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Sport for Life -カナダがマルチスポーツを推す理由(後編)

「二刀流」シンポジウム 記事特集 第3弾。日本アイスホッケー連盟主催・シンポジウム「考えよう。みんなで『二刀流』− マルチスポーツの秘める可能性」で取り上げたカナダのアスリート育成プログラムについて、新井委員がいよいよその中身を紹介します。最後には、日本の現状についても。
(なお、前編はこちらから:https://note.mu/jihf/n/nb2be5baf2e5f

以下、新井彬子氏(東京理科大学助教・当連盟企画委員会委員):

Canadian Sport for Life Soceity(カナディアン・スポーツ・フォー・ライフ・ソサエティ、通称「CS4L」)の長期的なアスリート育成モデルは、障害者スポーツも含め、カナダ国民全員を対象としたスポーツ政策の基本となるモデルです。

カナダ国民が子供から高齢に至るまで、8つのステップを通して生涯アクティブでいられることを絶対的な最終目標としています。

最初の3つのステージ:① Active Start(アクティブスタート)、② 遊びを通じた基礎づくりであるFUNdamentals、③ トレーニングのための学びを始めるLearn to Trainにおいて、トップアスリートを目指す人もそうでない人も、マルチスポーツをするべきだということを強調しています。

Active Start

男女差はあるものの、3歳から6歳はActive Start(アクティブスタート)という段階で、基礎運動能力の発達ステージです。体系立ったスポーツは行わずに、「遊び」を通して体を動かすことが楽しいという感覚を知る、さらには身体的な挑戦を通じて危険を認識する、という段階です。

FUNdamentals

その次が6歳から9歳のFUNdamentals楽しさの“fun”と、「基礎」の意味である”fundamental”の両方を強調する、「遊びながらの基礎づくり」)という大事なステップです。ここでも一つの競技に特化しないで、アメリカのアイスホッケーの育成モデル(ADM)でも強調されているように、楽しさに重点を置いて、引き続き遊びを通じて基礎運動能力を育てます。ただ、この段階ではシンプルなルールや、フェアプレーといったスポーツの「ゲーム」の要素を少しずつ取り入れていきます。

CS4Lの全体的な方針として、それぞれのスポーツをプレイすることを見据えて、どのようなアクティビティを行うべきかが設定されています。ここで重要なのは、基礎運動能力を身につけるために、投げる・蹴る・打つといったスポーツに特有の一連のスキルを、サッカー好きな子も、野球が好きな子も、みんなができるようになるべきだと考えることです。

Learn to Train

9歳から12歳にかけては、Learn to Train、トレーニングのための学びです。やっとやりたいスポーツを少しずつ選択し始めますが、冬と夏では違うスポーツをやりましょう、トレーニングには他のスポーツを取り入れましょう、というように、マルチスポーツを強く推奨しています。トップアスリートになりたい子達が特別なことを始めるのは12歳から14歳のステージ4以降です。そこから初めて競技を絞って、その競技のためのトレーニングや勝つためのトレーニングを行っていきます。

みんなで一緒に生涯楽しむ

CS4Lの優れた点は、トップスポーツと、国民全員の健康のためのスポーツの両者を一つのモデルに落とし込んでいる点です。CS4Lでは、泳げないプロサッカー選手や、スケートの滑れない陸上のオリンピック選手は、望まれる存在ではありません。自分の身体の使い方をよく知っているはずのトップアスリートが、その競技しかできないのは好ましいことではない、という認識が根底にあります。将来的にトップを目指すには結局スポーツの選択肢を狭めなければいけないという意識が生まれてしまうと、トップアスリートも含むすべての国民が生涯アクティブに、という大原則に繋がらなくなってしまいます。トップアスリートだった人たちも、人生の最後まで色んなスポーツ・運動と幸せに関わってもらわなければいけない、という大前提の下に成り立っているモデルです。

