誤った隔離政策が奪ったもの ハンセン病差別の歴史記した「日本のアウシュビッツ」重監房資料館


つたない字で書かれたが文章がある。父親をハンセン病療養所に隔離され、貧困と差別に耐えた少女の作文だ。

「わたしのいっしょうとせいしゅんかやせ(かえせ)」。

これは兵庫県西宮市で行われた「西宮人権フォーラム」で「ハンセン病問題を学ぶ市民の会(奥野尚美代表)」が展示したものだ。同会が主催し、12月4日に行われた講演会などを取材した。

ハンセン病はらい菌による感染症だ。非常に感染力が弱く遺伝性の面でも他の病気と変わらないにも関わらず、政府は1996年まで隔離政策を続けた。47年には国内で特効薬の製造が始まったが、入所者が治療薬の投与で完治しても解放することはなかった。厚生労働省は「1907年の『癩予防ニ関スル件』制定により放浪するらい病患者を保護する目的もあった」と述べているが、実態は違っていた。

黒尾部長

10時から始まった黒尾和久氏(重監房資料館部長)の講演には、54人が参加し満席となった。
重監房とは、全国の療養所から〝不良〟扱いされた患者が収容された懲罰房で、38年から47年まで群馬県草津市にあった。電気もなく粗末な食事しか出ない重監房は、冬はマイナス20℃にもなる。47年までに93人が収監され、23人が亡くなった。入所者の間で「草津送り」は死を意味する隠語となった。施設に逆らったり、目をつけられたものは‘’不良‘’として重監房に送られた。入所者の本名も、そこでの暮らしもわかっていない。施設側は資料の存在を公にしていないのだ。当時の入所者を辿り、その証言から黒尾さんたちが足跡を探るという、地道な調査が続いている。
ハンセン病患者は施設収容される際に園名を名乗るものもいた。栄養状態が悪かった時代、子どもたちもハンセン病を発症することも多かった。年端も行かぬ子どもが親からむりやり引き離された。

31年から始まった「無らい県運動」は、ハンセン病患者を見かけたら通報するよう市民に呼びかけた。この運動の中で、国や都道府県が近隣住民に恐怖感を持たせ、偏見を植え付けた。沖縄での感染が多かったことや、強制労働や貧困で生活に困っている朝鮮人に感染が多かったという当事者の証言もある。
らい予防法には退所規定がない。完治しても家には戻れない。家族も、近所のひとの目を恐れて、家族に患者がいることを隠した。家族にハンセン病患者がいることを隠して結婚し、そのことがわかると離婚させられた。
現在、国立療養所は日本各地に13箇所、私立が1箇所あり、隔離政策が行われた時に入所させられた元患者が生活している。高齢化や後遺症で介護が必要な人が多い。施設内で強制的に墮胎させられたり、断種された入所者もいる。
入所者は戦時中に防空壕の掘削などもさせられ、傷口から菌が入り、化膿しても放置された。施設内でホルマリン漬けの胎児が並べられているのを見た人もいた。

重監房復元と発掘調査

過酷な状況下でも、入所者たちは自治組織を作り、助け合ってきた。らい予防法廃止後、草に埋もれた重監房を、元患者の人々は自ら草を払って見つけ出した。自分たちの生きた証を残したい、差別の歴史を忘れてはいけないという思いで、資料の保存活動を始めている。だが、基礎しか残っていない重監房の復元には困難が伴う。

出土品のゲタ

黒尾さんは周辺の発掘調査を提案した。出土品から当時の状況を探ろうというのだ。出土品をスライドで見た。当時の回復者が使っていた箸、お椀、大量の梅干しの種が映し出された。トイレは木の棒で支えられ、すぐに腐食するような基礎工事だった。出土した下駄は、歯が欠け、鼻緒はなかった。回復者のひとりで詩人の谺(こだま)雄二さんは、この下駄を見て激怒したという。

「手足が不自由な仲間は皆、下駄が履けず、包帯で下駄をぐるぐる巻いて固定した。きっと下駄を履く暇もなく連れ去られたのだ」

出土品のメガネ

同じ土中から出たメガネは所有者の人生を物語る。メガネを必要とするものは、終生それを手放すことはない。亡くなって後、誰にも弔われず放置されたのかもしれない。黒尾さんは「メガネが大量に展示されている場所をご存知ですか? アウシュビッツ強制収容所です」と述べた。「日本のアウシュヴィッツ」と呼ばれたこの収容所は、ちょうど戦時体制が強化された期間に作られた。優生保護思想が肯定的に捉えられた時期でもある。

2001年、回復者は国に対し、人権の回復や政策の誤りを訴えた。勝訴の末、国の予算で資料館や啓発事業が始まった。だが、多くの命を奪われた人々の人生は取り戻せない。今も人の目を恐れて生きる退所者がいる。かつて療養所にいたことを知られたくないと思っている人も多い。
近代化に伴い日本のハンセン病発症者は減少し、現在はほとんどいない。多薬剤併用治療により完治することもわかっている。黒尾さんは、「ハンセン病問題の解決には、国のみならず、私たちもまた加害の淵に立っているという意識改革が必要だ」(上毛新聞2022年4月8日号記載)と訴える。

ハンセン病回復者を本当に隔離に追いやったのは誰だったのか? 私たちは深く自分に問いかける必要がある。


(編集部 かわすみかずみ)

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