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髙山和真のキャリアを振り返る

少し時間が経ってしまいましたが、大宮アルディージャのアカデミー出身で2021年まではトップチームにも所属していた髙山和真の引退が発表されました。

ただアカデミー出身というだけでなく、出身者の中では希少なCB(しかも左利き)であり、シャイな選手が多い中でチーム愛を堂々と語れる選手でもあったことから、私もプロ入り当時から注目して見ていました。
なので、なかなか結果が出ないまま引退となってしまったのは非常に残念です。

今回は、彼が辿ったプロサッカー選手としてのキャリアを、主に試合出場数の視点から見ていきます。

順調なスタート

2015年にキャリアをスタートさせた彼は、大宮では天皇杯での1試合出場にとどまりますが、当時存在していたJリーグ・アンダー22選抜(J3)で14試合に出場しています。
アンダー22選抜は、所属クラブの公式戦にメンバー入りできなかった若手選手でチームを組み、試合を戦うというものでした。
そのメンバーは毎試合入れ替わっていたのですが、CBや左SBは人材が少なかったことから髙山は招集頻度が高く、多くの試合経験を積むことができました。
1年目からこれだけ試合に出られたのは上出来だったと思います。

アンダー22選抜はその年限りでなくなってしまいますが、髙山は2年目にはカップ戦を中心に公式戦7試合出場
そして3年目には、アカデミー時代の恩師である伊藤彰氏がシーズン途中から監督に就任したこともあり、リーグ戦11試合をはじめとして公式戦計19試合に出場します。
2年目と3年目はチームがJ1にいたので、そこで試合経験を積めたのは間違いなくプラスだったはずです。

転機となった4年目

3年間で着実に試合出場数を増やし、レギュラー定着への機運も高まった4年目ですが、結果は思わぬ方向に進みます。
リーグ戦:0試合、天皇杯:2試合
リーグ戦ではサブメンバーに入る機会こそあったものの、結局出場はなし。
ケガもあったように記憶していますが、それでもゼロというのは本人にとって大きなショックだったのではないでしょうか。

そして5年目の翌シーズン、高木新監督を迎えたチームは3バックを採用することになり、髙山にも左CBとしてチャンスはありそうでしたが、
リーグ戦:2試合(いずれも途中出場の計40分のみ)、天皇杯:1試合
で終わってしまいました。

当時の大宮には菊地、河本、山越、畑尾、河面、櫛引と中堅〜ベテランのCBが揃っていたので、髙山が出場機会を得るのが難しそうであるならば、4年目の終了時点もしくは5年目のシーズン途中で他クラブにレンタルして試合経験を積ませるという判断があってもよかったのではないでしょうか(結果論にはなってしまいますが)。

期限付き移籍でも試合に絡めず

4年目と5年目の結果を受け、クラブは6年目の髙山を期限付き移籍させることを決断します。
その決断は間違っていなかったと思うのですが(むしろもっと早くてもよかったと思いますが)、移籍先として選ばれたのがモンテディオ山形でした。
これについては「?」というのが率直な感想で、出場目的の期限付き移籍であれば一般的には下位クラブに行くものですが、山形は大宮と同じくJ1昇格を争うクラブです。
大宮でなかなか出られないのに、山形で出られるのだろうか?と思いました。
もちろん、サッカースタイルに合う合わないもあるので、山形で試合に出られる可能性が全くなかったわけではありません。
山形もそのあたりを考えて獲得したのだと思っていたのですが、結果としては
公式戦出場ゼロ(サブメンバー入りすらなし)
と移籍による目論見は完全に崩れてしまい、シーズン途中で大宮に帰ってくることになりました。
大宮では11試合に出場したものの、当時のチームはケガ人やコロナの影響で選手がまともに揃わない状態で、髙山も(厳しい言い方になりますが)その穴埋めといった役割でしかありませんでした。

海外でようやく出場機会を得るも

7年目となる2021年は引き続き大宮に在籍しますが、公式戦の出場はゼロ(サブメンバー入りもなし)。
ここで契約満了となり翌2022年からはカターレ富山に移籍するも、リーグ戦3試合のみの出場に終わり、1年でまた契約満了となってしまいます。
J3ならもう少し試合に出られるのでは、と私も勝手に期待していたのですが、全くそうならなかったことがショックでした。

その後、2023年はシンガポールのクラブに移籍し、ここでは公式戦30試合とレギュラーに定着しようやく試合に出ることはできたのですが、

今後を考えた時にこれから自分がどうなりたいのか。
それを長い目で見た時に今が辞める時だと思い決断しました。

本人のInstagram(@kazuuuma96)より

とのことで、今回の引退という決断に至ったようです。


というわけで彼の9年間のキャリアを振り返ってきたのですが、4年目で全く試合に出られなくなったこと、そして5年目と6年目でそのリカバリーができなかったことがキャリアに大きく影響してしまったという印象です。
技術面や戦術面については私は専門的な分析はできませんが、山形時代に走力の課題を指摘されたとのコメントが本人からもあり、そういった課題をうまく消化しきれないままキャリアを重ねてしまったという要因もありそうです。
3年目まではそれなりに試合に出場できていた、というのが裏目に出てしまったかもしれません。

選手としてのキャリアは満足のいくものではなかったかもしれませんが、冒頭で述べたようにアカデミー出身で大宮愛も強い髙山がクラブに帰ってきてくれたことは嬉しいです。
指導者として歩む道もありますし、フロントに入って強化や運営に携わる道もあります(キャラクターとしては広報が似合うかも?)。
ちょうど、クラブの今後が大きく変わるかもしれないニュースで騒がれていますが、そんな中でも髙山和真という人が大宮の中心人物として存在感を増していくことを期待しています。

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