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先鋭化した東京新聞が教科書レベルの事実確認もできなくなった理由

地方紙だが存在感はある謎新聞

報道というより「活動」
取材というより「闘争」
記事というより「檄文」

東京新聞は独自の存在感があります。福島原発事故の関連ニュースで左派から支持を集めました。脱原発運動の御用達メディアになった訳ですがただそのことで部数増に貢献したとは聞きません。同紙の象徴、望月衣塑子記者も話題の問題、事件に何でも首を突っ込む野次馬に過ぎず、彼女の手によって何か一つでも「真実」が暴かれた事案があったら教えてください。

従来からリベラル色の強い紙面でしたが、とにかく311以降は原発、人権、外国人問題などで先鋭化の道を歩んできました。せいぜい労働組合の機関紙で収まるような活動家が普通に紙面上で「市民」「論者」として掲載されています。記者と懇意にしているのでしょう。

とは言え目立たないけど良記事もあるんですよ。

危険なニオイがするから…立花隆さんが残した取材資料の寄託が難航 匿名の情報源含まれれば公開にリスク

作家、立花隆さんが所有した取材資料の寄託先が難航しているというレポートは今の新聞が失ったノンフィクション感があります。それから保守層からは批判される同紙ですが、意外と懐が広い。

保守派で気鋭の若手学者、拓大・丹羽文生教授の連載を東京新聞が掲載しました。丹羽教授のFBによると読者から抗議や読者欄に反論投書がありましたが、連載を続けたのは東京新聞も見上げたものです。

ある種の気概を感じさせつつ、特定の記者と読者に引っ張られているのが現在の東京新聞です。しかし報道機関としてはもう限界ではないでしょうか。
それを象徴する事態が起きました。

赤字だらけの社説は何を物語るか

慶大・鶴岡路人准教授のTwitterが話題です。鶴岡氏はウクライナ問題で有名になった筑波大・東野篤子教授のご主人ですね。鶴岡氏が7月14日の東京新聞の社説「NATO拡大 軍事対立激化避けねば」に対して校閲記者並みの赤字を入れました。まさに公開処刑! これは恥ずかしい。

内容的にはいわゆる「話し合いで解決」という程度でいつも通りの左巻き新聞記者の文章です。鶴岡氏も指摘されているように、イデオロギーや思想の違いはどうにもなりません。ただこの社説は事実関係を間違えています。

事実関係で間違うのは報道機関としてあるまじきこと。それもググれば分かるレベルの話なのに。

のっけからNATOの加盟を認めて拡大はちょっと…。となりの図解に(加盟予定)とあるわけですが(笑)。スウェーデンのNATO加盟問題は関係ニュースが多いです。他社の報道でも「加盟に前進」だとか「トルコが支持した」とか様々。そうした確認も行わず、また社内でも校閲記者が指摘しなかったのでしょうか。

加盟を認めて拡大の隣に「加盟予定」とある。

悲惨なウクライナ問題を目の当たりにして、一般人より情報に触れる機会が多いであろう新聞記者が「外交で解決」というのはもはや夢想、絵空事。

ただ仕方ないんです。読者が求めているから。この赤字だらけの社説が生まれた背景には記者の認識不足と同時に完全に特定読者への配慮が垣間見えます。

すなわち「事実など二の次、戦争反対を貫くことが大事なんだ」という思考パターンに縛られているのでしょう。

東京新聞は投書を採用してくれるから

この社説の担当者の心のうちに入ってみましょう。まず90%正確だと自負します。

「またネットがねちねちうるさい。加盟予定なんだからNATO拡大でいいんだよ。今は戦争反対が優先だろうが。鶴岡も専門家面するんじゃねえ。社説は事実より理念が大事なんだよ!」

また読者も同様だと予想します。東京新聞はもはやそれ自体が「物語」なのです。国家と対峙する記者たちが安全保障、原発、人権と戦っている、それを私たち読者が応援している、という物語。

東京新聞には読者を「共に闘う同志」へ誘う魔力があるんです。以前、自分の記事で紹介したことがあるんですけど、とある市民集会で「今、一番良い新聞社はどこか」というテーマで意見交換がありました。

するととある参加者がさっと手を挙げ

「東京新聞だ」

と答えました。これに大多数の人が賛同したのが印象的。なるほど確かにこの層にとっては東京新聞を支持するだろうと予想がつきましたが、話はここから。その理由について

「投書を採用してくれるから」

でした。「?」これには頭を抱えました。例えばこんな良記事があった、この特報が面白かった、ならば新聞記者冥利に尽きるでしょう。しかし投書採用ですよ。

「記事では物足りん! オレがモノを言ったる!」

ところが記者たちもまんざらでもないでしょう。自分たちの内心を読者に代弁させるという投書のメリットもあるんですね。

先に紹介した丹羽教授の連載に対しても投書で反論があったのはその証左。社内の左派記者、読者への配慮で反論投書を採用したのが目に浮かぶようです。

繰り返しますが「政治イデオロギー」だけは報道の自由で許されますが、事実関係のミスだけは「報道の自由」とはなりません。どうも私にはあの赤字だらけの社説が生まれたのは

「事実など二の次、戦争反対を貫くことが大事なんだ」

という発想があるのではないでしょうか。またこうした考え方は東京新聞の読者とも一致できます。もっとも読者といっても大半は高齢者。いつまで今の編集方針が続くでしょうね。





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