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「思考が現実を創る」私の頭ん中のお話。

書きかけの曲が溜まっている。

やらなくちゃいけない(勿論、やりたい)案件もあるし、他の仕事もモリモリ入ってる。時間が無いとかじゃない。とにかく、何故か身体が上手く動いてくれない。

こういう時はアウトプットが足りて無いのだ、と気付く。

吐く息が少なすぎて、吸えていない

そんな感覚。

書いた曲が埋もれていく恐怖を持ちつつ、もっと早く完成させて出したい!という欲が吐き気を作り出す。

っていうか、私の身体、正直過ぎん!?

と思うけれど、「私のボディ、どうしたの?どうしたい?」と問いかけると

「休みたい。」

と言う。

朝からバリバリ仕事して、昼間に一度電池切れ。
大手占いサイトのお仕事は待機してお客様が入る形なので、待機せんことにゃあ仕事は生まれん。が。
ベコッと気持ちと身体が落ちる。
旅の準備もしたいし、旅の前に終わらせておくことが幾つもある。
それとは別件のイレギュラーな仕事で四日間は拘束が決まってる。旅の資金だって欲しい。動きたい、でも休む時間が要る状況。

どーすんの、これ!?と焦燥感が強まる。

そんな日が数日続いて、気付いた。


あたし、『何からやるか』を勝手に決めてた!

無意識で。しかも、『完成・完了しないと次に着手してはならない』思考のオマケ付き。

そりゃ動けんわ。これってなんだろうな〜?とぼんやり思ったら、
『優先順位を決めて動きなさい。』
という親の言葉だった。

え?別に一気に動いて良くね?

とシンプルに思ったのです。
そして、壮大な事に気付く。

私は、自分の人生で何を叶えるか?という優先順位さえ、無意識に決めていた。

そりゃ、変な所で急に止まったり、後回しになったりするはずだわ!
「もうちょいで!」で止まるわ!
アウトプット足りんくなるに決まってるじゃない!止めてるのだもの。
更にそこに『AがあればBが出来る、そしたらCも上手くいく』って思考も挟まってた。これってリニアな思考。

この一年、歌を作る、という事をもう一度始めた。量産が出来ているわけではないが、「ああ、これは書きたかったものが書けたな」というものは幾つも出来上がりつつある。完成はしていない。この”完成していない”というところが、私にとっては物凄く苦しいことなのだ。早く出したい!という欲と焦り。そして当然のことながら、それにはお金だって要る。
つまり、幾つも同時に達成していくのが理想なのだ。

『一つずつ、やりなさい。』

私は何故、もう誰のものかすら判らないこの言葉を信じていたんだろう?

そりゃ、複数の同時進行出来んよ。出来る程のお金も入らんさ。

あーーー!人間の思考って凄っ!
ここ、めっちゃ色々絡まってるし、関わってるじゃん!
絡まった糸、撚って撚ってもはや綱。極太。そういう

”意図の絡まり”。

一気に動いて、別にいいじゃん。だって私、マルチタスクは結構得意な筈よ?

あと「あなたは大器晩成」っていう何度言われた事も信じてたわー。
晩成って私、いつの話してんのさwもう「晩」でしょ。

現実は思考が創る。この仕組み、これが本当だということを理解していく度に、
「あれ?これおかしくない?」とふと思うことが増える。バグに気付く。

絡まった意図、全部ほどきましょ。


変えられない、と信じていれば、変えられない事が当たり前になる。

でも、

思考が現実を創るのだ。
人間の脳は見たいものを見る。
嫌なことだって自分の思考が創っている。

ならば、

嫌なことも自分が創っていたのだから、”自分で変えられる” ということよ。


「恐怖は幻想。
 それなら、恐怖なんて飛び越える。
 日和んな。腹括れ」

それが詰まった時の私の口癖。

この現実だって、幻想である現実。

ならば、私はどんな幻想を自分の現実として創り出す?

っていうか、そろそろ
「日和んな。腹括れ。」
も辞めていいなぁ。

そんな状況を創らないで良い現実さえ、
自分で選べるのだから。


さて!

私は何を生み出す私になりたい?


私が
「どう在りたいか?」
だけなのよ。J

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