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好きなとこ述べるつもりだったのに羅生門の話が長いよ。

さて、純米に倣ってわたしも唐突に好きなところを述べよっと。なぜなら去年の今日は推しに出会った日だし、今年の今日は既に落ちてた沼にもう一回落ち直した日なので。激重で長くてキモいから私のことが好きな人以外は読まないことを推奨する、🔮って予測変換出てきたけどやめて?

出会った日のこと、は、あんまり覚えてないんだよな〜。えへへ。この日鮮明に覚えてるのは姫様のこしんちゃんと、政次座長と麗華さんのきゅうすけおとみ夫婦、あとは姫の朝日楼と、ばり惚れと、好太郎さんと姫の北の蛍、と、獅子丸くんのアイシテルのサイン。

お分かりかと思うけど、この日の私が夢中になったのは姫乃さんなんだよね...まあ姫のお誕生日公演だったから当然なのかもしれないけど!それにしたって、この後通おうと思ったのは完全に姫様と純米のおかげだった。

推しに関しては、滝の白糸はどうやら山本だったらしくて、たぶん個人はジゴロ13だった、ぐらいのふわ〜っっっとした記憶しかない。なんでなんだろうね?

翔太郎さんしか見えなくなったのは2月23日からだったなあ。もうなんかこの時点で、大衆演劇というものにはわりとハマっていて、純米と「来月にはいなくなるんだよ、見れるだけ見といたほうが良くない?」って言い合って小通いしてた。オタクの素質が見え隠れしているね?

23日はご存じの祝日で、お仕事行かなくてよくて、何するかーってなったときもはや篠原行くしか選択肢なかったようで。昼夜したんだと思う、曖昧だけど。そんでたぶん、4列目くらいの、下手のブロックにいたような気がする。

この日までで、「今篠原乗ってる鯱と舞姫の中なら翔太郎くん好きだな〜☺︎」みたいな軽い気持ちはあったけど、「2月に見れるだけ見て、またいつか近くに来たら見てみたいなあ」ぐらいのもんの、ふざけた覚悟しかできてなかったので、まっさかこんなふうになる予定ではなかった。

あの日の「羅生門」で何が起きたのか、詳細を説明できるほどの記憶はなくて、ただ、大きな衝撃が走ったことと「あ、今わたし射抜かれたなあ」と思ったことは覚えておる...。

刀を持って、どしゃぶりの雨も気にせず濡れながらそこに立って鬼と対峙する男があまりにもかっこよくて、色男で有名な渡辺綱そのもの、いやもはやそれよりもずっと男らしくてかっこいいのでは!?この人!!って急に感じて、そのままズドン!と沼にハマって夢中になってしまった。のよね。

当時スマホにメモとかしてなかったので、芝居のこと書いてたノートにへろっへろの字で「らしょうもん しょうたろくん よすぎ しぬ」って書いてあった。わかるよ。握手しよう一年前の私🤝 おんなじ気持ちになったよ今日。

羅生門、私はこの時に初めて聞いたのだけど、やっぱり何回聞き直しても傘より刀が好きだなと思う。何もかも捨てて羅城門に住んでる鬼を倒しに馬に乗って出かけていったんだから、その手にあるのは刀であるべきなのよ、お話通りに取るなら。別の状況に当てはめて傘にするのも素敵だけどね、どしゃぶり雨にもろ肌脱いでるって、それって傘、さしてる、か、、?と思ったりしちゃい派ではある。。

まあそんなわけで、刀で羅生門(冬美)は私の中でもうなんか、神格化されておりまして、いつか出会いたい、いや2度と出会いたくない、みたいな気持ちだったのよ。そして5月に傘で踊ってたのを拝見した以降、翔太郎さんの羅生門そのものに出会ってなかったのでめちゃめちゃ油断してましたよ今日、ええ。

なんんんんんんかさあああああ!1部のぐでんぐでん終わりの時点で磯野に「夜、羅生門やりそうじゃん?」て言われて、そもそもぐでんぐでんでやられてるのに追い討ちかかってめちゃくちゃお腹痛くなってたのに。昼やん、昼の3部やん、ずるじゃん。イントロドンで無理になったし磯野に「ねえ!ほらあ!」て言われるし、拍手起こって花道の方ぱって見たらさあ!刀なんだもん。何してる?今日わたし死ぬん?と思った、と同時に、超怖かった、去年ほど夢中になれなかったらどうしよって思った。

が、まじでそんな舐めたことをぬかしている場合ではなかった、わたしが一番わかってたのに、このたった1年間で翔太郎さんがどれだけめきめきかっこよくなって魅力的になってるか!

