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Twitterコミュニティノートに逆ギレする新聞記者は森達也エピゴーネン?

神奈川新聞記者は「クソリプ」と表現

Twitter投稿のファクトチェック機能のような役割を持つコミュニティノート。「多くのユーザーが協力して、役に立つ背景情報をツイートに追加し、他のユーザーへ十分な情報を提供するためのプログラムです」という説明がありました。

これが今、猛威を振るっており左派界隈にぶっ刺さっています。NHK、東京新聞、朝日新聞、毎日新聞から共産党議員に至るまでオレ様が常識ワンパク言論の誤りを炙り出す事態に。

NHKなんて煽り見出しがコミュニティノートの餌食になりました(笑)。

主張における見解の相違は仕方がないありませんね。ただ報道機関が「事実」で間違うのって相当、恥ずかしいことではないでしょうか。マスコミ報道に疑問を呈するとそのこと自体が表現や報道の自由侵害という的外れな反論が待っています。

活動家肌の記者たちが指摘を受けて逆ギレ。神奈川新聞でも特に左派色が強い女性記者が「クソリプ」と表現したのは実に印象的です。マスコミ報道にシンパシーを抱くユーザーにはこのような意見も。

嘘でもいいから報道が許されるという点に現在のマスコミの惨状があるのではないでしょうか。自分たちの力量不足を指摘されたら「報道の自由」を持ち出すのは傲慢でしかありません。

ただ個人的には意外だと思ったのは活動家記者でも事実関係で指摘を受けたら気にすることです。マスコミ記者たちは意図して誤情報を流布して世論形成を図っていると思っていたから。それに加えてもう一つの要素を感じています。

ノンフィクション志向がお気持ち記事を生む

本来、起きた出来事を正確に伝えるのは大切なことだし、それ自体が立派なスキルですよね。事実を正確に確認し、正確に伝えるのは素晴らしい才能だと思いますが、むしろそういった「事実確認能力」「伝達能力」を軽視する傾向を感じます。

どうも昨今のメディアの風潮には「私の想いをぶつけたい」という思想が垣間見えます。本来、デスクあたりが「お前の想いは聞いていない」で済む話ですが、ノーチェックなのでしょうか。いわゆる「お気持ち記事」が掲載されることが多々あります。

その裏には強いノンフィクション、ドギュメンタリ―志向を感じます。

そして活動家記者、左派を好む記者がモデルとするフリーランスがドギュメンタリ―作家の森達也氏です。メディア関係の著作や講演会も多数ですが、この方の特徴として事実誤認も多いです。

そんな森さんがよく口にされるのが

「ノンフィクションは事実よりも自分の見たままでいいいんだ」

というものです。ありのまま感じたことを表現しろ、と。前衛劇団の演出家みたい。要するに事実誤認などは大したことではなくて、思いを伝えることが重要という考えです。

ノンフィクション、新聞、文字、映像問わず基本的な事実で間違えてはいけないと思いますが、「報道の自由」をタテに事実確認という大事な作業を省略してきたのでしょう。そしてコミュニティノートを浴びる記者たちに共通するのは森達也エピゴーネンではないかと。すなわち

「ノンフィクションは事実よりも自分の見たままでいいいんだ」

という思想ですね。

だからコミュニティノートを受けたとしても活動家記者のスタイルからすれば「あっそ」で済む話。ところが記者たちは過剰に反応していますね。

そこは活動家といっても記者。事実確認で指摘を受けるのは恥ずかしいのでしょうか。若干、微笑ましさを感じたのでした(笑)。




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