プレゼンテーション1

ジニの受験記

あべたんとジニの受験コラム、第4回はジニがお送りします。

高1から高3の1学期まで、私は阪大(大阪大学)医学部を目指していました。ものすごく、ものすごく難しいけれど、私なら届くんじゃないか。あと、父が阪大医学部出身で、小さい頃何度も阪大病院に行って遊んでいたので親しみがありました。

阪大医学部というと、どれくらい入るのが難しいか分かりづらいと思います。偏差値的には、東京大学理科三類(東大のなかで一番難しい、日本で一番偏差値が高い)と京都大学医学部の次くらいに難しいです。他の学部の東大生よりずっと狭き門をくぐり抜ける必要があります。

補足すると、これら旧帝大の医学部は格別に入るのが難しいです。旧帝大とは、北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の七大学です。しかし、地方の国立大学にも偏差値のランクはあるものの、そこですら東大の他の学部に受かるのと同じくらいかそれより難しいです。医学部には面接があったり、大学によっても試験の形式が全然違うので一慨には言えませんが、そのようにとらえていただければ十分です。

私は高1、2年のとき、ここまで成績がよくなかったのですが、

「これから成績が伸びたら、追いつくんじゃないか」

と先生から言われていました。それで阪大医学部を目指していました。

だけど、勉強をやっていても、阪大医学部に行けるほどは伸びなかった。そこで、高3の1学期に第1志望を名大(名古屋大学)医学部に変えました。名大は阪大よりほんの少し偏差値が低いです。ほんの少しですが・・・。阪大とそこまで問題の傾向が変わらないのが決め手でした。

そこから名大の過去問を解くなど対策を始めましたが、必ず受かるというほど成績は伸びませんでした。しかし、センター試験の成績は良かった。現役だし、とりあえず名大を挑戦しようと考えました。このとき、私が模試でもAやB判定を出せていた和歌山県立医科大学にしていたら、最初から福井大医学部にしていれば。阪大医学部をあきらめたとき、市大(大阪市立大学)医学部にしていれば。今ほど母から責められることもなかったでしょう。

普通、国立大学の医学部入試は二日間行われます。一日目に筆記試験、二日目に面接です。面接は他の学部では推薦やAO入試くらいしかないと思うのですが、医学部では全員受けます。(東大理三など、面接をもうけていない医学部もあります)

しかし、名大医学部は筆記試験に国語があるので、入試は3日間ありました。二日間筆記試験を受け、三か目に面接を受けました。私は、二日目が終わった時点で、全然試験が解けなかったことを分かっていました。電車に乗ってホテルに帰る途中で、涙が出てくるのをぐっと堪えていました。ホテルに着いて、母の顔を見ると涙が溢れて止まらなくなりました。ちゃんと試験は受けた、問題は難しいけどちゃんと挑戦できた。それだけが心の支えでした。

なんとか三日目の面接を受けて、名古屋から大阪に帰りました。センター試験が終わったら、前期と後期の願書を一気に出すので、もう後期の福井大を出していました。後期の一次選抜は通っていたので、福井大を受けられることは決定。

福井大医学部の後期試験は小論文と面接でした。小論文は、英語の文章が一題と日本語の文章が一題で、答えは日本語で書くスタイルでした。とりあえず、後期までの間は過去問を解いて、高校の国語の先生に添削してもらっていました。英語が得意だったのと、考えを文にするのが好きだったので、後期の問題は解いていて楽しかったです。正直言って、そこまで得意でない数学や物理を解く必要がなくなったので、前期の勉強より楽しかったです。

結局、前期の名大は落ちて、福井大を受けにいくことが決まりました。このとき、高校の友達は合格が決まった人が多くいました。なかには私が目指していた阪大医学部に受かった人もいました。彼女はとても優秀で、

「そっか、これくらい上の次元の人が受かるんだな」

とあきらめがついたのでよかったです。

正直、旧帝大系の医学部しか見ていなかったので、福井大は格下に見えました。私はプライドが高かったので、嫌でたまりませんでした。でも、センターの成績と小論文の出来からして、福井大は受かるような気がしました。だから、三月中旬の後期試験まであきらめずに勉強しました。

そして、後期試験前日。福井入りした私と母は、福井駅から福大医学部に向かいました。福井大学には二つキャンパスがあるので、タクシーに乗るときは松岡キャンパスと言うように、とパンフレットに書いてありました。そこで、ちゃんと松岡キャンパスまでと言ってタクシーに乗りました。

「あれ、さっき松岡キャンパスってちゃんと言ったぞ。だんだん田舎度が増してるんやけど、大丈夫やろか」

三月中旬で雪はなく、田畑にもなにも植わっていない。

タクシーの外は、広大な大地が広がっていました。

大学病院だから、福井の中心部にあると思っていた私たち親子が無知でした。そういえば、願書を出すとき松岡キャンパスの住所は吉田郡永平寺町と書いてあったな。郡って。ないわ。そう思っていました。

結局、タクシーに揺られ福井駅から30分かけて福大医学部に着きました。料金3600円。そんなに遠いことすら、私は知りませんでした。ここからして、私の後期試験へのやる気のなさが分かると思います。

そして試験。小論文は普通に書けました。「自分の考えを書け」なので、どう評価されるか分かりませんでした。可もなく不可もなく、そんな感じでした。

午後は面接でした。この面接がグダグダで面白かったので、またいつかお話ししましょう。

福井大は受かっただろうと根拠のない自信がありました。福井大を蹴って、浪人して行きたかった医学部を行くことも考えていました。自惚れとしか思えない発想ですが、本気で考えていました。後期がどうだったにしろ、駿台に行こう。そんなことを考えて駿台大阪校の説明会に行きました。

ですが、福井大を蹴ることは、本気で母にやめなさいと言われたのでやめました。そのときの母の説得が

「ここで福井大を蹴る意味が分からん。どこにいっても医師免許は取れるんや。医学部に受かって浪人する意味はない。はよ医者になって稼ぎ」

最後の「早く医者になって稼ぎなさい」が効きました。後期に受かったら、福井に行こうと吹っ切れました。

そして、福井大に無事合格しました。

まあ受かるだろうと思っていたので、ものすごく喜ぶというわけでもなく、ただただあの田舎で暮らすのかと憂鬱になっていました。といっても、友達ができ、勉強も手につくようになり、車を買ってもらうと暮らしやすくなりました。今となっては、その田舎も居心地良く、楽しい大学生活を送っています。

長くなりましたが、私の受験記を終わります。いつか書いて吐き出したかったことなので、スッキリしました。受験コラムのネタならまだまだあるので大丈夫です。

【書簡こーなー】

東京、横浜の博物館、参考にしますね!ありがとうございます。

私は少女マンガが好きで、古いものから最近のものまで幅広く読みます。あべたんさんはどんなマンガが好きですか?

きのう改めて「いつもポケットにショパン」というマンガを読み返しました。名作です。古いので読みづらいところもありますが、ピアノを通して主人公が成長するのがたまらなく好きです。

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