加藤介春著『獄中哀歌』「蜘蛛」(二)

    二

 監房の第一夜は明けた。Mは起床時刻の三十分位前から眼を覚して、好く眠つたとは言へ尚どこか身体に眠り足らぬ所のあるやうな懶(ものう)い感じの中に浸りながら起床時刻の来るを待つた。牢獄の朝の薄暗さがまだ房の隅々に溜つてゐた。
 起床は五時で、それから約三十分もすると朝の飯になる。赤い獄衣を着けた既決囚の炊夫が一定の型に入れて盛つた荒いボロボロの麦の引割飯を担荷の様な物に載せて来て、五器口から差入れる。白湯と味噌汁は短い筒のついた桶を持廻つて、その筒の先きを五器口から差込むと房内の囚人が茶碗を出して受けた。朝の監食は飯と味噌汁と沢庵が二片だけだつた。Mは彼の青年と並んで箸を取つたけれど、どうしてもボロボロの飯が咽喉を通らなかつたので、生温い白湯を注いで流し込んだ。
 弁当の差入のある者は少し後れて房外に出て、セメントの叩きの廊下に膝をついて食べた。Mの房には差入のある者は三人しか無かつた。
 Mに取つてはすべてが最初の経験であり、同時にいくらもがいても免れられぬ力強い運命だつた。食事がすむと又以前のやうに列をなして坐る。これから昼間の長い一日ぢつと坐り暮らさねばならない。
 看守が房の戸を開けて、
『百五号』と呼んだ。Mはもう自分の本当の氏名を呼ばれずに番号だつた。彼れは入監の際訊問室で貰ふた真鍮の番号札を他の囚人の如く左の襟に結びつけてゐた。
 監房を出て診察室に導かれた。すべての囚人が入監した翌日屹度此所で獄医の身体検査を受けねばならない。診察室からは又訊問室に入れられて前日よりも最つと詳しく色色な事を訊かれた。最後に看守が、犯罪の動機と言ふのを、
『お前も矢張り女に狂つて金が欲しくなつたんだらう』と勝手に決めて了ふたけれど、Mはそれを争ふ勇気もなかつた。
 以前の監房に帰つのは九時頃だつた。あちらこちら引き廻されるのが一々不安と恐怖とであつた。彼れは寧ろその監房の固い蓆の上にいつまでも坐つた儘、たとへ身体がその蓆にこびりついて離れぬ様になるにしても、矢張り其儘の不動と静寧とを欲した。併し彼は軈て又其房から呼出されて今度は其所から少し隔つた第一独居監と言ふのに移された。
 Mは六月の末から九月の中頃迄約八十日間未決監の一人であつた。その長い生活が此の独居監の中に来た。
 独居監は二畳敷の一軒建で、表と裏とが大きな角材の荒い格子になり、左右は厚い壁板を張りつめられ小さい便所が裏の方に別につけてあつた。房の中には古い汚れた蓆が一枚と、その片隅に掃除用の水を入れる桶が二つと、白湯入れの土瓶と、其他食器を載せる棚もあれば箒も壁にかけてある。囚人の生活に必要なものは一通り揃つてゐた。
 監房の外は白い砂の光る空地を三尺ばかり残して高い煉瓦壁で四方を取り捲いてゐた。
 独居監は相当の身分ある者を入れる所だつたけれど、看守の眼を盗んでこつそり話をする機会のある雑居監から、此の独居監に移された者は急に一人になつた淋しさを味はなければならない。Mは蓆の上に表へ向いて坐つた。そして雑居監の我れと同じ囚人の一団から只一人遠い所へ離れて来たやうなさびしい自分を発見すると共に、やつと今移されて来たばかりの落ちつかぬ心がウロウロして、兎もすれば房内の何所か見えぬ所にある墓場のやうな深い暗い穴の中に這入つて行くのではないかと感ぜられた。心臓の鼓動や体温のない死んだ身体になつて行くやうでもあつた。
 監房の格子から外を覗くと、赤い煉瓦壁の向ふに山櫨と青桐の新緑がむらむらと繁つてゐた。既決囚の監房も屋根から上が見えた。避雷針が六月末のピカピカする日光に光つてゐる。好く晴れた青い空には白い雲が如何程地上から声を掛けても知らぬ顔をして過ぎゆきさうに高い所をふわりふわり浮んでゐた。太陽の光線は濃淡が出来、光つたり陰つたりしたけれど、偉大なる彼れの姿は見えない。監房の恰度真上が毎日彼れの通る路らしい。
