作品の振り返り『シャーリー&クロエ』

作品詳細

2020年 1億円40漫画賞百合漫画賞 落選 『シャーリー&クロエ』44ページ
使用画材 iPad pro10.2インチ /Apple pencil/アイビスペイント


製作までの経緯

本作は2020年に開催された集英社40漫画賞 百合漫画賞にヤンキー漫画賞に応募した『花よ鳥よ』と同時に応募した作品。
https://note.com/jimiroad2/n/neafd6b318dd8


実は当時漫画家を目指そうと決意した矢先に開催されたコミティアの出張編集部に持ち込みに行くためにネーム自体は応募3か月前に完成しており、花よ鳥よ完成後に募集期間に余裕があったので製作に取り掛かった。
応募数は多いほど受賞率もあがるのは最終学歴Fラン中退(高卒)の自分でもわかったからだ。

『花よ鳥よ』は辛くも入賞となったが本作は敢え無く落選という結果に終わった。

あらすじ

アンドロイドが人々の生活に当たり前に存在している世界。
シャーリー・テック社社長の『シャーリー・エレガント』は絶縁した母『マダム・エレガント』から遣わされたアンドロイド『クロエ』と恋に落ちる。
クロエはシャーリーをマダムの元に連れ帰る任務を負っていたが、死の商人である母の元に帰れないとシャーリーは帰省を拒否する。
しかしその夜、クロエは大事なシャーリーのペンダントの中に自分と瓜二つの顔の女性の写真が保管されているのを目撃する。
疑心暗鬼に陥ったクロエへの愛を証明すべく、シャーリーはマダムの元へ向かう…。

解説と講評

男装の麗人、ロボ娘という自身の2大趣味をねじ込んだ作品。
落選後にマガジンデビューに掲載した時の講評では「描きたい世界観に対して画力が追い付いていない」という指摘を頂いた。

しかし本作にはより致命的で決定的な欠陥が用意されていた。

いろんなペンを試験的に使用してみた
シャーリーのコンセプトは女版早川健(快傑ズバット)

また、出張編集部に持ち込んだ時に頂いた講評に『女性同士の恋愛である意味がない』というものがあった。

同性のシャーリーとクロエ(そして、シャーリーとモニカ)は作中で当然のように惹かれあい、また周囲の人間もそれに対してこれといった疑問を抱いていないように描写されている。

恐らくここが作品の構造の最大にして致命的な欠点だろう。

前回「花よ鳥よ」でも触れたが、漫画を作るうえで大切なのは「読者にストレスなく最後まで読んでもらう」という事。
その為のノイズは可能な限り排除しなければならない。
例えば作品の展開に関係のない単語や設定を登場させる事は限られたページ数の中で話をまとめなければならない読切において積極的に削らなければならない要素だ。
恐らくそれは漫画を描いたことがない人でもなんとなく理解できるだろう(実際に制作するとなるとなかなか難しい事だが…)

だがそれ以上に調整が困難なノイズが存在する。
それは「作者と読者の現実世界の認識の相違」だ。

僕がこの漫画で描きたかった事のひとつに「同性愛が普遍的な世界観」がある。
それは僕個人が作品世界をそう描写する事で現実社会での同性愛存在に対する意思表明をしたかったからだ。「同性が当然のように恋愛をして何が悪い」と。

しかし現実問題、昨今LGBTQへの社会的理解は果たしてあまねく世間の人々へ浸透していると言えるのだろうか。

本作は愛が障害を乗り越える話である。
であるからこそ、本来は現実での大きな障害である「同性愛のハードル」を具体的に描写すべきだったと思う。

一応
「シャーリーがマダムの元を去ったのはマダムがシャーリーとモニカの関係を嫌悪し(同性愛、身分違い)、二人の仲を裂くためにモニカを謀殺したという事実に気づいたから」
という設定も考えてはいたのだが「同性愛を拒絶する存在を描くことがそのまま現実で同性愛を拒絶する行為」に思えて結局作中で描写する事はしなかった。(全体を構成した時にエピソードを差し込む余地がなかったのもある。というかこっちをストーリーのメインストリームにすれば良かったのにね)

出張編集部での講評では更にこうも言われた。
「百合が当然の関係性だと描写されて納得できるのは百合雑誌の読者だけ」

当時は正直「はぁ?」という感じだった。「いや、みんなの認識がどうあれ性別関係なく愛しあう事は当然の事だと思うんですが…」と本気で思っていた。
いや、そうなのである。そうなのであるがそうではないのだ。

つまり
「愛し合う事に性別は関係ない」という世界の真実と、「同性愛への理解は今だ人々に浸透している訳ではない」という社会の真実が並列しているという事に考えが及んでいなかったという事だ。

愛は正しいという事を描くだけが正しい作品の作り方ではない

先程も述べたようにこの作品は愛が障害を乗り越えるのがテーマだ。
つまりそれは「愛が障害を乗り越えてほしいと願う人々」に贈られる作品であり「愛に悩む人々」に贈る作品であったはずだ。

しかし結果的にこの作品は単純な「理想の、夢のような愛」を描いただけの作品にとどまってしまった。そのような作品が果たして誰からの理解を得られるだろうか…。

確かに本作で描いた「親との確執」という点は読者にとってわかりやすい課題であったかもしれない。
だが序盤でシャーリーとクロエの同性愛の意外性を提示しなかった事で多くの読者を置き去りにしているという事実を認識しなければならない。(僕は同性愛は当然で、むしろアンドロイドと恋愛をするという所が意外性として打ち出すべき所だと思っていました。じゃあ異性愛でいいじゃん)

そういう訳で改めて振り返ると作品を通して社会の理想を伝える事の難しさ、そして自身の認識の甘さ、読者との意識の剥離を感じる作品だ。

キャラ自体には愛着があり、今でもたまにイラストを描いたりもしている。
なので尚の事納得いく作品に仕上げる事ができなかったのが悔やまれる。

作品完成から2年後の2022年に描いたシャーリーとクロエ。現実での作者の後悔とは裏腹に、二人は作品内で幸せな人生を送っていくのだろう。


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