進む都市警察の軍隊化、「否」と言えない社会/労働者を使い捨て巨大開発(神戸大学准教授 原口 剛)

 新型コロナウイルスの感染規模が拡大するにつれ、オリンピックをめぐる状況は日増しに混迷を深めている。
 3月13日時点の報道によれば、IOC会長トーマス・バッハは、開催中止の判断をWHOの勧告に従うと表明した。すでにWHOが現在の状況をパンデミックと認め、中止の可能性はいっそう現実味を増している。
 だが忘れてはならないのは、仮に開催が中止されたとしても、取り返しのつかない事態や人権侵害は、もうすでに起きてしまっていることだ。この状況だからこそ、オリンピックの本質とはなにかを、筆者の視点からあらためて提示しておきたい。
 第一にそれは、インフラの権力である。選手村をはじめ各種の競技会場が集中する東京湾岸部は、いまや巨大マンション群が建ち並んでいる。大量の資本を投下した新国立競技場は、ついに建設されてしまった。その過程で、どれほど多くの労働者が使い棄てられたことか。
 また都心部の渋谷では、駅周辺の大規模再開発が進められ、宮下公園の改造が完遂されようとしている(6月18日にオープンの予定)。これら一連の都市改造の過程では、霞ヶ丘アパートの住人や、各地の公園を住まいとする野宿者が追い出されてきた。最近では、ビーチバレー会場とされた都立潮風公園において、野宿者排除に抗うたたかいが続いている。
 第二に、オリンピックに「否」の声を突きつける抗議者には、むき出しの暴力が振るわれてきた。しかもその暴力は、ますます陰湿なものになりつつある。2月18日、東京の公園で、ガサ入れを名目として筆舌に尽くしがたい暴力が抗議者に対して振るわれた。抗議声明のなかから、一文を引用しておきたい。
 「家宅捜索は3時間半に及び、パソコンや携帯電話、手帳や身分証、銀行カード、郵便物など、個人情報が分かる私物を押収されました。その間、Aさんは上着を着ることも許されず、警官に取り囲まれ、トイレまで監視されるという、非人道的扱いを受けました。警察は最後に再びDNA採取の要求や所轄署への任意同行を求めたといいます」(反五輪の会HP[https://hangorin.tumblr.com/]より)。
 さらに、宮下公園ちかくの美竹公園では、小さな公園に4台もの監視カメラが設置されようとしている。

◆反五輪を反万博へ

 ジェールズ・ボイコフが論じるように、21世紀のオリンピックは都市改造を一挙に進める手段であり、また、都市に軍事主義を呼び込む装置でもある。「今日に例外状態に備えて軍隊式の装備を導入すれば、明日にはそれが通常の警察活動になるのだ」(『オリンピック秘史』早川書房、2018年、219頁)。
 例外状態に便乗した軍事化は、東京にかぎられたことではない。たとえば大阪の釜ヶ崎に目を向ければ、西成特区構想が進む中であいりん総合センターは閉鎖され、とどまりつづける者や抗議者には、立ち退きや弾圧が繰り返されている。
 2月5日には、センターの軒先で暮らす野宿者や団結小屋を一掃しようと、大阪地裁の執行官が府市の職員や警察を引き連れ、土地明け渡し訴訟の前段階となる占有移転禁止の仮処分決定の通知書を突きつけた。つづく3月4日には、団結小屋に向けられた監視カメラに抗議した人びとに対し、逮捕・拘束するという暴挙が行なわれた(検察は拘留を請求したが却下され、6日には全員が釈放された)。
 オリンピック中止の可能性が現実化しているといって、これらの趨勢に歯止めがかかったわけではないのだ。むしろ、パンデミックという「惨事」に乗じて、いっそう拍車がかけられようとしている。仮にオリンピックが中止されたとして、2025年万博ががむしゃらに推進されることも、ありうるかもしれない。私たちは、「祝賀」や「惨事」に乗じて例外状態をつくり出し、都市改造と軍事化を推し進める体制をこそ、解体しなければならない。そのような射程をもちながら、反五輪を反万博へとつないでいくことを、追い求めたい。

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