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「旅」の持つ力。

北海道から帰ってきて、久しぶりに揺れた。

感情の波。

とても荒くて、一日はそれに飲まれた。

何度も何度も「何がもっと大きくクリエイト出来る?」という問いかけを繰り返す。「私はどうなりたい?」と。

そうしながら三日が過ぎた。

一日目はその波が何なのかすら解らず、二日目は悲しくて堪らなかった。

待つことなら出来る。あんなに傷付いてた。けれど、ここで終わってしまうのが怖い。何か力になれる事はないか。相手を尊重する。自分では駄目だったのか。伝えるべきではなかったのか。何かほんの少しでも、あのとても硬く重たいものを軽くできただろうか。手を出すべきではない。本当はもっと違う事が出来たのではないか。足りなかったのか。愉しいままで進む事は出来なかったのか。何が起こった?何を起こせなかった?変化にポジティヴさを見出そうとし、離れていく恐怖を感じ、同時に握りしめる事も違うと解っていた。私は私の事をすればいい。そんな事は分かってる。新しくやりたい事がある。それほどに創造する刺激を受けた旅だった。何も手に付かない。焦り。ほんの少しの嫉妬。痛み。悲しみ。そして、旅の途中の歓び。

これらが繰り返し、絶え間なく浮かぶ。

いつぶりか分からない程久々に動けない朝を迎え、自然と涙が溢れた数日前の安らぎと歓びと豊かさを思い出しまた動けなくなる。

「一緒に創りたい。」可能性とワクワクするような音と言葉の拡がり。

リレイションシップではなく、クリエイションシップ。

そういう関係の一角の話は出来たはずなのに。

一日目は気持ちも身体も愚鈍で訳がわからない。二日目にはあの姿がとても悲しくて泣いた。三日目になると苦しくて揺れても、「これって何?」と問いかけられるようになった。


そして、ようやく旅で受け取った沢山のものからの気付きを得始めた。

相手と似たようなものが、私の中に幾つもあったのだ。

それは私にとってはもう、彼のものほど重いものではない。

彼はどんなに重いものをずっと抱えて苦しんでいるのか、とまた悲しくて堪らなくなる。

それでも、自分の中をクリアにしていく。ほんの少しずつでも。恐怖や痛み、悲しみを超える。何もしなければ、何も起きない。それこそ

”何も”。


彼より長く生きている私は、生き抜く事が出来る事を知っている。だって死ななかった。何がどうなっても、とりあえずはここまで生きてきている。しかも、自分の好きな事をして。


そして、気付いた。

私は「自分を幸せにする」という事を自分に許していなかった。

幸せに「なる」ではなく、幸せに「する」。

許可とかそんなのじゃなく、許していなかったし、それは”赦していない”ことでもあった。

どこかで未だに「ずっと一人でいる」と決めていた。

自分の愛する人達のもの、全部引き受けるよ。誰も傷ついて欲しくないし、自分は幸せになるって事はもう放棄したから、痛みは全て引き受けるよ。ラクになってよ、と。

実際、過去に私といた人達は人生に大きな変化があった。出世したり儲かったり仕事のことが多かったけど、家族との問題が解決したって人もいたし、何かを習得した人もいた。で、結局、私はまた一人になってたんだけど。

そりゃそーだ。全部私がそう決めてたんじゃん。

癒して、手放す。行っといでー!って。

過去の経験でこのことには気付いてて、手放したと思ってたけど、まだ持ってたんか私!


…アホか!!!


と盛大な一人ツッコミをした途端、物凄く軽くなった。


これって、人の責任や学びを奪ってることに成りかねないんだよ。

その人には痛む時間が必要なのかもしれない。向き合うことで学ぶのかもしれない。それなら癒しは最高のタイミングであるべきだし、責任を持つことも人生においては必要。自分の人生は自分の責任。

はた、と思い出した。私は彼に対しても

「始めた責任は私が取る。」

と何度か言ったことがある事を。


旅の終わりに彼は私との関係に変化を望んだ。

要するに、彼は責任やそういう類のものを私に”渡さなかった”のだ。


強い人だ、と思った。とても繊細で揺れる事を嫌い、それでもタフで行動力がある。私はこの旅でどのぐらいのものを受け取り、取り戻したか。それは間違いなく、彼という人、一緒にいた空間、そこでクリエイトされたものから誘発されたものだ。


帰ってきてからも、これだけ受け取らせてくれるのか。

本当にありがたいな。


と思ったら、周りの景色が変わった。

物心ついた時からずっとゆらゆらと付き纏っていた孤独感。だからこそ、孤独を味方につけるやり方を身に付けてきた。それが、

すぅっ

と薄らいでいくのが分かった。


誰かと歓びは分かち合えないと思っていたのだ。


そんなの、もう全部手放すよ。私は私の事を幸せにするし、私は私のしたい事を具体的にやっていく。

止まってなんかいられない。折れていたくもない。そんな事は十二分にやってきたのだから。


彼に対して「癒しでありたい」という気持ちは未だある。これだって手放す方が良いのかもしれないけれど、とりあえずはそれは「相手が望み、私が自然でいられるのであれば」で良いのだと思う。

それが本当の貢献ってやつだ。



で。

私は今、自分にこう問いかける。

「私は今、誰と、何をクリエイトする事を選択する?」



勿論、自分の愛する人達との大きな愉しみと歓びを選択するよ。

そして、私の愛する男性との豊かなハーモニーを奏でるクリエイションシップを。

私の人生の全てが、安らぎと歓びと豊かさと共にあることを。


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