見出し画像

私が「朝花」をどう受け取って泣いてるか、の話


みなさんこんばんは、じごぽです✌︎

みんなは、石川さゆりさんの「朝花」の舞踊は好きですか?どんなのが好きですか?

じごぽはね、「朝花」がまず曲として刺さっておるのですよ。
前にTwitterでは言ったんだけど、「風の歌 波の歌」の対っぽいな〜と勝手に思っており。それは、じごぽの中ではこの2曲はどちらも「歌(音)を通して人生を省みる」ということがテーマだと思っているからなのね。

朝花に関しては、性別はどちらでもよいのだけれど、なんとなく母を感じている🤱 し、なんならもっと大きなものも感じてたりする。なんだろ、「親」という概念というか。これまで代々の、島の子を見守り育んできた「親たち」みたいな、、、1人の女、じゃなくて、島全体を流れる祖先たちの目線、みたいな、そんな感じ。命の潮流みたいなさ、!ええい、伝われ!!!

さて、「朝花」に対するこのでっかい感情がどこから湧いているかという話なんだけどさ。そもそも『朝花』って何?ってお話をしなきゃいけないのですよ。

歌詞中の『朝花』というのは、奄美大島の島唄、『朝花節』を指してるはずなのです。朝花節って、島唄の中でも一番初めに歌われる曲なんだって、宴の席でも、歌遊びの席でも。

オーソドックスなものの一つを中孝介さんが唄ってくださっていたから是非見てほしいな☺️ 特に朝花節を聞いたことがないなら、イメージ変わると思うので、是非。

中 孝介 - シマ唄弾き語り『朝花節』
https://youtu.be/HRhO1F-7Uoo

さて、この動画の中で唄われてる朝花節の歌詞がこちら。

ハーレーイ 朝花はやり節
(朝花は始めの唄)
ハーレーイ 唄の始まり
(唄の始まりは)
イヤーハーレーイ 朝花はやり節
(朝花節から始めましょう)
ハレーイー 稀れ稀れ汝きゃば拝でぃ
(久しぶりに皆さんとお会いしました)
ハレーイー 互に稀れ稀れじゃが ヨーハレー
(お互いに久しぶりですが)
ゆさり夜や遊びんしょろやい
(ゆっくり今夜は遊びましょう)

ハレーイー 幸福なことあらち給れ
(幸福なことがありますように)
ハレーイー なきゃが先々なんやー ハレー
(みなさんの先々に)
幸福事あらち給れ
(幸福なことがありますように) 

こんな感じ!基本中の基本の唄だから、島唄の大会の課題曲になったりもするし、歌詞も固定ではなくて、集落ごとに伝統的な歌詞が違ったり、時と場合によって個人個人が歌詞を変えたりしながら歌い継がれているんだって!

ねぇ、ココ重要です☝️
さゆりさんの「朝花」の歌詞の随所に見られる、「あのひとと唄った」「悲しく響いた」「優しく包まれた」「(子は)この唄を集い唄うのだろう」「楽しい時に唄え」「苦しい時こそ唄え」という『朝花節』への数々の場面描写、グッと刺さってきませんか???
人生のどんな場面にも、この島唄があったんですよ。楽しい時、つらい時、祝いの場面にも別れの場面にもこの唄があったんです。

それを踏まえてサビの歌詞を見てよぅ。みんな見てぇ。
「あの朝花の調べに寄り添い
 ハイハイハーレイヨイサヨイと生きてきました」
ですよ。いくらさ、朝花節を表す唄の部分の曲調が明るくてもさ、「おはなばたけ🌷ルンルン💗」って舞踊ではねえなって私は思っている、ん、だけど、どーお???

