CR5風あざみとシーチキン_catch

【コンテクストリサーチ:5】 風あざみ(井上陽水『少年時代』)とシーチキン

#サビ 「夏が過ぎ、風あざみ」秘話

NHK総合番組『SONGS』に出演した井上陽水氏が、ヒット曲『少年時代』の歌詞「夏が過ぎ 風あざみ」の「風あざみ」が造語であることを明らかにする。「鬼あざみという言葉は知ってましたから、風あざみもあるでしょう、みたいな感じで録音した」と回顧。「鬼あざみ」とは、キク科の植物「アザミ」でトゲがあるアザミを指す意味があるそうだ。井上は「一瞬、頭の片隅に、辞書でちゃんとそういう言葉があるかどうかチェックしたほうがいいのかなと、チラッとはかすめました」としながら、「そんなことチェックしてどうすんのという気持ちがあった」と述懐。「僕の仕事は真実をお伝えすることではなくて、楽けりゃいい」と語っていた。(https://news.livedoor.com/article/detail/16278338/)

#風あざみとシーチキンの共通点

鬼あざみ(意味)を誤読した井上陽水による「風あざみ」(無意味)。皆が歌ってしまっている「風あざみ」は、社会で通じる意味という「フレーム」を脱却しながら、無意味という「外」を用意している。「外」とは意味を帯びていない余白であり、イメージは受け手の妄想に委ねられる。アーティストの本質的な文化形成の手段だ。完璧な「フレーム」で作り込んだ歌詞は居心地が悪いが、独りよがりの「外」遊びは人に届かない。「夏が過ぎ、風あざみ〜」がサビ部分であることで、「外」を感じさせてないのかもしれない。そんな『少年時代』によって、井上陽水の作った虚構「風あざみ」を日本人はついつい歌っては気持ちよくなっている。

同じ文脈で、「シーチキン」を紹介したい。「おにぎりの具はシーチキン!」よくある日常の風景だが、あれはチキンではない。”sea chicken”を直訳(意味)すると海のチキンだが、あれはマグロじゃなかったけ?(又はカツオらしい)。社会の「フレーム」として合理性は保ててないことに気づかず、多くの人が「シーチキン」を日々使っている。新しい合理性とも言えようか。この「シーチキン」が美味しさを持っており、「風あざみ」がサビにのっていることは、一つの共通点かもしれない。美味しさやサビは、いわゆる「外」というある種の非合理な部分を説得するために用意されたクリエイティブであり、人がどんなものに突き動かされるかの真髄でもある。

「スムーズに読めて、なんか楽しかったな、僕も私も頑張ろう」となった方は、高評価していただけると嬉しいです!コメント、ツイッターでのRTはさらに喜びます!よろしくお願いいたします!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?