しめりけのかんじられるあたたかな雨降りの予感のする朝に確定申告の準備をしながら
はじめに
このところあたたかな陽気がつづく。そんななか暖房をいれない朝はひさしぶり。そのかわり明けたばかりの空はどんよりと低く重そうな雲がたちこめ、いまにも雨降りになりそう。
こんな日は家のなかでできるしごとを優先してすませようと、きのうからとりかかった確定申告の準備。すでにきのう午前中に洗濯などの家事をしつつ伝票の整理や帳簿の入力を7割がたすませ、きょうはのこりの作業。
クラウドサービスの会計アプリをつかいはじめて何年になるだろう。ノートを見ながらそろばんをはじいていたのはそんなにむかしでなかったはずなのに隔世の感がある。家にいたまま申告書の提出まで完了するのだから楽なもの。ほかにも知らぬ間にべんりになったものがありそう。
きょうはそんな話。
やっとついていく
どうやら世のなかのうごきにむかしからひとまわりからふたまわりほどおくれるほうだった。いや、あえてのらないというほうがよさそう。
たとえばハリー・ポッターの映画を見に行ったり、本を購入して家族が内容を話したりしても、「どうせいっときのはやりだから。」と口には出さなくても興味はむかわず、じっさいに翻訳されたものの全巻読了は1冊100円の古本で10年以上経ってから。
さらにさかのぼると「窓ぎわのトットちゃん」などはベストセラーになってから20年後。村上春樹などはデビューしてから30年ちかくそのまま素どおりしていた。それでもまだなまえと本が書店にならんでいるので、ようやく古書店や図書館にむかい手にとった。
ほかにも
世のあまたあるゲームのたぐいはいまだにまったくしないし、ゲーム機のあつかい方は知らない。パチンコ屋や競馬場に行ったこともやったこともない。
この世のなかの主要なもの、たとえばエレベーターのボタンがもしもゲーム機の操作で稼働するとしたらさぞかしわたしはたいへんかもしれない。世のおおかたのヒトビトがごく日常的になかば常識としているものをわたしは知らないまま。まさかとは思うがこうならないことを祈るかぎり。
公共交通機関の乗り降り(何年ぶりだろう)を車内で横目で見ていると現金で投入される方はほとんどいないと知った。わたしとてプリペイド式のものをつかうぐらい。
このつかいかたは事前に販売所でたずねた。こうしたところにはひとむかしまえならば、ちいさなまどのむこうに無表情の窓口氏がいるイメージだった。それはいまやかってな思いこみにすぎない。とんでもなくあかるく「なんでもたずねてください。」とニコニコ顔で応対してもらえた。サービス業も変われば変わるもの。両面で世の変わりようにおどろいた。
あらたに参加するときは
よく考えるとこれはなにもあたらしいことばかりではないのかもしれない。むかしもなにかしらあたらしいものごとにトライすれば、そのもの特有のルールなり「しきたり」などがあった。それを通過儀礼として受け入れるとなかまいりを許される。
いわば新入りとして迎えいれてもらえ、かようたびに一見さんでないよ、常連だよとなっていく。
おわりに
「しきいをこえる」とは文字どおりの意味とはべつの意味をこめてつかわれる。わたしはとりわけ「はいる」にも「とりいれる」にも高いかべをつくるのかもしれない。いろいろと損をしてるのかなあ。
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