加藤介春著『獄中哀歌』「赤き日」花の亡霊

いづくよりきたりしか知らねども
ふとうかびいでし赤き花の亡霊が
私のまへをふわりふわり往来(ゆきき)す。

わたしの心を追ひきたりて
なよなよともたれ掛る、
その花の亡霊は何のかたちも無し。

くらき影より影へつたはるそよ風が
路をうしなひて辺(あた)りへまぎれゆけば
赤き花の亡霊は身をふるはす。

赤きダリヤは夢のなかに織りこまれ、
かがやける透影を外へ洩らす、
日はねぶたげなる光を広々と敷く。

わたしの心は花にうなさる、
邪淫の気ひしひしと迫りきたりて
くるしさに口を太くあけて呻く。

わたしが深き書室へ逃げかへれば
あをざめし窓掛けを手の如きものにて
しづかにおしひらきて忍び入る。

わたしはいつも頭をかかへて眠らず、
その赤き花の亡霊が夜も昼も
わたしの心の上に止まらんと追ひきたる。

底本:『獄中哀歌』南北社
大正三年三月二十三日発行
*旧字は新字に、「ゝ」などの踊り字と俗字は元の字に改めた。また、一部を代用字に改めた。

加藤介春(1885−1946)
早稲田大学英文科卒。在学中、三木露風らと早稲田詩社を結成。自由詩社創立にも参加し、口語自由詩運動の一翼を担う。
詩集に『獄中哀歌』(1914)、『梢を仰ぎて』(1915)、『眼と眼』(1926)。
九州日報編集長として、記者であった夢野久作を厳しく指導した。久作いわく「神経が千切れる程いじめ上げられた」。
詩集『眼と眼』では、萩原朔太郎が「異常な才能をもちながら、人気のこれに伴わない不運な詩人」という序を寄せた。

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