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発言権

自分の何かの原動力によく発言権がある。

サイコパスって言葉が流行った時にはちゃんとサイコパスについて論じた著書を読んだ。言葉の正確な定義を知らないのに使うと差別的になると思ったからだ。

読んだ上でよく使う、言葉になった。自分は殺人にエクスタシーを感じる人種じゃなくて助かったと思った。でも同時に経営者なんかに向いてるという点を聞いて素敵だとも思った。

あと、「なにそれ宗教みたいだねw」もよく耳にするので、最近宗教の本をよく読んでる。これは一冊じゃ終わらないけど、結構学ぶだけで楽しい。

最近見つけたお気に入りの仏教用語は有閑無為。目標至上主義につかれた心が欲していた空白にちゃんと名前があったんだって感動した。

あとね、50円で古本屋から掘り出した「不思議の国の広告」という本で聞いた話なのだけど(博報堂出身の方の著書)商材キャッチコピーは常に政治と宗教の間のようなものであって、「圧縮・シンプル・誠実・繰り返す」の4つを含んでるって話が面白かった。

90年代の博報堂とか朝日新聞社出身の人が書いてる本けっこう攻めてて頭のいい皮肉が効いてて好きなんだ。

最近よく聞く言葉にルッキズムがある。

その意見が正しいとかそうじゃないとかは置いといて、現状に不快なひとが居たんだって事実を残すのは大事だとは思うんだ。

法案が通らなくても女性の立場改革を訴える女性議員が映像として残るのに意味があると思うのと同じ。

でもそこに違いがあるのは事実なんだから、違いがあるのにその違いを見えないふりをするだけじゃ、嘘を重ねるだけだろうと思う。

生まれながらの違いがあってその違いに優劣をつけるのがよくないなら、学歴だって私は1日10h以上勉強してもたどり着けない領域はあった。そのハードルを越えられた人にだけできることは存在するだろう。

足の速い子も羨ましかったなぁ。

みんな違う、なんとなくの優劣だってある。コンプレックスになる、そのコンプレックスが伸びしろになる。伸びしろにできなかった、そしたら弱いものに共感できる、優しくなれる。優しくなったら守りたいものができる。ちょっとだけ強くなれる。たまにでも強くなった自分をたまにでも好きになる。

そういえばオタクの半分は早生まれらしい。私も早生まれだ。そもそもオタク楽しいじゃん?って思うのでこのデータで若い頃の劣等感がどうのこうのという話をする気が起きない。

それぞれに居場所があれば、それでいいじゃんって思っちゃうんだけどなぁ。

最近だとポテサラ事件もあったね。おじさんは奥さんにほっくほくのポテサラ作ってもらえばいいし、あの主婦はスーパーの美味しいポテサラを息子といつもよりゆっくり食べられたらそれぞれ笑顔なのにね。

共存できる価値観の違いじゃないんだろうか。ジャガイモも売ってるしポテサラも売ってるんだから。

snsって結局伝える場所なのか、記録する場所なのかどっちなんだろうね。「つぶやく」って言葉を提案した人本当に天才だと思う。

abemaで黒ギャルが「私はブサイクって言われても平気だけど内面否定された方が傷つく」って言っていて共感した。

私は自分の容姿に自信ないけど

でも自分のなり得る中で一番可愛いになれたら「人は見た目じゃないよ」って主張する自分を許せるかな、なんて思っているので

明日も化粧をがんばる。



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