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温故散新が蔓延る世の中へ

えっ!?漢字間違えてるやんw本当は温故知新やで~って思ったそこのあなたへ

中の人もそのくらい知ってます!えっへん!笑

こんなノリツッコミはこの辺にしておいて、最近、温故知新ならぬ温故散新が蔓延るすごーく生きづらい世の中に私たちは生きているとつくづく考えさせられます。

本来の温故知新の意味は、「故きを温ねて、新しきを知る:前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見出し、自分のものとすること」とされています。

本来は、何らか新しいことを求める際に、過去の経験に思いを巡らせ、新たな道を拓いていくものと、中の人は考えています。

が、しかし。

以前にも書きましたが、「経験的アプローチ」を重視する人たちは、過去の経験から得たものを優先するので、「新しきを知る」という部分が欠けているのです。

そうなると、新しいものが出てきた時に、まずは「散らす」という行動が出てくるのです。

その「散らす」ことが横行する社会。新しいものを求めたり、開発したりするならば、とにかく尖っていなければ、突き進めないのです。もちろん他のアプローチもあるとは思いますが。

温故散新「故きを温ねて、新しきを散らす」

これが進んだ極限の状態は、小さなイノベーションすら起きることなく、冷たい水からどんどん煮炊きされ、変化に気付かない釜の中のカエルさんたちばかりの社会ではないでしょうか?

新しいことや疑問をぶつけられたとしても、「はぁ~?」と蹴散らすことなく、まずはゆるーり考えてみることをオススメします!

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