公演は誰のもの???

【毎週火曜更新・時間堂、年商1億プロジェクト25】時間堂プロデューサー大森晴香です、ごきげんよう。本番続きの3月が終わろうとしています。無断休載はんたい!…今週からほそぼそ復活します。よろしくお願いします。

さてさて、この2週間なにしていたかというと、商業演劇の当日運営と小劇場の制作協力で奔走しておりました。その間に時間堂レパートリーシアター3月が過ぎ去っていき(ご来場くださった皆様、ありがとうございました)、7月本公演やワークショップ、4月以降のレパートリーシアターなどなどで時間堂のみんなに多大なしわを寄せ、自身は体重が2キロ減りました。今日1日で戻りました。

かたや1ステ700名様平均の商業。かたや全日程で500名様強の小劇場。見た目は全然違うんだけど(商業ではブロマイドが売れ、小劇場では戯曲が売れる、みたいな)、連続してやってみてずっと考えていたことがありました。それが今回のテーマ。

公演は誰のもの?

結論からいうと、みんなのものであり、誰のものでもない、です。私の中では。ここにいたるまですごいぶれたけど。この「みんな」が増えてきたから、ぶれたり悩んだりしたんだと思います。ビジネスでいうところの「ステークホルダー」「利害関係者」みたいなのが増えてきたから、問題を複雑に感じてしまったのではないかと。

かつては俳優と観客のものだった。

そこに脚本家が加わり、演出家が加わり、劇場が加わり、技術スタッフが加わり、プロデューサーが加わり、出資者が加わり、マネジメントが加わり、原作者が加わり、評論家が加わり、マスコミが加わり、ときにその利害はぶつかりあう。同じ立場のひと同士でぶつかることもある。

よくある話で言えば、開演時間を遅らせるケース。まだ来ていないお客さんにはありがたい話でも、時間を守ってきているひとにはハタ迷惑かもしれない。とはいえ、開演後に何度も扉が開閉して集中力を妨げられる方がイヤなお客さんだっているだろう。

こういう「こっちを立てればあっちが立たない!!!」が、関係者が増えるほどにこんがらがるのだ。

お金を出してるひとのものだと考えると、観客や出資者のもの、となる。だからと言って、このひとびとが作品を好きなように変えられるかというと、それが必ずしも幸せな結果につながるかどうか疑問である。すべての観客の要望を叶えるのは至難の技だろうし、資本にものを言わせて自分が観たいものを作らせる、は可能なんだろうけど、じゃあお客さんやつくりての意思より自分の意思を優先させて興行が成り立つかって、たぶん成り立たない。買い取りならいいのかもしれないけども。

作ってるひとたちのものだというのもなんだか言い切れないところがある。観客あっての公演だし。資本やマネジメントの支えで公演が成立してることもあるだろうし。

なので、「みんなのものであり、誰のものでもない」に行き着きました。

とはいえ、とはいえですよ。現場はジャッジの連続なのです。みんなのものだから、誰のものでもないから、私のものでもないので…となってしまうと、何も決まらないし誰も責任をとれなくなる。

そこで、大事なのは、やっぱりプロデューサーなんだと思いました。

対内的には目的を共有して、最終最後の責任を持つ。だから、安心して、存分に、目的を目指して大丈夫、という環境をつくる。事細かにすべてを把握して指示を出すのとは違って、大方針を浸透させて自由に羽ばたけるアシストをする。

対外的には中を守りつつ、もっとジャンプできるような応援と協力をとりつける。

壮大な仕事。下手をすると、めまいがしたり、胃痛がしたり、不眠になったりします。

かつて、時間堂に正式加入する前の公演で聞いて以来、私の指針になっている言葉があります。

お客さんが喜んで、自分たちが楽しいことをやろう。

もっとたくさんのステークホルダーが加わった今でも、誰かの犠牲や我慢の上に無理を乗っけるのではなく、幸せの最大公約数を求めていこうと思います。先に上げた「開演時間の遅れ」だって、「全員が時間通りに来る」という誰もいやな気持ちにならない幸せな解決策があるわけで。

この中で、「私が責任をとる」を「私が犠牲になる」とはきちがえないように、私の幸せも忘れないようにしたいと思います。不幸を一身に集めたプロデューサーが周囲に安心や安定をもたらすとは思えませんからね。

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来週こそ、予約を早める方策の考察をしたい…。

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