見出し画像

コンプレックスと誇り

今、仕事でエッセイを書いているのだが一向に進まない。自分の身に起きたこと、その時の感情を振り返ることが苦手なのだ。エッセイの主軸は上京してからの大学4年間のこと。年末に絞り出すように一段落書いてみたものを年明けに読み返してみたのだが、「カッコつけてる文章だなあ」と恥ずかしくなってしまった。非公開のGoogleドキュメント、これは誰にも見せるわけにはいかない。速攻削除。真っさらな状態から始めることにしたのが1週間前のこと。

そして一週間後の今日(日付的には昨日)。
今日は16時の時点で−3度を下回っていたようで、身体がとても冷えた。週末に開催されるイベントに出品予定の炭をのこぎりで切断しながら、今日は温泉で身体を温め、進まないエッセイに向かい合おうと考えていた。エッセイの締め切りにイベントの出店準備、他にもやらなきゃいけないことがたくさん…。てんやわんやな頭の中を整理したかったのだ。

家から車で10分ほどの近所にある温泉にやってきた。普段はすぐにのぼせてしまって、お湯に5分も浸かっていられない。しかし今日は身体が芯まで冷えている。10分、15分といつもより長く入ると、冷えた身体がじわじわと解けていく感覚が気持ちよかった。外気温との差があるからか、浴室内は湯気で隣にいる人の顔が見えないほど真っ白。視界が遮られ夢見心地な感覚の中で、私はふと自分の「あざ」のことを考えた。

ーーーーー

私の右肩には生まれつき「あざ」がある。
よく打ち身でできる青紫色の透き通った色のものではなく、こげ茶色で濃い色のもの。とても大きなほくろをイメージしてもらえればいい。こぶし半分ほどの大きさのほくろ。

「これは、生まれつきあるあざで」

友達と温泉に行った時、「どうしたの?!」と聞かれた際には大体テンプレでこう答える。答えてきた。

この「あざ」は私にとってまあコンプレックスで。何かとめんどくさかったり、恥ずかしかったりそういう存在なのだ。

今でこそ、「生まれつきでさ!」の明るい一言に「そうなんだ!」の返答をもって終了するけど、多感な中学生時代(小学生の時もかな?)は身体のコンプレックスって1日頭の中を占めるほど、悩んで夜も眠れないほどの一大事で。

学校の行事以外で友達とプールや海に行ったことはほぼなくて、肩の出る服は着られない(着ることはできるけど嫌だった)。

「あざ」が原因でいじめられたことはなかったが、中1の時に「私だったら絶対プールに入りたくないわ〜」と友達(怖い)に面と向かって言われたときはさすがに腹が立った。あの時なんて返したんだっけ。

ここまで読むと、手術して除去すればいいんじゃね?みたいに思う人が大多数かもしれない。その通り。いくらかかるか知らないが、傷跡さえ残れど「あざ」について尋ねられることはなくなるし、物心ついたときから着たことのないタンクトップだって人目を気にせず着ることができる。今の医療医術は発達しているから、もしかしたら傷跡さえ残らないかもしれない。

しかし、私にはなかなか踏み出せない理由がある。それが「遺伝」であり「血縁」である。

どうやら私のこの右肩の「あざ」は父方の祖父に由来するものらしい。らしい。本当かどうかわからない伝承を信じている自分がいる。信じたい自分がいる。父方の祖父は確か私が中学3年の時に亡くなった。人に感謝され、多くの業績を遺した人だと方方から聞いているため(葬儀にもびっくりするほどの人が参列していた)、私の中で神格化されているような存在なのだ。

「これは偉大なおじいちゃんから血を受け継いだ印だぞ〜!!」

と思春期の私が言えたらどんなに楽だったことか。言えねえ。
しかし、コンプレックスを感じながらも心のどこかで「これは中野家の血筋を継いだ証なんだぞ」と誇らしげに思っているのだ。だから手術をしていないし良くも悪くも踏み出せないのだ。

コンプレックスに誇りをあいがけしたこの気持ちになったのは、思春期に入る前にふとかけられたある言葉に起因する。

小学校中学年くらいだっただろうか。当時通っていたスイミングスクールのレッスン中となりにいた女の子(初めて話した子)と交わした会話を今でも覚えている。

「(あざを指さしながら)これ、どうしたの?」
「あーこれね、生まれつきなんだよ」
「生まれた時からあるの。すごい、神秘的だねぇ!」

神秘的…?

言われた当時はあまりピンとこなかったのだけど、今考えるとこれほどのグッドアンサーはない気がした。あっぱれ!そして、ことあるごとにこの「神秘的」という言葉は、生まれつきの「あざ」をコンプレックス然としないよう私を支えてきたのだと思う。

ーーーーー

そんな自分のコンプレックスについて考えていたらまんまとのぼせた。くらくらしながら脱衣所までたどり着くのが一苦労だった…。
さらにせっかく身体が芯まで温まったと思えば、こんな時間まで起きてしまった。でも書かずにはいられなかった。

これは圧倒的持論だけどエッセイを書く上で大切なことは、自分を偽らずに、自分のことを、自分が振り返ることだ。
今回苦戦しているエッセイが、きっとこの記事を書いたことによっていい方向に向かうはず…。

おやすみなさい、頑張れ明日の自分…。


いただいたサポートは、出産・子育てにかかる費用に使わせていただきます!