さて。とある1人の「私」の目線だった1番から、2番に入ったところで。ここで世界観がぐっっと広がる感じがする、よね?
「子は育ち やがて子の親となり
 この唄を 集い 唄うのだろう」
一人称のままではあるんだけど、けれどなんというか。このことって奄美の親たちはどこかのタイミングできっと一度は考えたことあるんだろうなって気がする。ので、この歌の主人公となっている「とある1人の親」はどの時代にも存在したんだろうな、って思うの。だからこそ、この歌詞によって「1人」の目線から「複数人」の目線になるような気がしてる。
島で生きてきた人たちが、自分の子孫たちに「楽しい時に唄え、苦しい時こそ唄え」って説いてると思ったらさ、はぁ🤦🏻‍♀️ 昔から島の人たちの人生の中にずーーーっと存在してきた大事な唄なんだなってさ、、、思ってさ、刺さるよね.........

3番からは、いよいよ「生」の話してくんの...もぉおお。
瞬きの間に過ぎて行った人生、っていう感覚、すごく島っぽいなと思う。いや、馬鹿にしてるとかじゃないですよ、私も幼少期、南の島に住んでたことあるのでね、違いますよ!

なんというか、自分たちは自然の大きな流れの中のひとつっていう感覚が、島に住んでたあの頃には染み付いてたなって思うの。今みたいに忙しなく生きてなくて、大きくて優しくて厳しい自然に包まれてて。「全は一、一は全」みたいなさ。世代バレるね?

そして、その一瞬だった人生、今振り返ってみれば一点の後悔の曇りもないって言ってんだよね、、、きっとその場その場の後悔はあったけど、子どもだった自分が成長して子を産んで、その子が立派に育ってその子なりに人生を謳歌して、っていう巡る生命にまで想いを馳せた「この生を悔やむ曇りはあらず」なんだよね...。と解釈して刺さり。私わりと反出生主義気味ではあるけど、大きな自然の中で見た場合、紡ぎ、受け継がれていく命や文化ってすごく尊いし美しいな、とは思う。。

「いつしかカモメになり、あのひとの胸に帰るまで」の「あのひと」、最初に出てきた「あのひとと唄った唄」の「あのひと」よね?これって母親なのでは?と私は思っている、そしたらしっくりきてボロボロ泣けちゃうので✌︎
「あなたを想い」の「あなた」もきっと同じ人を指すよね。人生の、子育ての指標となるような人なんだろうね...

最後まで来たので歌詞全文を見てみよっかね?

夏は過ぎ 胸に残る唄ひとつ
あのひとと 唄った 唄がひとつ
悲しく 悲しく 響いた時
優しく 優しく 包まれた時

あの朝花の 調べに寄り添い 
ハイハイ ハ~レィ ヨイサヨイ と
生きて 生きてきました

子は育ち やがて子の親となり
この唄を 集い 唄うのだろう
楽しい 楽しい 時に唄え
苦しい 苦しい 時こそ唄え

あの朝花の 調べに抱かれて 
ハイハイ ハ~レィ ヨイサヨイ と
泣いて 泣いてみました

瞬きの 間に過ぎていった
この生を 悔やむ 曇りはあらず
いつしか いつしか カモメになり
あのひとの あのひとの 胸に帰るまで

あの朝花の 調べに寄り添い 
ハイハイ ハ~レィ ヨイサヨイ と
あなたを想い

あの朝花の 調べに寄り添い 
ハイハイ ハ~レィ ヨイサヨイ と
生きて 生きてゆきます

はぁ🤦🏻‍♀️ どーお、、、?
最初の質問に戻るけど、みんなはこの曲ならどんな舞踊が好き、、?
私はね、👆があるから、包容力とか優しさみたいなものを湛えた笑顔、とか、生命力とか雄大さを感じさせる体の使い方(立ちの場合)とか、赤子をあやす仕草のリアリティ、とか、に、弱い。できたら神秘性も持ち合わせていてほしい。巡るいのちの美しさが見たい、ので!

そんな感じ!!!
みんなの解釈も聞きたいです...ご連絡お待ちしてます...。
じごぽより。

それではみんな、またね!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?