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見慣れた風景は、だれかの旅先になる。

上の写真は、私の写真ではないです。

だれかの、写真です。

ですが、とても親近感を感じる写真です。

生まれてからこの年になるまで、このような光景はよく目に入ってきていました。

みどりとあお。

私にとっては、とても心地よい色です。

あなたにとっては、この写真はどんな光景なのでしょうか。

ここで、対照的な光景として、雑居ビルの真ん中で電線が交差する様子を見上げている写真を私は思い浮かべました。

しかし、その光景は対照的なものと言えるでしょうか。

そのような場所を生活圏内としている人は、そのような写真を撮るのでしょうか。

見慣れた風景として、記録に残すのでしょうか。

そんな想像をした時、

逆もまた然りであることが、意識されました。

つまり、写真というのはそういうことなのかも知れません。

「見慣れた風景は、だれかの旅先になる。」のではなくて、

「だれかの旅先は、見慣れた風景だった。」のかも知れません。

いや、よく意味がわかりません。

これは、「意味の時代」は終わった(意味にみんな疲れている)というnoteの記事に感化されて作成した記事です。

意味の次は、ナンセンスが支配するようです。

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みなさん、今応募すべきコンテストは、これですよ。

意味の時代は終わったのです。

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