに存在する基本的な世界であり、当分の間は依存しなければいけない対象です。しかし、人生の後半部においては、ファミリーは自分が主体的に作っていくものとなり、依存対象から自分が依存される対象となります。その中間地点で、生涯の伴侶との恋愛、あるいは婚活やお見合い、そして結婚が自分史の一つのヤマ場になることでしょう。
 
 こうして立花隆氏の指導のもとで自分史を書いていった幾人かの受講生は、「書く時々で自分史に対する自分の思いが変化する」ことを感じたといいます。自分史をいくら書いても書き足りないような気がして、満足いくことがなかったそうです。そして、実は自分自身のために自分史を書いていたことに気づかされるのです。自分史の真の読み手は、子供でも孫でもなく、結局は自分自身――。それが自分史の本質なのかもしれません。
 
 最後に自分史の締めくくり方についてですが、人によっては遺言的な要素を付け加えておくといいでしょう。墓地や葬式、遺産の分配などについて一般的な慣習に従うという人は特に書き残す必要もありませんが、もしあなたがなんらかのこだわりを持って「こうしたい」という望みがあるなら、きちんと書き残しておくことです。そうした記述が残っていた方が、あとあと残された人が楽に対処できるようになります。もう一つ最後に書き残しておいて然るべきものがあるとすれば、自分の生きてきた人生について、あるいは自分が生きてきた時代についての「所感」です。特に書くべきことが浮かばなければ、「感慨無量」と書くのもひとつの手です。
 
 自分史作りとは、自分の過去が今の自分から見てどのように見えるかを記すことでもあります。したがって60代のときの自分から見た過去と、70代のときの自分から見た過去はおのずと違ってくるはずです。人間は一生の間、思いが日々変わる生き物ですから、自分史をいったん完結させたとしても、何年か経ってからもう一度、自分史を書き直してみたり、補填のようなものを書いてみたりするのもいいでしょう。
 
 
※以上、立花隆氏の『自分史の書き方』は、自分史の基本的な書き方から構成やまとめ方までが網羅され、自分でも自分史を書いてみたくなる本でした。特に印象的だったのは、自分史を書くことで心の中のわだかまりが浄化されるという心への影響です。だからこそ立花隆氏は、一生に一度は自分史を書いてみることを薦めているのでしょう。
 とはいえ、自分で自分史を書くことはかなりの根気を要するものであり、へたをすれば数カ月から年単位の時間がかかるものですから、それができる人は限られてくると思います。「それは無理だけど自分史を作りたい」という方はぜひ自伝屋にお任せください。あなたの記憶と想いに寄り添って自分史を執筆いたします。また、いったん書き上げた手書き原稿(あるいはワープロ原稿)を推敲し、本にまとめる作業も代行いたしますので、お気軽にご相談ください。
 
text by 自伝屋
https://jidenya.com

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