 Mはそれらの異つた気分の景色を眺め乍ら頻りに自分の運命が考へられた。山櫨の青い繁り、監房の尖つた屋根、もやもやした白い雲、さう言ふものが悉く彼れの運命の一つ一つをシムボライズしてゐた。彼れは他の三人の連累の事も考へずにはゐられなかつたけれど、如何(どう)考へても同情する気にはなられず、自分自身の同情すべきものは此の一個の自分の外には何も無かつた。
 その日の昼食から会社の友人が差入れてくれた弁当を食べた。看守が五器口から差入れる真四角な黒い漆塗の弁当を坐つた儘両方の手を延して受取ると、手がぶるぶる震へた。そしてその弁当を左の手に抱へてムクリムクリ食べる姿が恰度動物園の檻の中の獣のやうだつた。これが本当の自分だらうかと怪しまずにはゐられなかつたが、而かもその今迄とは全く異つた、会つて見た事も無い姿が矢張り本当の自分であつた。
 長い午後が辛(や)つと夕べになつて、雀の群れが帰つて来た。監房の屋根瓦の間や山櫨の繁りの中には幾百羽となき多くの雀が棲んでゐるが、それらは毎朝眼が見えるやうになると町に餌を拾ひに行き、夕方群れをなして帰るのだつた。彼等は夜が来て再び眼の見えなくなるまで、山櫨と青桐の葉の上を飛び廻つて出来るだけ矢釜しく騒いだ。その日町で見た事や聞いた事を互ひに語り合うてゐるやうでつた。小さい子雀もゐた。親雀らしいのが『皆な帰つて来たかい』と言つた風に、その数を調べるらしく彼方此方(あちらこちら)見廻し乍ら飛ぶもあれば、電線にとまつて沈みゆく夕日の赤い名残を眺めてゐるのもあり、又不図した事から――吾々人間には全く然うとしか思へないが――喧嘩を挑んで、小さい嘴で激しく啄き合ひ乍ら二羽とも地上に落ちると直ぐ仲が直つて又〔1字不明〕上るのもあつた。
 雀の群れが夫々深い葉隠れを択んで隠れ、その騒々しい声が聞えなくなると最う暗い夜である。就寝の汽笛が鳴つて布団の中にくるまると、Mは初めてその日の重荷を下した様な気がした。
 けれども彼れはその夜から容易に眠附かれぬ苦しい夜が来た。多くの囚人が最初の夜は反つて好く眠るけれど、その次の夜からは眠られないのだつた。
 夜警看守の靴音が監房に響いて、彼れの眠らうとする心を屢々呼び覚した。看守の腰につけた監房の多くの鍵の束が歩く毎に磨れ合うて鳴つた。洋剣の鞘もガヂャンガヂャンと鳴つた。それらの音が遙か向ふの監房の方から段々近づくにつれて、Mは『又看守が来た!』と心の中に独言く。看守が表の格子口に立つて提げた角燈の口を監房の中に向けると、角燈の光が臥つてゐるMの顔にサットと流れた。たとへ眼を如何に堅く閉ぢてゐてもその光を眼蓋の上に感ぜずにはゐられない上に、一人の看守が監房の周囲を一周して漸く去つたかと思ふと又別な看守が来るので、彼は二時過ぎまでもおちおち眠られず、狭い布団の中で幾度も寝返りを打つて苦んだ。

底本:『獄中哀歌』南北社
大正三年三月二十三日発行
*旧字は新字に、二文字以上の踊り字は元の字に改めた。また、一部を代用字に改めた。

加藤介春(1885−1946)
早稲田大学英文科卒。在学中、三木露風らと早稲田詩社を結成。自由詩社創立にも参加し、口語自由詩運動の一翼を担う。
詩集に『獄中哀歌』(1914)、『梢を仰ぎて』(1915)、『眼と眼』(1926)。
九州日報編集長として、記者であった夢野久作を厳しく指導した。久作いわく「神経が千切れる程いじめ上げられた」。
詩集『眼と眼』では、萩原朔太郎が「異常な才能をもちながら、人気のこれに伴わない不運な詩人」という序を寄せた。


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