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明日は54年目の「飛騨川バス転落事故」の日です(前編)

バス事故としては世界最大級


私が熱海の土石流の取材をしているので土砂災害は非常に関心を持っています。もともと私にとって「土石流」とは1968年に発生した飛騨川バス転落事故でした。1968年(昭和43年)8月18日未明、岐阜県加茂郡白川町河岐の国道41号で発生した土石流でバス事故で乗員・乗客107人のうち104人が死亡しました。バス事故としては世界最大級と言われています。

子供の頃から事件についてよく聞かされていました。慰霊式にも出席したりドライブで事故現場付近に設置された慰霊碑「天心白菊の塔」を通るとお参りしています。隣は崖、下は峡谷という難所だから設置された塔は安全運転を呼びかける意味もあります。

生まれる前の事件ですが、不思議なことに自分もこの時代を生きたかのように錯覚しています。きっと多くの話を聞いたり、学校の自由研究にしたからでしょう。本来は素晴らしい景勝地でも「飛騨川」にはバス転落事故が枕詞のようについています。

休憩スポットとしても使われていました。
中部電力さんのご厚意で清掃活動も。
佐藤栄作首相というのが時代を物語ります。
飛騨川は川幅が狭く平素でも急流です。

大人になってから記憶が蘇る

飛騨川沿いに深夜、女性が立っていて乗せてあげるといつの間にか女性は消えて座席が濡れていた――。子供の頃はこんな話をしていました。バス事故の犠牲者の霊ということですね。

大人になって上京して就職してなんとなく事故の話は記憶から薄れていきます。それでも意外なところで再びバス事故について関心を持つようになったのです

出版の仕事に関わるようになってある生活関係本を制作して広告展開を考えた時のこと。2003年頃です。タウン誌、フリーペーパー、コミュニティ誌にプロモーションをかけることにしました。

PR会社の人に全国各地のタウン誌を集めてもらって同僚たちと「変わったネーミングだね」なんてご当地ネタで盛り上がったものです。その中で愛知県西部及び岐阜県南部のフリーペーパー『奥様ジャーナル』も「なんだこれ?」なんてネタにしていました。

でも自分はこの名を聞いて心に刺さりました。なぜなら事故は「海抜3000メートル乗鞍雲上大パーティー」の観光バスで奥様ジャーナル社が主催したツアー。むしろ飛騨川バス転落事故以外でこの名に遭遇するとは思ってもいませんでした。

そんな経緯もあったのとまたネットに当時の記者が投稿したりWikipediaも登場して再び事件に関心を寄せるようになりました。

レジャー意識が高まる中で

事故現場の国道41号は名古屋市から富山市をつなぐ中部地方の大動脈です。観光的にも乗鞍岳、奥飛騨温泉郷に至る重要なルートです。昭和43年だから高度成長期の中で国民生活が向上し、レジャー意識が高まり始めた頃。

そんな中で夏休みに乗鞍岳のご来光を見る観光客は今でも人気コースです。

奥様ジャーナルが配布された団地には満州からの引き上げ家族も住んでおりツアーに参加して犠牲になりました。戦後の混乱を経て、ようやく余裕が出てきた末の事故は悲劇という言葉では生易しい。

また奥様ジャーナル社社長のご家族もツアーに参加しており奥様とご長男を亡くされています。気の毒なことに社長さんは被害者ながら、後の裁判では被告として出廷しています。

天心白菊の塔がバイパス工事で移転

さて今年、この事件を取り上げたのは理由があります。バイパス工事のため今年6月に慰霊塔がよいいち(41)美濃白川へ移転したからです。恒例の慰霊式典もよいいち美濃白川で明日11時から執り行われます。

当時子供だった関係者も今や高齢者。54年前の大災害ですが私たちの世代でも後世に語り継いでいこうと思っています。

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