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数寄屋巡り その2


きっかけ

2020年7月の杉本博司さんの私の履歴書を読んで江之浦測候所を訪問。そこで売っていたCasa BRUTUS2017年7月号の「杉本博司が案内する日本の名建築」を読んで吉田五十八、堀口捨巳、村野藤吾の存在を知り、数寄屋巡りを開始。2020-2021年の訪問先はその1にまとめましたが、今回のその2は2022年の訪問先のまとめです。今回は吉田五十八さんの建築が中心です


1 山口蓬春記念館 (吉田五十八、葉山)

吉田五十八と芸大の同級生で親友だったと言う日本画家の山口蓬春の旧自宅をベースにした記念館。画室と茶の間が吉田五十八の建築。
蓬春が戦前に住んでいた世田谷区祖師谷の自宅も五十八設計(現存せず)。昭和28年(1953年)にこんな素敵な画室が作れたなんて。
ここも、水澤工務店岩城造園のコンビです(旧岸邸、吉屋信子邸、寂櫟荘)。
葉山の近くの鎌倉に、同じく日本画家で蓬春の15歳年上の鏑木清方の旧宅の画室も吉田五十八の作品とのことで、今度はそっちに伺うことに(未実現)。

画室


2 猪股邸(吉田五十八、成城)

身近なところにこんな素敵な数寄屋があったなんて。湘南など完全な郊外ではなくて、世田谷にこれだけの敷地と建物がそのまま残されていることが奇跡。建てた猪股猛さんも凄い方だったのでしょうが、この素晴らしい建物を残すために世田谷区への寄付を決めたご子息も素敵だなと。
お茶室が2つあり、離れのように見えて渡り廊下でつながっている4畳半の茶室(裏千家のお茶室又隠(ゆういん)の写し)と、増築時に五十八の弟子の野村加根夫の設計した2畳の茶室(裏千家のお茶室今日庵の写し)の2つ。
茶室がなくても数寄屋と呼ばれますがが、こういう茶室があると数寄屋の原点を改めて感じます。

玄関横から特徴のある渡り廊下を眺める

猪股庭園案内HP



3 吉田茂邸 (吉田五十八、大磯)

最高の天気で大磯名物の麓から見える富士山と相模湾の眺めが素敵でした。ただ、残念なのは建物が焼失してしまったため建て替えたものであることに加え、当時は最高のロケーションだったと思うのですが西湘バイパスができてしまい、景色はともかく、ずっと車の音がする場所になってしまったことでしょうか。 建てられた当時は静かな別荘地だったのかなと。大磯駅により近い方に伊藤博文の別荘なども並んでいたようで、往時が偲ばれました。

唯一火災を免れ現存するサンルームと富士山を望む

旧吉田茂邸HP
旧吉田茂邸ご案内

4 成田山新勝寺(吉田五十八、成田)

住宅系だけではなくて、仏教系の建築物も吉田五十八さんは手掛けているということで、成田に用事があった際に出かけてきました。住宅系とは全く異なる規模ですが、1968年なので、猪股邸と岸信介邸の間の年で最晩年の作品になりますね。 これは木造じゃなくてコンクリなんですね。22年10月には十三代目市川團十郎の襲名奉告がここで行われましたね。

大本堂



5 聴竹居 (藤井厚二、京都府大山崎)

吉田五十八さんを連発していましたが、五十八さんの6つ年上の藤井厚二さんの残した建物へ。「数寄屋の近代化を最初に行った建築家」の自宅。京都駅から15分程電車に乗って駅からすぐ。同じ駅前にある待庵も見たかったけど、コロナで受付していませんでした。昭和3年、1928年の建物なので、てっきり五十八さんとは時代が重なっていない建築家なのかと勘違いしていましたが、若い頃から活躍されて49歳の若さで亡くなられたのでそう感じていただけで、実際は6つしか年が違わない同時代人だったのですね。
「五十八さんの数寄屋」(鹿島出版会)の中でも藤井厚二と吉田五十八の比較が語られていますが、藤井厚二の聴竹居は四分円のような幾何学模様があちこちに使われていて、この時代のアールデコの影響を感じたり(ちょうど次の週に東京都庭園美術館に行ったからかもしれないですが)、左右非対称ではなく対称だったり。

建物内で撮影した写真は公開できないので、入り口の一枚


6 番外編:茶室「光華」 (中村砂村、平田雅也(大工棟梁)、白金台)

住居ではなく茶室ですが、BS朝日の「百年名家」という番組を見て、大観荘の平田雅也棟梁の作品ということもあり現地へ。ちょうど茶室にも入ることができる期間でした。平田雅也棟梁ということで、躙口の高さはやっぱり高めでした。お屋敷の方はアールデコの立派な洋館でお城のような印象で、さすが宮様と嘆息しましたが、お茶室の方は感覚的には親近感を覚えることができる感じでした。

新緑の季節に広間と立礼席を望むお庭から

庭園美術館HP(茶室部分)
以下の最初のyoutubeに出てくる茶室は小間ですが、今回入ることができたのは2つ目のyoutubeの途中に出てくる広間の方。「亭主が一番良い席というのは、皇族の作られたお茶室だからでしょうか」とおっしゃってますね。


7 桂離宮 (八勝館と比べてみた)

ブルーノ・タウトに「涙が出るほど美しい」と言わしめた桂離宮。書院造と数寄屋造の融合です。コロナ禍で一回20人しか見学できないこともあり予約で一杯です。それでもお茶室の方は拝見できますが、書院造の建物の方は見学では拝見できません。
「数寄屋巡り その1」で紹介した八勝館の御幸の間も桂離宮をモチーフにしているとのことで、おさらいして来ました。
桂離宮の茶室の松琴亭の市松模様の取り合わせなどは、これが17世紀の建物とはにわかには信じられませんが、そういう美意識を持ち合わせた方の別荘だったんだなと。

  1.  桂離宮の笑意軒の窓と八勝館の御幸の間の窓

桂離宮の笑意軒
八勝館の御幸の間
  1. 桂離宮の松琴亭の市松模様と八勝館の松の間の無双仕立ての風通し窓 (これは僕が勝手に思っただけで、モチーフにされていたのかどうかは分かりません)

桂離宮の茶室 松琴亭の市松模様



八勝館の松の間の無双仕立ての風通し窓



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