1歩目の難しさ・2歩目の難しさ

やったことないことをやってみる。そんな1歩目を踏み出すことは難しい。
しかしながら、勢いで意外と切れるものだったりする。


けれども、続けての2歩目を踏み出すことには、1歩目と違った難しさがある。勢いも1歩目を切った時に比べて減っている。結局、1歩目だけやって、やりかけの残骸だけが残る。。。


1歩目は意外と歩みだせる

私は、わりといろんなものに手を出す方の人です。
いろんなところで話を聞くプログラミング言語をやってみようかなぁ、と思って、チュートリアルを読んで、サンプルを作ってみたりする。
新たなプログラミング言語を勉強してみよう!と思って、チュートリアルという1歩目はわりと切れているようには思うのです。

しかし、その次の段階に進むものは、かなり少なくなる。
例えば、その新しい言語を使って、何か家庭内システムを作ってみようだとか、もっと踏み込んで勉強してみようだとかいう気持ちになるものはあまりない。

ちょっとやってみた。でもそこで止まって、次の段階に進まない。
触りで終わってしまっているもののなんと多いことか。(Ruby、Node.js、R、Golang…)
1歩目を切った時の、「あ、この言語おもしろいな」といった、あの新鮮な気持ちはどこへやら。作ってみる環境はあるのに、まったく触らない。倉庫で塩漬けにしてしまう感じ。

「ちょっとやってみるか」だと、そこで終わる

思い起こしてみると、1歩目を切るときは大体こんな感じである。
・「やってみようかな」と思って、「えいやっ」と勢いでやってみる。
・ふと手隙になった時に、思い出したようにちょっとだけやってみる。

そこにあったのは「言語を触ってみるか」くらいの緩い気持ち。
「触ってみるか」と思ってやってるから、チュートリアルをやってみて、
一通り触ったところで興味を失う。
興味を失うのは、その次の目的が無いから。
こうなると、2歩目を踏み出す理由はない。
塩漬けになってしかるべき状態となる。

目的地の置き方を変えてみる

興味の持ち方や、やってみる理由を変えてみたらどうなるだろうか。
いや、やってみる理由が変わるわけではない。やりきったと思える目的地をどこに置くか、だ。
例えば、「Node.jsのチュートリアルをやってみる」だと、チュートリアルを終わらせるが目的地。そこでもう終わった気になってしまう。

目的地を「Node.jsでxxxのAPIを作ってみる」にしてみたらどうか。
触りとしてチュートリアルをやってみる、を最初にやるが、それだけでは目的地には到達しない。チュートリアルをやる、はあくまで途中のポイントでしかない。次へ進んでみよう、という気になれる。

次に進める言葉の使い方

目的を言葉にする時、継続しやすい(1歩目に続いて、2歩目も歩める)ような
言葉を使えているだろうか?
使い方一つで、やりかけの残骸を増やすだけに終わるか、継続できるかも変わってくる。2歩目以降も歩めるような目標の立て方をしてみよう。


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