政策面でも、一般のスポーツ参加者とトップアスリートとの間の温度差や距離感が懸念となっていました。「トップアスリートなんて、小さい頃から親などから英才教育を受けて、助成金ももらって、自分達とは違う世界を生きてきた人たちだ」と国民が思っているようだと、なかなか応援しようという気にはなってもらえない。むしろ国民が「トップアスリートは自分たちと同じスポーツプログラムの中で育ってきた、自分たちの真の代表だ」「引退してからも私たちのコミュニティに、子供達のコーチやリーダーとして戻ってきてくれるんだ」などと親近感・帰属意識を持ってもらえて初めて、トップスポーツのプログラムに国民のお金を使うことが正当化される、とCS4Lは考えています。

この包括的なプログラムは、カナダのスポーツシステム自体が元々恵まれていたからできたわけではありません。日本に例えれば、高齢者の健康・運動に関しては厚生労働省が担当、トップスポーツに関してはスポーツ庁が担当、といった具合に、各省庁がバラバラに統轄しているような状態でした。カナダでは特に、トップアスリートに関する部門とそれ以外、そして州や地域単位でスポーツ団体が別々に管轄していたような状況です。それでも、カナダの水球のコーチの一人がこのモデルを提唱したのをきっかけに、他の競技の指導者も集まり、このムーブメント・モデルが始まりました。2005年に始まったこのムーブメントを受けて、2012年には、実際にカナダのスポーツポリシー(日本でいうスポーツ基本法のようなものとご理解いただければ)がこのモデルに基づいて策定されることになりました。

子供の発達に応じた育成

もう一点、この育成モデルで優れているところは、育成の各ステージが、子供の認知発達や学習能力の発達のステージに合わせて作られているということです。

例えば心理的な発達段階(上記図の下の段)を考慮して、以下が重要視されています:
①目標を見つけ、その目標に対して行動できるようになる時期にスポーツを始めるべきだ。
②競争の中で自信が芽生えていく発達段階に合わせて、FUNdamentals, Learn to Trainの各ステージにおいて、マルチスポーツを通じて自分の身体や能力への信頼や自信を身につけてもらう。
③こんなアスリートになりたい、という自己実現に向けて自分と戦える時期に至ってはじめて、トップアスリートを目指すためのトレーニングが始まる。
学習能力の発達、目的意識・生きがいの変化に合わせてアスリートを育てることで、目的を見失ったり、バーンアウト(燃え尽き)になるのを防ぐ。実はメンタル面に非常に気を遣って作られているモデルなのです。

Change it Up - 「変えていこう」の精神

CS4Lは、育成の最初の3つのステージ(Active Start, FUNdamentals, Learn to Train)、つまり3〜12歳頃までマルチスポーツを推奨するために、「Change It Up」(チェンジ・イット・アップ)という活動を展開していて、マルチスポーツのベネフィット・利点に関する科学的なエビデンスを集めています。
リンクはこちら:https://playmoresports.activeforlife.com/

「Change It Up」では、子供の頃にマルチスポーツに取り組むと得られる利点として、大きく4つを挙げています。

もっとスマートでクリエイティブに

こちらは、自己調整学習能力(と専門家は呼びます)=自分の学び方を理解して応用する力が身につくということです。例えば、「バスケのシュート練習の時にこうやって入るようになったから、テニスのサーブ練習の時にもこれをやってみよう」といったように、自分で目的を設定し、方法を考えて自分をモニタリングしながら調整する、という総合的な学習能力のことです。他方で、同じスポーツの反復ばかりしていると、この学びのパターンを忘れてしまいます色んなスポーツをすることで自分のスキル習得パターンを学び続けよう、というメッセージに大きな意義があります。

怪我やバーンアウトの防止

怪我やバーンアウト(燃え尽き)に関しても多くの研究論文があります。現状として、メンタル面が理由で多くの子供がスポーツをやめてしまいます。早くから一つの競技に絞って、勝つことを目的に練習をすると、それができなくなった時点で、「もう飽きた」「つまらない」「楽しくない」という気持ちになってしまいます。また、身体面に関する研究でも、実際に高校までマルチスポーツをしていたNBAのバスケットボール・プレイヤーの方が、怪我をしにくく選手生命も長いということが分かっています。ある研究では、マルチスポーツをしている子供の方が睡眠の質が良いとも言われていて、睡眠の質が怪我やパーンアウトの少なさにつながっているのではないか、という因果関係の考察もなされ始めています。

