さいきんのこと

3月上旬、僕は物件の仲介をしてくれた業者さんの事務所を訪れていました。

眼の前の机には、物件の契約書。
「物件」は、以前ちらっと紹介した、自宅すぐ近くのこちらです。

長い長い物件探しの末に、たどり着いてから3ヶ月。

その物件に合わせた事業プラン構築はもちろん、オーナーとの諸条件の調整、融資の審査と入金、保証会社の審査、役所・消防との協議と確認、設計と費用見積もり…

それら全てをクリアし、待ちに待ったその瞬間がやってきたのです。
万感の思いを込め、僕はペンを取りました。


ちょうどその時、外出していた業者の社長さんが事務所に戻ってきました。

彼は当初から僕の事業計画に賛同してくれ、「あの物件にはこの計画以外ありえない」と、力強く背中を押してくれた人です。
オーナーとの交渉や面談のセッティング、条件の調整、周辺住人への紹介など、様々な部分でフォローしてくれ、ゲストハウス実現のために多大な尽力をしてくれました。

この人がいなければ、ここまでやってくることはできなかったでしょう。


「おかえりなさい。ここまで本当にありがとうございました。引き続き宜しくお願い致します」

僕は彼に、心の底から礼を言いました。

「いえいえ、とんでもないです。私は何も…」

そんな謙遜を…。
そう思って彼を見ると、控えていると言うより、困ったような、むしろ苦渋の表情を浮かべているように見えました。

「…どうかしました?」

「……実は、大変申し訳無いのですが、今日、物件の契約を行うことはできなくなりました」

「……え、どういうことですか…?」

それが、始まりでした。

結論からいうと、そこから事態が急転直下していき、最終的には
ほぼ決まっていたその物件を、失うことになりました。

契約書にサインしようとしたまさにその瞬間、ちゃぶ台返しでダメになる。
そんな、ドラマというかギャグみたいなことが本当に起こったのです。
全く笑えないけど。


理由は、全くしょうもない話でした。

その日、事務所に着く直前の社長の電話にオーナーから電話があり、こう言われたそうです。

「妻がこの物件を使いたいと言い出した。だから、貸せなくなった」

…なんだそれ?

実はその奥さん、とある宗教団体に属しており、定期的に近所の信者を集めて集会をしていたそうです。
それを、その物件でやりたい、と。

正確に言うと、もともとその物件でやっていたが、新しく取得した別物件でやることになったので、元の物件を貸しに出そうとした。
そこに、僕がたまたま申し込みをした、ということらしい。

で、それをここに来て、今更、「やっぱり貸すのはやめる」と言い始めた。

…なんだそれ?

心の底から怒りが込み上げてきました。

これまで3ヶ月、何度も何度も事業の説明をし、オーナーが出してきた注文も全てクリアし、少しずつ話しを詰めながら多大な労力と時間をかけてここまでやってきた。
既にお金も動いてるし、人も動かしている。
この事業に全てを注ぐため、会社も辞めた。

それを、あんたもさんざん知っているだろう。その上で、そんな身勝手なことを言っているのか?

でも、僕以上に怒りを露わにしたのは、仲介業者の社長さんでした。

「こんなおかしな話が通っていいはずがない。長年この業界でやってきたけど、ここまで酷いのは初めてだ!」

実は、彼はオーナーとは個人的に20年来の付き合いがあったそうです。
そんな相手から直々に依頼があって、その物件の募集を買って出たわけです。

それが、こんな不誠実な形で裏切られた。怒りも尚更だったでしょう。

「この話は、私が責任を持ってまとめます。あなたは何も悪くない。少し時間をください」

そう言って、彼はオーナー夫妻との調整を続けてくれました。

もちろん、話がまとまらなければ、彼の会社の売上もなくなってしまう。
でもそのためではなく、「なんとしてもこの計画を実現しましょう」そう言って、顧客のために全力を尽くしてくれる人でした。
そこまでやってくれる業者さんを、僕は見たことがありません。

僕は、深く感謝すると共に、彼に全てを預けることにしたのです。


それからしばらくして、連絡がありました。
結果は、残念ながら決裂した、というものでした。

社長は粘り強く交渉してくれましたが、オーナーは態度を硬化し、最終的には開き直り自分の非をこちらに押し付け、こう言い放ったそうです。

「あんたは詐欺師だ!私を騙そうとしてる!」
「あんたとはもう、絶交だ!」

もともと、そのオーナーは自分の話を一方的にして相手の話を聞かないような所があり、少々面倒な人物という印象。警戒はしていました。
でも、高齢者は誰しも少なからずそういう傾向はあるし、これだけ好条件が揃った物件はなかなか出てこない。
何より、そんな相手を熟知した人が、しっかりとフォローしてくれる。

だから、ここに賭けよう、という判断をした。
その判断が間違っていた。ただそれだけのことです。

今思えば、近所の人に挨拶をしたときに何度か耳にしたのは、
「あの人には気をつけたほうがいいよ?」
という声。
その時点で、思いとどまっておけば良かったのかもしれません。


