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34歳元航空自衛官、やり直せるとしてももう一度防衛大に入るだろう。

どうも。
元航空自衛官、現在経営者のアッシュです。

私は福岡県の高校を卒業した後に、防衛大学校に進学しました。
親族に自衛官はいなかったので、正直どんなことをやるか等は全く分からず判断しました。
極端に自衛隊に興味があったわけではありません。
また、この選択は親から勧められたわけではなく、自分で判断しました。
では、なぜそのような判断をしたのかという話をしたいと思います。

さかのぼること中学3年生の頃、プライドが高かった私はとりあえず公立高校で一番のところを目指そうと思いました。
その先のビジョンもなく、高校のブランドとステータスが欲しかっただけです。
それから、入試に合格することを目標に全力で勉強して合格することができました。

それから春になり高校生活が始まると、ずっと勉強の課題が課せられる日々に耐えられなくなりました。
その学校の生徒になることが目的だったので、入学以降は何のために勉強するのかわからず、全く勉強しなくなりました。
それでも入学当初は中学の時の貯金があるので、定期試験の順位もまあまあ良くあぐらをかいていました。
定期試験が来る度に順位はどんどん落ちていき、2年の中盤には下から10番くらいになっていました。

そんな状況でも、勉強すれば余裕で順位上がるでしょ。と思っていました。
そして、3年生の春に部活を引退しやることがなくなったので大学入試の勉強でも始めるかと思い勉強をし始めましたが、一向に順位は上がりませんでした。

私はその時、高校生活で手を抜いた、一生懸命に生きなかった自分の人生を後悔しました。
みるみる自信はかなくなり、プライドもどこかへ行ってしまいました。
このまま情けないまま、高校生活で差をつけられた同級生には劣等感を感じながら大学生活やその後の社会人生活を送るのか。と絶望したのを覚えています。

そんなある日、深夜放送でしゃべり場だったか、ジェネジャンだったか定かではないですが、若者のグループ討論番組で大人枠が一人あったのですが、その枠で武田鉄矢が出ていてこう言いました。
「10代から20代の前半に、これ以上できないってくらい努力をしなさい。もう同じ努力はできないだろうというくらい。そうすれば、30代、40代で困難にぶつかった時に、その時の自分が背中を押してくれるから。」

私はこの言葉を聞いて、自分にはこの先困難があった時に背中を押してくれる自分がいないことに気づき、自分を追い込もうを決めました。

そして進路指導室にあった防衛大のパンフレットを見て、入校を即断しました。

楽ではなかったですが、あの4年間が今の自分を支えていると思います。

防衛大に行ったことが私の人生において最良の選択だったと思います。
そして、困難を乗り越える時はいつも同期や仲間が一緒にいるという点も他ではなかなかない価値ではないかと思います。

もし今、自信がなかったり、人生に諦めているような高校生、中学生の方がいたら参考にしてください。

では!

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