包括的な身体能力の向上

先ほど様々なスポーツスキルについて紹介しましたが、それぞれの競技は複雑な動きが伴うので、特定のスポーツスキルが、実は色んな競技に応用できます。例えば、バスケのスクリーンアウトの動きが、サッカーのゴール前でのポジション争いに役立つ、といったことを選手が理解して自分で応用する。同じスポーツで反復練習をするよりも、他のスポーツを楽しんでいたらいつの間にか身についていた、という方が良くないですか?先ほど(*前編で)触れた、夢中になって練習する時間の方がトータルな練習時間よりも重要だということを思い出してください。

生涯にわたりスポーツを楽しめる

そして、これらのベネフィットによって、最終的に大人になっても多様なスポーツの選択ができる。そしてバーンアウトや怪我がなかったことで、スポーツを生涯楽しめるハッピーなアスリートを育成できることになります。

日本の現状は

最後に、現在、日本はどうなっているのかを紹介したいと思います。実は日本では、マルチスポーツに関する研究はまだほとんどありません。理由は単純で、マルチスポーツをしている子供が少なくて研究対象にできる子供たちが圧倒的に少ないからです。それでも最近、日本の部活動(=シングルスポーツ・システム)vs ニュージーランドのマルチスポーツ・システムとを比較する研究が行われました(西尾・富山, 2018)。この研究では、日本の関西の中学生とニュージーランドの中学生を比較のですが、ニュージーランドでは70%の学生が2〜4つのスポーツをしていたのに対して、日本の学生は部活動のみ、つまりマルチスポーツをしていた子は0%…一人もいませんでした。また、70%がマルチスポーツに取り組んでいたニュージーランドの学生の方が、クラブ活動を楽しんだり、自分で人間的な成長を感じたり、さらにはコーチとの関係が良好・コーチから良い指導を受けている・スポーツ環境に恵まれている、などと感じていました。これによるとマルチスポーツアスリートの方がスポーツ経験としては良い経験をしている、ということが言えるかもしれませんね。

他方で(日本の視点から)この研究で最も希望が見えるのは、マルチスポーツを経験したことがない日本の中学生でも、59%もの学生が一つの競技よりもマルチスポーツに興味がある、複数の競技をやってみたい、と回答したことです。つまり、子供たちのニーズはあるのです。色々なスポーツをやってみたいと思っている子供が多くいるのに、学校や部活などのスポーツ制度上、それができていない、という課題が改めて浮き彫りになったと言えます。このニーズがある、とわかったことは大きいと思います。今後、子供たちが複数のことが続けられるような環境を作っていく、というのが大事な課題ではないでしょうか。

※講演の内容を記事にするにあたり、一部内容の省略、表現・順序の変更等を行っております。

※当該講演を含む「二刀流」シンポジウムの全編映像はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=oIC2he0fmKE

1. 2019女子U18アイスホッケー世界選手権・大会チェアパーソン(国際アイスホッケー連盟理事)による開演挨拶(0:01〜 )
2.「USA Hockeyの育成モデル」(USA Hockey エミリー・ウェスト氏)(8:17頃〜 )
3.「カナダにおけるマルチスポーツ推奨活動と日本におけるマルチスポーツ事情」(本記事・33:35頃〜)
4.「スタンフォード流 日本スポーツへの提言」(Stanford Football 河田剛氏)(58:30頃〜)
5. パネルディスカッション「語ろう。私たちの『二刀流』」(1:57:40頃〜)
登壇者:河田剛氏、杉浦稔大選手(北海道日本ハムファイターズ投手)、桑井亜乃選手(ラグビー女子セブンス日本代表・ARUKAS QUEEN KUMAGAYA)、志賀葵選手(アイスホッケー女子日本代表・TOYOTA CYGNUS)

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