張本氏の話題の発言から少し考えてみた


ブログに書こうと思ったが、noteの更新をサボっていたので、noteに自分の意見を書くことにした。


高校野球の予選について、張本勲氏のテレビでの発言が話題になっている。岩手の大船渡高校の佐々木郎希投手を県大会の決勝で登板を回避したことについての意見が取り上げられている。


張本氏の発言は批判を受けることが多く、今回の事例でも、張本氏の「根性論」が批判にされていると感じる。


今回の張本氏の発言は根性論と結び付けるところまで考える人はいると思う。僕はここからまた仮説を少しだけ考えてみたいと思う。


もちろん、その時代にあった考え方は必要な時代ではあると思う。例えば年配の方がパソコンを使えないことを不満に思っても、パソコンを使えないという考え方を変えるなどしないと厳しいと思う。まあ極端な例ですけどね。


張本氏の思考は現代的ではないのかもしれないが、昔の日本は根性論の考えが強かったようだし、その根性論の風潮が日本にあったこと自体にまず問題があるのではないかと思う。


根性論を無理矢理に押し付けられたのかは分からないが、「その影響を受けた人達もある意味被害者なのか?」とも思ってしまった。だから昔の人は大変だったと思う。


根性論には科学的な要素やロジカルな部分は欠けると思うし、張本氏の言った通りに佐々木投手が決勝戦で登板しても、万全な状態ではないということであれば、良いパフォーマンスが出来たかは不確定な要素も含まれる。


だから今回のような件では、物事の思惑や、自分で仮説を立てて考えるというようなことをしている。感情論で物事を評価をする人間が多い時代だと思うから、考えが独特の人は重宝されるのではないかと思う。やっている人はやっているのだろうけど。


張本氏の発言を擁護したり批判したりというよりも、物事を分析して深く考えるということは必要だと思うのですよ。気に入らないから批判するのはバカでも子供でも出来るし。


まあ、根性論というよりもメンタルは確かに現代でも重要な要素だけど、張本氏への根性論批判についても、物事を深く考えることと、批判するのにも正当性があるかどうかは重要。


昔の考えを全て批判するのは違うと思うし、古い考えを持つ人がいるのも仕方がない事なのかなと。昔の考えを押し付けるのにも問題はあるのだけど。


noteの更新をしてなかったので、思った事を書いてみた。あとはこの記事も根性だけでは書いていないことは最後に付け加えたいと思います。



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