利用・活用・応用

言葉にはうまく表現出来ないが、何となく感じる違和感というのは無視できないし、その違和感を深堀りすることは自分の行動基準に繋がるのではないかと思っている。

例えば、

友好的で優し気な言動だけど何故か親しく付き合おうとは思えない人。

掲げる理念に共感はできても何故か違和感を感じてしまう人。

これまで、そんな人達に警戒心を抱いてしまう理由が今一つ分からなかったが、

ふと、その要因として「利用の意図」を感じていたからだということに気付いた。

そもそも、「利用」とはどういうことか?

それは、「ある目的を達成するために、何かを道具として用いること」であり、

そこでは、道具として用いられる存在の都合は関心をもたれず、用いる側の都合のみが優先された状態を「利用」ではないかと思う。

だから、一般に「利用する対象」というのは、意思を持たない無機物などの素材やそれらを組み合わせた構造物を指すのだと思うが、対象が無機物とはいっても、使い捨て感があり、関係性としては何か冷たさを感じる。

一方で、対象の意思や特性や能力を鑑みて、自分の都合と対象の都合の双方が満たされる用い方をするのが、「活用」だと考える。

共通の目標を共有し、その達成のために結成されるチームにおいては、そのメンバー同士の関係性の根底として「活用」は「利用」よりも遥かに望ましい意図ではなかろうか。

また、「応用」とは、相手の存在を認め、言動やその背景にあるモットーから積極的に学び、自分の生活に活かそうという意図であり、同じコミュニティには属さなかったり、全く利害のない関係であっても、応用の意図は起こりうると考えている。

そういえば、私が安心感や親しみを感じる人というのは、仕事上の利害関係とは無関係に、応用しあう関係性が築けそうな人であった。

これまで、利用と活用と応用の違いについてあまり考えたことは無かったが、

人との関わりの中で、何故か違和感を感じた時というのは、利用の意図を感じた時であり、

逆に心地よさや喜びを感じた時というのは、「活用」や「応用」の意図を感じた時であったことにふと気付き、これらの違いについて意識することは案外大事ではないかと思っている。

そういえば、私にとって働きやすい職場や人間関係というのは、上司が部下を自分の功績のために利用するのではなく、メンバーの意思や能力も踏まえながら共通目標に向かって総力戦で臨もうとする活用の意図に基づいていたようだ。

また、職場以外でも付き合いのあった同僚や上司とは、互いに応用の意図をもった関係性があったのだと思う。そういう人と出張を共にする機会は実に愉しかったのを覚えている。

人間は社会的な生き物である以上、誰かの働きや能力に頼らずに生活することはできない。

だから、自分が誰かの世話になったり、自分が誰かの役に立つことは社会生活を成立させる上で不可欠な関係性だとは思うし、経済活動上、生産者と消費者は相互に利用しあうギブ&テイクの関係性の上で成り立っていることはある程度受け入れる必要があるだろう。

しかし、少なくとも生身の者同士の関係性においては、「利用」ではなく「活用」や「応用」の意図が基になっている方が好ましいと思う。

どんなに立派な理念と優しそうな表現でアピールしていても、そこに利用の意図があれば、心のどこかで何か違和感を感じるだろう。

この違和感は対人関係のみならず、企業の広告、政府の政策などあらゆる領域で発揮しうるものだと思う。

自分が抱く違和感に敏感になることは、護身術の一つだと思うが、自分の中に備わった「炭鉱のカナリア」として、「利用の意図への異臭感覚」は大事にしたいと思う。

そして、この感覚は自分自身にも向けたいとも思う。

何故なら、自分もまた、心身の状態や氣力が低下した時には、自分の都合だけで相手を利用しようとするからである。

自分のコンディションを図る基準としても意識しておきたい

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