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映画プロデューサー/ワイズ出版社長・岡田 博(1949~2021)無名の映画労働者に 陽を当てた生涯

シネマブロス 宗形修一

 立命館大学映画部の畏友の話を、今回は紹介したい。映画プロデューサー・出版社社長であった岡田博は、8本の映画作品と400冊の映画・写真・社会等に関する著作を出版し、ガンとの闘いを経て、今年8月に亡くなった。
 2020年12月2日号の西日本新聞は、「フェース」欄で「映画本を出し続け、30周年を迎えた出版社社長」と岡田を紹介し「後世に映画史を残していきたい」「売れない映画を作り、1冊もベストセラーはない。これは自慢できるんじゃないかな」との談話も載せている。
 彼は創業時、網走番外地シリーズを監督した石井輝男に心酔し、2年以上かけて「石井輝男映画魂」を出版、徹底的なインタビューと詳細な作品データを載せ、従来の映画本のイメージを変えた。そして、映画が有名監督だけでできるのではなく、撮影・照明・美術・録音等の、名もなきスタッフと俳優によって作られることを出版物で明らかにしていった。
 俳優で言えば、汐路章・上田吉二郎・松尾文人・岸田森・遠藤太津朗・天津敏・薩摩剣八郎──これらの俳優は、よほどの映画好きしか知らないだろう。悪役の人が多い。
 音楽監督は伊福部昭・武満徹ほか。音は久保田幸雄、美術は木村威夫・井川徳道。撮影監督は高村倉太郎・中野昭慶。戦前から戦後の消えた映画会社は、新興キネマ・極東・新東宝・日活多摩川等を書籍として出した。
 また、2000年には北井一夫写真集「三里塚」を出版。1969~71年の三里塚少年隊を表紙に、現地農民の闘いの表情を残した。
 これらワイズ出版の本の通底する思想は、「歴史はどんな微細なことも徹底して記録せよ! そしてメインストリームの人間ではなく、マイナーなすべてのことと、それに当たる人間に光を当てよ」ということだった、と今にして思う。
 彼が制作した映画8本も、多数の人たちには見られていないが、過ぎ去った過去(歴史)に対する哀惜と敬愛が満ち溢れている。1995年制作の「無頼平野」(監督・石井輝男)を改めて見てみると、終戦直後の日本とやくざ・赤線地帯・レビューと踊子、それら全体を覆う「貧困」と売血専門の血液銀行。そこで働く主人公たちは、堕胎した胎児からの血液を採るシーンまで描いている(こんなことが事実とは思えないが)。そして、登場人物たちは皆、その「貧しさ」に立ち向かうか、逃げるしかない状況が描かれる。他の映画作品も、すべてはマイナーな人々ばかりを描いた作品だ。作品名を列記する。
 「樹の上の草魚」(1998年)、「つげ義春 蒸発旅日記」(2003年)、「夢幻彷徨」(2004年)、「美代子阿佐ヶ谷気分」(2009年)、「へんりっく寺山修司の弟」(2009年)、「石井輝男映画魂」(2010年)、「なりゆきな魂」(2017年)、以上8作品。
 岡田はその他の作品(瀬々敬久作品)にもかかわった形跡がある。今2021年に見る写真集「三里塚」は、闘う農民・少年行動隊・青年行動隊もみんな美しい。ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬は「この写真集は『昭和』ジグソーパズルではない。連続する生命を耕す瞬間である。無韻の解放歌集である」とのコメントを寄せている。
 「『三里塚』を忘れるな」は、彼の遺言だった。

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