_獄中哀歌_

加藤介春著『獄中哀歌』「赤き日」淋しき野の如きものなり

それが何んであらうとも
影のやうなものであらうとも
いつ迄もはなされず。

それをぢつと握りて
次第につよく握りしめて
命が通る。

わたしはさびしき野のごときものなり、
あをざめし月光のふるへが伝はりて
おびえる心をもつ。

うすぐらき樫の葉の繁りにとまりて
小鳥が黒き眼をかたくとぢ
何事か切りに考ふ。

それによく似し心となりて
いつまでもはなされぬ生の幻、
かがやける命の影。

いかにつまらぬものであらうとも
てのひらにぢつと握りしめて
はなされぬ生の影。

わたしはあをざめし野の如きものなり、
夜となればさびしき心を抱き
ただひとり茫漠として生く。

底本:『獄中哀歌』南北社
大正三年三月二十三日発行
*旧字は新字に、「ゝ」などの踊り字と俗字は元の字に改めた。また、一部を代用字に改めた。

加藤介春(1885−1946)
早稲田大学英文科卒。在学中、三木露風らと早稲田詩社を結成。自由詩社創立にも参加し、口語自由詩運動の一翼を担う。
詩集に『獄中哀歌』(1914)、『梢を仰ぎて』(1915)、『眼と眼』(1926)。
九州日報編集長として、記者であった夢野久作を厳しく指導した。久作いわく「神経が千切れる程いじめ上げられた」。
詩集『眼と眼』では、萩原朔太郎が「異常な才能をもちながら、人気のこれに伴わない不運な詩人」という序を寄せた。

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