男らしさ、色気、勇敢さ、不器用さ、繊細さ、強さ、優しさ、ぜんっっっっぶ!今年のほうが上回ってた、立ち姿の中に少年がいた去年と違って、今年はどの角度から見ても大人の男になってた、10代って一年でこんなに変わるんですね。それとも推しが天才なの?どっちにしろ天才ではあるが。そりゃあさあ、女の鬼から襲われもするわいな、て感じのいい男だった。わたしが鬼だったら取って食いたいと思うと思う、何を言っているかわからないが。ほんとに本気で、改めてこの人の芸が好きだと思った。惚れ直した。沼に、落ち直した、すごいね。

まじ一生舞踊の話しているが、お芝居も好きなんです、ただいつどの瞬間も遅刻して舞踊から参加、のパターンばかりだったので、まともに芝居を見れた回数が少なすぎて語れる気がしないのです。

こっから本題。
で、根本的に何が、どこが好きなの、という話なんだけども。こういうのって誰かに問われることもほぼなくて、考える機会ってあんまりないよね。去年の4月に問われた時は明確に答えられなかったことを覚えてる。一年間を振り返って考えてみたので、今日こそそんな話をしてみます。

結論から言うと、歴史や背景を感じさせる美術品みたいなところ。
え、何?小難し、うざ、と思った?思わんで。

なにごとにも、「①表層的な、目に見える部分」と、「②深層的な、探らないとわからない部分」というのがあると思うんですけれど、美術館とかで何かを鑑賞する時ってその両面から楽しむじゃないですか。① 姿形とか描かれてるモチーフとかを見て、② 作者がどんな人なのか、制作背景は、どんな技法が使われてるか、とかを見る。みたいな感じで。それで理解して深める。

姿形が美しかったり、動きが魅力的だったりするのが①の目に見える部分、で、それを作り上げてるのが②の一見するだけでは見えない部分、だと思うのね。

それを踏まえて聞いてほしいんですが、翔太郎さんの好きなところは、
①目に見える部分
・姿、形、動き、止まった瞬間、表情、全部が抜群に美しい、少なくとも私の美的感覚から言えば、世の中の何よりも美しい、ところ。(仏像じゃん...とか法悦...みたいな発言はここに収束する)
・歌詞見た?みたいな謎のお支度で出てくることが少ないところ。ちゃんと世界観踏まえてくれるところ。
・目線とか動作とか表情に物語性を付与するのが上手いところ。

② ①を作り上げてる部分
・目の閉じ方から開き方、手の握り方開き方、指の折り方、どの過程一つをとっても、意図を感じる瞬間が多いところ。イコール、彼なりの解釈があるのだろうと感じられるところ。
・彼の体を伴って完成された形から、「理想像」のようなものを感じるところ。例えば表現されたものが「男らしい立ち姿」だったら、その後ろに「仁王像」みたいなモデルが見えるところ。意図的であるにしろ、そうではないにしろ、脳内に彼が「美」とするものがあると感じて嬉しくなる、ところ。
②として挙げた2つをまとめていえば、「どう見られたいと考えてるのか」「そのためにしてる努力」がたまにちらっと見えてくるところ。

という感じ!
あとはなんかもう、言ってしまえば人間性。大真面目に、かわいくて魅力的で、誰からも愛される子だと思う...。いつもにこにこしてて、優しくて、本当にいい子だね...という気持ちです。なんせ結構年下なので、芸にぶちのめされて「うっっっ!」ってなってる時以外はずっと「かわいい.............」という気持ちで溢れています。

私さ、自分の好きなもの、推しにバレているようでバレていないと思っていたのだけれど、今日は「バレていたのかもしれない...」なんて思ってしまった。推しがあまりにも魅力的すぎたので...。

今日すごく、いわゆる、例のあの人選曲だなあ、という感じだったの、曲はね。曲は!
歌麿にしろ、歳々年々にしろ、あの方とおんなじようにやるんだったら全然好きじゃなかったと思うよ正直。お面でやばかった!という話題はきいてたけど、おんなじだから好きとはならない、だってあの方と翔太郎さんとは、全然好きなところが違うので。

でもねえ、その例の方の舞踊のエッセンス、とある瞬間とか、とある設定、とある演出を「理想像」として切り取った上で、ちゃんと自分で作った世界に嵌め込んでてめちゃくちゃ良かった、盗むとはそういうことだよねえ、と思った。

歌麿に関して言えば、翔太郎さんが演じてた主人公の女、怒りの強い女だったなあと思う。切なさとか悲哀よりも、悔しさとか怒りを感じた。じり、じり、って前に出てくる歩き方も執念感じてめちゃくちゃ好きだった...。血の涙を流した末に般若に変わる綺麗な女、あの手の女は般若になるのにあんまり葛藤とかしないと思う。自然の摂理的に狂うし鬼と化す感、好きです。

本人がどんなふうに考えてやってるかわかんないけどね!的外れなこと言ってるかもだけどね!でも、そういう彼なりの解釈があるのだろうなあということを感じられてハピネスでした。ご無事に刺さった。

諸事情あってじごぽはこれから充電期間に入るのだけれど、ここに改めて推しへの愛を綴っておけてよかったね。
推しのいる一年は本当に幸せでした、推しにもお友達にも、本当にありがとう。また元気で劇場で会おうね。
敬愛を込めて、じごぽ。

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