またか、と思いました。

去年の秋のこと。
同じような形で、僕は物件を一度失っています。

当時、僕はまだ会社員で、ウェブディレクターとして働きながら、物件探しをしていました。

探し始めてから2年。
ようやく見つけた、改装OK、ゲストハウスとしての使用OK、場所も条件も申し分ないという物件。

それも、今回のように全ての課題をクリアして、後は契約、改装着工するのみ、という状況でした。

ところが、そんなある日に来た、仲介業者からの

「あの物件、契約できなくなりました…」

という連絡。

聞けば、オーナーは僕との契約話を進めておきながら、同時に裏で他の管理会社と組み、募集を続けていたそうなのです。
そして、より良い条件で契約したいという応募がそこに来た。だからその人に貸す、と。

なぜか契約締結を引き伸ばされ、一度済んだ保証会社の審査を別会社で再度やらされるなど、不可解なことが続いていましたが、その時は仲介業者のみとのやり取り。
オーナーとは直接話すことが出来ていなかったので、何があったのかもよくわからず、ただただ混乱するのみでした。

そして、開業に向け全力を注いだ数ヶ月が、全て無駄になった。

いくら契約前とは言え、人としてどうなのよ?

その時も許せない気持ちが溢れたし、損失の補償を求めることも検討しました。
でもいつまでも引きずっても仕方ないと、前を向いて次に進むことにしたのです。


そんな経験があったので、二度目は慎重を期し、直接オーナーとも話し合いをし、逐一業者さんとも確認を取り合い、問題になりそうな要素を一つ一つ解決しながら進めていた、つもりでした。

でも、どんなに慎重に進めても、限度を超えた所業をする人はいる。
常識やモラルなんて通用しない人がいる。

まあ、相手に原因を求めるのは簡単ですが、結局自分の詰めが甘かったということなんでしょう。
どんな相手であっても、その人を落としきれなかった自分の力量不足です。



それから数日間、何もする気力が湧きませんでした。

ちょうどそんなタイミングで、前に内見した別物件の仲介業者から連絡がありました。

失った2つ目の物件と同じ時期に出てきたところで、そちらもなかなか条件の良い物件でした。
しかもオーナー自身が僕の事業計画を見て大変興味を持ってくれ、ぜひ協力したいと言ってくれていたのです。

でも、もう一方の物件が具体的に進み始めたので、悩んだ末にお断りしていました。

その物件のオーナーから、

「条件を優遇するから、うちでやってみないか」

と、改めてご提案があったとのこと。

内容を聞いて、驚きました。
なんと、保証金の減額に加え、家賃を10万も安くしてくれるというのです。

状況が状況だったので、涙が出そうになりました。
これはもう、逡巡などする余地はない。

ぜひお願いします。そう返事をしましました。


それからは気持ちを切り替え、遅れた分を取り戻すべく全力で動き始めました。
急ピッチでその物件・エリアに合わせた事業計画の練り直し、資金計画の修正、役所への確認。
お断りする前にもある程度はやっていましたが、改めて細かくやり直しました。

ただその過程で、少し気になることが出てきました。

もしや…。
そう思って、謄本を取って確認したところ…

ビンゴでした。

その物件での開業は、できない。

国の法律とは別に、東京には「東京都建築安全条例」というものが定められています。
その中にある「接道義務」というものに引っかかっていたのです。

東京では、ゲストハウスのような簡易宿所を開業する場合、建物の敷地が建築基準法上の道路に4m以上接していなければならないのですが、少しだけ足りていなかったのです。

つまり、その物件では簡易宿所の営業許可を取ることはできない。

これまでの2物件は最初に図面をもらい接道を確認していたのですが、この物件はオーナーさんが図面を持っていなかったため、確認が遅れてしまっていました。
そこに足をすくわれた形です。

ならば民泊で営業すれば、なんてことも考えましたが、その場合は公庫の創業融資が得られなくなる(民泊に対する規定があり、事実上融資はできない)し、そもそも自分がやりたかった形のゲストハウスや付随するサービスは実現できなくなります。

残念ながら、断念せざるを得ませんでした。

こうして、これまで進めていた計画は、全て白紙となりました。



長文の上に、ネガティブな内容で申し訳ないです。
でも、これからゲストハウスを開業しようとしている人にとって、何かしら参考になればと思い、晒すことにしました。

周到に、準備を進めてきたつもりでした。
ゲストハウスを開業しようとして断念する人、開業しても結果を出せず撤退をしていく人は、とても多い。
そのあらゆるケースを検証し、原因を把握し、それらを乗り越えられる対応も十分に考慮して、うまく行っているオーナー達からもアドバイスや手助けをもらい、進めてきた。

それでも、届かなかった。

ただ単に「ゲストハウスをオープンする」ということであれば、ここまで苦労せずとも可能でしょう。
でも、
自分がやりたいことを形にして、かつビジネスとして成立させる
それを、今このタイミングでやる 
それが難しいのです。
これが5年前なら、また状況も違ったでしょう。

物件探しは運と縁、そう思ってはいましたが、
今、宿を軌道に乗せている人たちは、例外なくとんでもない強運の持ち主である。
そんなことも痛感させられました。


今後どうするのか、今はわかりません。
これまでに失った時間、労力、お金。正直、バカにならない量です。
そして何より、気力の問題。
このまま次の物件を探して、というのは難しいかもしれません。

ひとまず、ここまで走ってきて足りなかったこと、
それを一つ一つ拾っていき、
それと向かい合いながら、しばらく考えてみます。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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