加藤介春著『獄中哀歌』「赤き日」暗き室の入口にて

くらき室へ入らんと火をすりし時、
ただ一本の燐寸の消えたるかなしさ。

燐寸の火のシユウと燃えて消えし
白きすり殻の指先きに残れるかなしさ。

室はくらし、その入口にたたずみて
指にもてる燐寸の白き殻のかなしさ。

夜もおそければ眠らんと帰りし心の
ただ一本の燐寸の火の消えたる室の前。

室へは入(い)らず、またもくらき心を抱きて、
賑へる町へ酒飲みに行くそのかなしさ。

底本:『獄中哀歌』南北社
大正三年三月二十三日発行
*旧字は新字に、「ゝ」などの踊り字と俗字は元の字に改めた。また、一部を代用字に改めた。

加藤介春(1885−1946)
早稲田大学英文科卒。在学中、三木露風らと早稲田詩社を結成。自由詩社創立にも参加し、口語自由詩運動の一翼を担う。
詩集に『獄中哀歌』(1914)、『梢を仰ぎて』(1915)、『眼と眼』(1926)。
九州日報編集長として、記者であった夢野久作を厳しく指導した。久作いわく「神経が千切れる程いじめ上げられた」。
詩集『眼と眼』では、萩原朔太郎が「異常な才能をもちながら、人気のこれに伴わない不運な詩人」という序を寄せた。


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